04 院宣

 その結願けちがんの日、三宝院さんぽういん賢俊僧正けんしゅんそうじょう、京都よりくだり、持明院殿じみょういんどのより成されたる院宣いんぜんをぞ奉られける。将軍尊氏たかうじ、院宣を拝見し給ひて、「函蓋かんかいすでに相応そうおうして、心中の所願しょがんたちまちに叶へり。向後きょうこうの合戦に於ては、必ず勝つべし」とぞ、喜び給ひける。

 ――「太平記」第十六巻「尊氏卿持明院殿の院宣をもうくだ上洛じょうらくの事」より






 多々良浜の戦いに勝利した尊氏は、即座に兵を返した。

 東へ。


く行きて、まずは播磨の赤松をける」


 ここで尊氏の恐ろしいところは、移動に水路を用いたことと、陸路も使ったことにある。

 「太平記」によると、五十万以上といわれる兵数を集め、それをふたつに分け、ひとつは水軍に乗せ、ひとつは騎乗の武者と歩兵にした。

 このふたつの群れが、それぞれ並走して東へ──京へ向かう。


「今さらだが、すさまじいものだな」


 とは、その尊氏のこれからの「いくさ」の実際を見知った、赤松円心の言である。

 その円心から、錦の御旗はまだか、と問うてきた。

 多々良浜の勝利の知らせに沸いた勢いを利用して、円心はすでに、新田義貞を破っていた。


「だからこそだ、足利の。今この勢いに利して上洛するなら、院宣だ」


 円心の見るところ、これで義貞の属する陣営――南朝――の勢いは押されている。

 この勢いに乗って、南朝から京を奪うには、より多くの兵がいる。


「それには院宣があれば」


 円心に言われるまでもなく、尊氏もそれを実感していた。

 今のままでは、尊氏は「武士の親玉」に過ぎない。

 それでは、一時いっときは勢力を持つだろうが、その一時いっときが過ぎれば、終わりだ。

 武士たちは、今はいいが、やはり離れていくだろう――ただの「武士の親玉」から。

 平将門のように。

 木曽義仲のように。

 源義経のように。


「強いだけではなく、裏付けを持ち、その強さがと思わせる……」


 このが肝心なのだ。

 だから後醍醐天皇は勝てた。

 鎌倉幕府を倒したあとも、みかどとみかどの皇子が、きっといいまつりごとをしてくれる。

 それに、乗った。

 尊氏も。

 円心も。

 そして……あの男も。


「そう……あの男を打ち破るためにも、裏付け――院宣を持ち、足利がと思わせるのだ」


 さすれば、より多くの武士たちが、人々が、足利につく。

 それこそ今、集まる兵も増えよう。


「さて……これで勝てようかな、あの男に」


 ずっと、打ち破りたいと思っていた。

 最初の赤坂城の戦いで対峙し、何かあると感じた。

 赤坂から消え、千早に出現した時、わかった。

 後醍醐という玉を据えて、みずからが幕軍二百万と戦い、引きつけ、そして多くを動かす。


「それと同じことをする。それなら、勝てよう」


 大軍を集める。

 集めただけでなく、十全に使う。


「それは実につまらぬいくさだ。つまらぬいくさだが……」


 それだけがあの男――楠木正成に勝てる、たったひとつのやり方だった。

 だから院宣がいる。

 勝つために。


「そのためなら、何でもしよう」


 もし勝てたのなら、院宣の主――光厳上皇をふたたび帝位に就けてもいい。

 そして幕府を作り、その朝廷をたすけるのもいいだろう。

 すべては勝つためだ。



 建武三年二月十五日、足利尊氏は備後の国、ともに至り、かの地で光厳上皇よりの院宣をたまう。

 いわく、「早々凶徒ヲ退テ君ヲ本位ニ奉付ルベシ」――と。

 かくして尊氏は、その強さに加え、裏付けを得て、足利がつづくと周囲に思わせることに成功する。


「勝った。これこそ、祝いである」


 尊氏は院宣を、おのれの前途を祝うものとして喜び、各所にそれを伝え、助力を求めた。

 そしてのぞむ。

 尊氏が最大の好敵ともくろむ相手――楠木正成との戦いに。


 ……湊川の戦いまで、あと三ヶ月。






【了】


※参考資料

「太平記」(兵藤裕己校注)岩波書店

 Wikipedia

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のぞむもの ~尊氏、多々良浜に戦う~ 四谷軒 @gyro

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