かたちなきもの ~正成、湊川に戦う~
四谷軒
01 敗北
建武三年五月二十五日(一三三六年七月四日)。
湊川。
海に。
大軍が押しよせていた。
楠木正成は、陸海合わせて五十万のその大軍――足利勢を見て、やれやれとため息をついた。
「尊氏はん、本気でみかどを追う気なんやな」
である以上、この楠木正成も戦わざるを得ない。
それが、約束だから。
かつて――正成がまだ得宗被官という、鎌倉幕府の役人であった時。
のちに後醍醐と呼ばれるみかどと知り合った時。
約束を交わした。
正成は戦い、みかどは
その約束に基づいて、正成は人を集め、戦った。
みかどが新しき
そうすれば、土地や裁きはましになる、ぜひ戦おう、と。
「それが今や、一族郎党、声かけても、よう集まらん」
これは、正成が尼崎で後醍醐に向けて送った上奏文に記されている。
千早赤坂の戦いの時はあれほど支えてくれた正成の一族や、河内の兵も集まらず、これは民心が後醍醐から離れている証左だ、と。
正成はさらに、このままでは、自分が生きていても無益だと上奏した。
それゆえ、命を落としてでも、戦い抜くとして、征旅に出た。
*
建武三年一月。
後醍醐天皇に叛旗をひるがえした足利尊氏は、いっときは京を手に入れたものの、後醍醐の反攻に遭い、都落ちを余儀なくされた。
これには、楠木正成の軍略により、京に入れた足利を周りからたたいた結果だった。
尾羽打ち枯らして逃げる尊氏。
それを知った、群臣諸卿は沸き立った。
「足利、何するものぞ」
だがその公卿たちに冷や水を浴びせる者がいた。
楠木正成である。
「今こそ、足利と和を」
勝利に沸いていた群臣は驚いた顔をしていたが、次いで噴き出した。
「何を言うておる。われらは勝ったのだぞ、賊軍に」
われら、という言葉に、正成のうしろにひかえた正季はぴくりと動いた。
それを正成が目で制しながら、言葉をつづけた。
「和いうてもにわかには信ぜぬやろ。せやから新田はんの首ぃ、差し出しまひょ」
これには、笑っていた公卿たちも
次いで、顔を青ざめさせた。
今の今まで、一緒に戦った仲間の首を差し出せとは、何を言う。
「正成」
そこで後醍醐が口を開いた。
群臣は押し黙った。
「足利と和したいという言葉は聞いた。だが、新田のそれを出すと言うのは、過ぎると思う」
「
正成はこの、都の攻防をめぐる戦いで、足利の勢いを肌身に感じた。
足利を後押しする、民心も。
「まあ、新田はんのは言い過ぎ思います。されど、足利を打ち破った今こそ、和を結ぶ好機や」
そもそも、足利という一族は、この国の各地に根を張っている。斯波、今川、上杉、一色……枚挙に
その足利が、多くの武士の支持を得て、襲いかかって来る。
箱根竹ノ下で敗れ、京を落とされたのは、そのせいだ。
だからこそ、足利を叩いた今、和を結ぶべきなのだ。
「そうせんと、足利ぁ盛り返しまっせ」
「盛り返す、とは」
「たとえば
そうなってからでは遅い。
それに、九州でなくとも、中国でも四国でもいい。
足利にとっては、もうそれはどこでもいいのだ。
「どこでも、兵が加わる。これなら、足利はいくら敗れてもええ。最後に立ってるんは、足利であればええ。いくら負けても、かましまへん」
だが今は、落ちる途上だ。
まだ、そうなるとは限らない。
ならば。
「今のうちに、和を。さすれば盛り返しても、すぐには攻められへん」
その間に、後醍醐は立て直しをすればいい。
建武の新政の失敗を見直し、立て直しをすればいい。
「だからみかど、和を」
正成は頭を下げた。
彼とて、建武の新政に賭けた。
賭けて、絶対不利な状況に身を投じ、赤坂に千早にと大軍を相手に戦い、戦い抜いた。
こうして今もまた、足利という大軍に、逆転してみせた。
それもこれも、新しい政――後醍醐の創出した政治の仕組みが良いと判じたからだ。
しかし後醍醐は、そういうのは良くても、実際の人事や賞罰については不得手であり、そのあたりから建武の新政は崩れた。
「けど、まだ立て直せるんや」
時をかけ。
見直しをして。
そうすれば、あの後醍醐のことをかなり気に入っている尊氏のこと。
「和してそのままにしてくれるやもしれへん」
希望的観測だ。
だが、そうまでしないと、建武政権はがたがたで、先行きが見えない。
だから正成は衷心から願った。
けれども、後醍醐というか、群臣はそれを
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