美しいことばたちの冷酷な二面性に、恍惚として
- ★★★ Excellent!!!
紙に書きつけることで記録をしていた時代に、ある特異な能力を持った民族がいた。
ひとは彼らのことを「メモラビリア」と呼ぶ。
あらゆることばのやりとりを完璧に『記憶』し『再現』するメモラビリアは奴隷として仕立てられ、貴族の職務を記録する従者として重宝されていた。
むろん、彼らはあくまでも道具である。人間としての営みは何も期待されない。
フェリクス少年の屋敷にも、メモラビリアが買われてきた。
雪がまう日に雇い入れられ、“チル(寒い)”という記号が与えられる。肌も髪の色も覚えのない美しい彼は、蝋燭のあかりがちらつく玄関ホールで、たった今フェリクスと父親が交わしたことばをその文字列も声色も寸分たがわず『再現』し、道具としての能力をいかんなく発揮した。
チルの能力は屋敷の仕事に有意義に働くが、そのあまりにも稀有な能力はいつしかフェリクスの大切なひとたちを魅了してゆく。チルに慈愛のまなざしをむけ、ていねいに扱い、フェリクスの行くすえを託すのだ。
そんなチルに胸をかきむしられるような心地で日々を過ごしていたフェリスクは、ある日、ひどく甘美で恍惚とするような、チルとの禁忌の営みを覚えてしまう—— 。
燭台、薪のはぜる音、薬湯、鈴蘭の花、ペンナイフ、甘いミルクのかおり……。
童話のなかを過ごすような美しいことばたちで物語は綴られてゆきますが、その世界観に恍惚としているうちに、いつの間にかそのすべてのことばが残酷で悲哀をふくんだ意味合いに変質してゆきます。
このことばの二面性が操られる巧みな世界観はすぐに読者を呑み込んでしまって、きっとあなたもなかなか抜け出せなくなるのでしょう。フェリクス以上に、胸をかきむしられるような想いを味わってしまうのです。
心の赦しを得るために禁忌を犯し、依存し、おぞましい未来をたどってしまうフェリクス。
これは一読者としての私の妥当なのかはわからない解釈ですが、この物語の世界には悪となるような存在は誰ひとりとしていないように思えます。ただ、血の通ったメモラビリアを奴隷として扱う慣習が、何よりも悪だと感じられるのです。
ひとの性善説の薄布をかぶった、社会の性悪説のような —— 。
一見すると美しくも残酷な架空のおとぎ話のようではありますが、その奥に作者様の人間性への真摯なまなざしと、社会の皮肉を冷静に観察する心が感じられるようでもあります。
そういった点が、読者の心の底にいつまでも淀んだものを残すのではないでしょうか。
あまりにも美しく冷酷なこの世界、足を引っ掛ければすぐに呑み込まれますので。
ぜひとも1ページめくってください。