スカンクと恐竜
「空気中にあるブラッドセルの濃度が一定値を超えると、国内に設置してある観測機器から研究室にアラートが届く。そのハザードエリアに戦闘員を配置して、イヴィルの発現に合わせてすぐ駆けつけられるようにしてるのよ。ま、たまに予兆なく現れることもあるんだけど」
廊下を早足で進む千早のあとについて歩く二人は、緊張した面持ちでその話を聞いていた。心なしか夏目の顔色が悪い。
ミトがその背中をさすりながら「大丈夫?」と顔を覗き込んだ。
「心の準備ができてない……せめて一週間くらい前に言ってください……」
「えー、サプライズとか嫌いなタイプ?」
「これをサプライズとは言わないです。無茶振りと言います」
「あはは、おもろい」
「笑いごとじゃないんですけど!」
夏目の悲痛な訴えも虚しく、千早はある扉の前で立ち止まると、赤い開閉ボタンを押した。隙間から吹き込んできた風に、二人はなびく髪を抑える。
青い空に白い雲、建物の屋根が広がる遠景。
外だ。
ここが戦闘班が任務に赴くスタート地点、ポート。
夏目は生唾を飲み込んだ。
ほんの少し前まで一般人だった自分が、何の因果かアロウズの戦闘員として正式な任務に出るのだ。
プレッシャーがじわじわと押し寄せる中、ポートの真ん中で待機していた人物の一人が大きく手を振った。
「あ、千早さーん! こっちは準備できてるよー」
「おまたせ。今日は初任務のサポート、よろしくね」
金髪の女性はサイドテールを元気に揺らしながら、駆け足で三人に近づく。夏目とミトは、身長の高い彼女を見上げる形になった。
「こんにちは! 今日はよろしくね」
「お、お願いします! 鳴海夏目です」
「はじめて挨拶したの結構前だもんね。改めまして、
後ろからマイペースに歩いてきた凍花が「どうも」と小さく会釈をする。
夏目がイヴィルに襲われたあの日、アロウズから駆けつけた戦闘員がこの二人、二色と凍花だった。
アロウズに入ってすぐ、夏目は全戦闘員と顔合わせはしたものの、今日まであまり積極的に関わる機会がなかった人物だ。
二色は百七十八センチと長身の女性で、ブーツのヒールもあり戦闘員の中では最も身長が高い。開いた胸元に目がいきがちだが、どうやら胸の大きさでシャツのボタンがしまらないらしく、シャツの裾を胸の下で縛っている。サイドテールをまとめる白いリボンが印象的な、無邪気で明るい人柄だった。
対して、隣に佇む小柄な女性、凍花は表情の変化に乏しく、見た目は少女のようにやや幼く見える。顔合わせのときの印象としては二色と対照的で、『動』の二色と『静』の凍花といえるほど物静かな女性だった。前髪をとめる三つの菱形のピン留めが可愛らしい。
二色が言葉を続ける。
「いやあ、あのとき助けた子がウチに入るって聞いてびっくりしたよぉ。トップが笑って全員アロウズに連れてくって言ったときは本当……」
そこまで言って、二色は突然両手で顔を覆った。「あれほど自分の目にカメラがついていないことを悔やんだ日はなかった」と悔恨を滲ませた声で呟く。
凍花までもが静かに項垂れ、今にも舌打ちしそうな形相で地面を睨みつけていたのだった。
夏目が理解の追いつかない顔になる。
突然何の話が始まったんだろう。
話の経緯を知らないミトが頭上にクエスチョンマークを浮かべている。
二色が勢いよく顔をあげ、縋るような眼差しを夏目とミトに向けた。
「二人だってもうわかるでしょお! トップってほんと笑わないの! いじわるな笑い方はたまにするけど、あんなふうに声出して笑うのなんてはじめて!」
「まあ、たしかに。今ならあれが異常だったってわかります」
「えっ、あの等々力さんが笑ったんですか!? 超見たーい!」
「そうでしょー! もうほんとかっこよ……ンンッ、レアな光景だったんだから」
二色が不自然な咳払いでリカバリーを試みたが、夏目にはがっつり聞こえたので手遅れである。
今かっこいいって言おうとした。
凍花も同じ見解を持っているらしく、腕を組んで鷹揚に頷いている。
夏目が千早に助けを求めるように視線を送ると、千早は肩をすくめた。
「この二人は白夜のこと大好きだから。前に色々あったしね」
「べ、べつに大好きなわけじゃないもん。ただちょっと強くて頼りになってかっこよくて、無愛想だけど最後まで面倒見てくれるところがす、す、好きだなって思うだけで、トップと組んでる潮ちゃんが羨ましいなんて全然思ってないんだから! ね、凍花!」
「そう。私たちは私たちの仕事をするだけ。褒め言葉を強要し過ぎて『よくやった』の一言であしらわれるようになったのもまた一興」
「あっわかる……あれはあれでアリだよね……」
頬を染めながら二色が恍惚と息をつく。
夏目はそっと青い空を見上げた。
初任務のサポーターはこの人選であっていたんだろうか。
史織の笑顔が脳裏に蘇る。穏やかで時々天然で、何事にも動じない温厚篤実な頼もしさがすでに恋しい。
遠い目をした夏目の肩を、千早がぽんと叩いた。
「ま、なんとかうまくやって」
「この状態でぶん投げですか」
「だって研究室の仕事残ってるもん〜。大丈夫大丈夫、頼りになる先輩よ。じゃ、あとよろしくー」
千早は無情なほどあっさりと手を振ってポートを出て行った。
冷たい風が骨まで吹き抜けていく気がする。
いや、こんな気の抜けた状態じゃだめだ。仕事なんだから、ちゃんと集中しないと。
夏目が両拳を握って気合を入れる。
「一緒にがんばろうね、夏目」と笑うミトが心強かった。
二色が胸の前で手を合わせて言う。
「よしっ、さっそく行こっか。リザードはもらったんだよね? 現場にはウインディで向かうんだよ」
「ウインディ……藤内さんが飛行型って言ってたやつですか」
「うん。こんな感じ」
言って、二色は右手の裾からするりと這い出てきたリザードを一瞥した。
黒い粒子を嵐のように纏い、リザードが急激に体積を増やしていく。あっという間にリザードは人が乗れるほど巨大な鳥の姿となり、ぶるりと羽を震わせた。
「ど? できそう?」
「無理です」
夏目が即座に首を振った。
意思を汲み取ってくれますよ、という藤内の言葉が蘇る。しかしそう上手くいくものか。
隣のミトを見やる。
彼女の横には立派な黒い鳥が鎮座していた。
「なんかできちゃった」
「なんかでできるもんなんだ」
「ほらね、意外と簡単だよ。鳥になれーって心の中でおねがいすればいいの」
「そんなファンタジーな……」
夏目が半信半疑の眼差しで手のひらのリザードを見下ろす。できる気がしないが、できないと先へ進めない。
──鳥になれ。なってくださいお願いします。
懇願に近い指示に、せせら笑うような返事が返ってきた気がした。
(──え)
気のせいかもしれないと思うほど小さな笑い声のあとで、リザードの身体が粒子を取り込んで膨張する。驚いて数歩後ずさると、そこには立派なウインディの姿があった。
二色と凍花が拍手で讃える。
「いいね! 二人とも上手!」
「才能あり」
「は、はい……」
本当にできるなんて。一瞬、性格の悪そうな笑い声がした気がするけれど。
二色たちがウインディに跨り、夏目は慌ててそれに倣った。視界が高い。そして想像以上に不安定だ。太ももでしっかりとウインディの胴体を挟み込む。
ふと夏目が二色に訊ねた。
「あの、これからどこに行くんですか」
「伊豆」
「伊豆!? 静岡の!?」
「うん。あのあたりまでは本部の管轄。もうすこし西に行くと、ミトちゃんがいた近畿の管轄区域になるよ」
「そだよ」
ミトが頬の横でピースをする。夏目は「へぇ」と気の抜けた返事をした。
神奈川だけじゃないんだ。考えてみればそれもそうか。出現場所を選ばないイヴィルに対し、アロウズは限られた場所にしかないのだから。
ウインディがポートから飛び立つ。
身を圧す強風に、夏目は必死に黒い背中にしがみついた。
(に、任務の前に、これ落ちたら死ぬ)
最悪の想像が脳裏をよぎり、背筋が震えた。
二色とミトが右手の拳を突き上げる。
「さ、張り切っていこーう!」
「いえーい! 空中散歩さいこー!」
「なんでそんなに平気な顔してるんだよおお」
夏目の情けない悲鳴は風に攫われて消えた。
イヴィルブラッド ヤマダネコ @ymdnksenpai
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