徒影2
千早は白衣のポケットに両手を突っ込みながら、藤内に訊ねる。
「例の件、この二人の分を受け取りに来たんだけど、いいかしら」
「ああ……! はい、はい、もちろん準備出来ています」
藤内は嬉しそうに何度も頷き、数多あるケースの中から、迷うことなく壁際のアクリルケースに近づくとその一つを開け、中に右手を差し入れた。
するり、とその手に上る小さな影。その隣のケースからも同じように一匹を取り出し、藤内は緊張で身を硬くする夏目とミトの前に立った。
「ええと、この子が夏目さん、こっちの子がミトさんのリザードです。とってもいい子に育ってくれたので、たくさん可愛がってあげてくださいね」
「リザード?」
「えーっ、私のリザード? 嬉しい! なんか一人前の戦闘員になった感じがするなあ」
ミトが弾んだ声で言う。二人が手を差し出すと、その小さな影は二人の手のひらにするりと移った。
それは小さなトカゲだった。全長は十センチを少し超えるくらいの、影のように真っ黒な身体。目はない。
つるりとした硬質な皮膚の冷たさが、夏目の手のひらから甲までを自由に動き回る。夏目は爬虫類が苦手ではないが、冬柚あたりは悲鳴を上げそうだと思った。
けれど、きっとこれは、ただの爬虫類ではない。
先の会話から察するに、おそらく──。
夏目がミトを横目で見る。ミトは嬉しそうにリザードに唇を寄せていた。
藤内が両手を広げて言う。
「リザードは、アンプリシードという顕質をメインマテリアルに組み込んだ、人工イヴィルです。戦闘班のみなさんをサポートしてくれる、とっても頼もしい仲間なんですよ」
「人工!? イヴィルをつくっているんですか」
想定内と想定外の言葉が入り交じり、夏目は裏返った声で聞き返した。
藤内はびくりと肩を震わせ、一歩後ろに下がって視線を床に落とす。
「は、はい。この生態管理室では、人工イヴィルの開発と管理を担当していま、います。管理室には
肩を落とす藤内に、千早は「まあ、研究室も似たようなもんだから」とフォローになっていない慰めの言葉をかけた。
藤内は気を取りなおすように、ぎこちない咳払いをした。
「では、ええと、僭越ながら説明に入らせていただきます。リザードは、三つの形態を持つ人工イヴィルです。標準型のリザード、飛行型のウインディ、機動型のハウンド、ですね。生み出す際、お二人のブラッドセルをそれぞれの子に少し混ぜました。リザードは言葉を話せませんが、混ぜたブラッドセルのおかげで主の意思をある程度汲み取ってくれます。はじめは足並みを揃えるのに苦労するかもしれませんが、少しすれば己の手足のように動いてくれますよ。ただし、化生の際にはご自身のブラッドセルを消費しますので、化生回数にはご注意ください」
「ブラッドセルを……スピアの生成みたいな感じですか?」
本当に同じ人物なのか疑わしくなるほどに滔々とした藤内の説明を頭の中で噛み砕き、夏目は以前トレーニング中に史織に言われた言葉を思い出していた。
──『スピアの生成は、自分の中のブラッドセルを体外で結晶化させて作り出すものだ。繰り返すぶんだけブラッドセルが消費され、やり過ぎると生成できなくなる。それどころか、ショック状態になって立ち上がることもできなくなるから、気をつけるんだよ』
脳内の史織が人差し指を立て、いつもの柔らかい笑みで夏目に指南をする。
藤内は何度も頷いた。
「そう、そうです。お二人なら、もうスピアの生成もお手のものでしょうから、同じ要領でリザードに指示を出してくだされば大丈夫です。疑問があれば、遠慮なく僕に訊いてください。きっとお力になれると、思います」
藤内は、にへらとした頼りない笑みを浮かべてそう言った。
さすがはアロウズの研究員だ。軟弱な印象からは想像もできないような熱意とリザードへの愛情が、言葉の節々から伝わってくる。
すごいなあ。
普段、研究室を訪れるたびに皆がせわしなく働いている姿を何度も目にしてきたけれど、具体的に何をしているのかまでは把握していなかった。いや、できなかった。飛び交う専門用語が多すぎて、何を言っているのかわからないのだ。
さっそくと言ってはなんだが、夏目は先ほどからずっと気になっていた一つのアクリルケースを指さした。
「あの、あれもイヴィルですか?」
「え? ああ……ピュアですか? ふふ、夏目さんはお目が高いですねえ。あれはピュアといって、イヴィルに成りきれなかったものたち、なんです」
イヴィルに成りきれなかったものたち。
その言葉を頭の中で反芻すると、藤内はそのケースに近づき、夏目とミトを手招きした。
スチールラックの一番下に置かれた重厚なアクリルケースの真横には一際ものものしい機器が鎮座し、そこから伸びる何本もの細い管がケースに繋がれている。
目の前に屈んだ二人の双眸がケースを覗き込んだ。
他のアクリルケースとは一線を画す、夢幻的な雰囲気を放つ小さな世界。植物やオーナメントは一切なく、ただケース内一面に黒水晶がびっしりと張り付いている。
その姿は、昔見たアメジストドームを想起させた。
黒々とした細かな黒水晶の群に、三匹の小さな蝶が羽を休めている。その羽は後ろが透けて見えるほど薄くしなやかで、その薄羽の端からきらきらと鱗粉のようなものがほどけていた。
藤内が目を細めて言う。
「ピュアは攻撃性をまったく持たない、言わばイヴィルの赤ちゃんみたいな存在、ですね。どんな顕質とも馴染みが良いので、この子たちをハブにすることで、人工イヴィルをつくり出しているんですよ」
「へえ……」
「ただ、ピュアは一等レアモノでして。空鹿でしか観測出来ない上に、こうやって高濃度のブラッドセルをケース内に補填してあげないと、霧散してしまうんです。
藤内の声がわずかに沈む。そこには赤子を案じる親のような慈愛が滲んでいた。
パンプスのヒールの音が後ろで鳴り、夏目とミトが振り返る。千早が腕を組み、困り顔で笑っていた。
「お勉強タイムはここまでにしましょ。リザードも無事渡し終えたところで、今日は大仕事があるの。このままイヴィル制圧の任務に行ってもらいます」
「へー、誰がですか?」
「あんたたちに決まってるでしょうよ」
「わあ、私たちかあ。ついにこの日が来たって感じ……」
朗らかに返事をしていた二人が沈黙する。
顔を見合わせ、互いを人差し指で指し示したあと、目を点にした夏目が千早を見上げた。
「今、なんて?」
「任務。このあとすぐ。二色と凍花に同行をおねがいしてあるから」
千早が立てた親指で後方を指し示しながら言う。
藤内が戸惑いを浮かべて二人と千早を交互に見るのを気配で感じながら、夏目は抜け出しかけていた自らの魂を現世に連れ戻し、引き攣った喉から声を絞り出す。「──き」
「聞いてないんですけどー!」
夏目とミトの叫びが、生態管理室に響き渡った。
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