ライオンに|扮《ふん》した男が、吠えている。
原始人のような、化粧。
キリンを真似た人。
全身がしびれるような、猛々しい声。
華やかで雄々しい、世界観。
私は今、ライオンキングの劇を鑑賞中だ。
文化祭の台本は、最初から行き詰った。
刺激や見本がほしくて、劇場の椅子に座っている。
「迫力満点でしたね」
「……うん」
幕が閉じて、ナギサちゃんとカフェに入った。
私はミルクティーで、彼女はアメリカンコーヒー。
クラシックが耳に入っても、心は落ち着かない。
「……はぁ」
ため息で、カップの水面が揺れた。
「ダメですか……?」
「私はホラー映画のほうが好きかなぁ。馴染めない」
すべての演者が、生き生きとしていた。
物語も、好みじゃない。
すべての生き物を尊重しても、家族を大切にしても、自分の首を締めるだけ。
現実は、生きるだけで精一杯。
「難しいですね」
「……やっぱり、無理だって。私が話を書くなんて」
「大丈夫ですよ。恵巳さんなら、絶対に最高の作品が作れますよ」
「そうは言われてもなぁ……」
私は、シナリオの執筆どころか、ストーリーを考えたこともない。
一度、図書館で勉強した。
テーマ。アウトライン、メインプロットに、サブプロット
箱書き。起承転結。序破急。三幕構成
ブレイクスナイダービートシートに、ヒーローズジャーニー。
全部、シナリオの本で目にした、専門用語。
まるで、夜の学校に迷い込んだ気分だった。
「テーマかぁ」
書きたい話も、伝えたい想いもない。
私はただ、ナギサちゃんと死にたいだけ。
「いっそのこと、ホラーでもいいですよ。お化け屋敷を劇にするんです」
「……手間、えぐくない?」
「きっと楽しいですよ」
「いやだー。苦労したくない」
そもそも、人の恐怖を引き出す自信がない。
悩めば悩むほど、自分の空っぽさに嫌気が差す。
「適当に、有名な台本をいじるだけにしよっかな……」
「それはダメです」
凛とした意思が、鼓膜を刺激した。
「……なんで?」
「あたしは、恵巳さんの作った話しか、演じたくありません」
「いいじゃん。不出来なシナリオよりはマシだし」
「気持ち悪いじゃないですか。あたしは恵巳さんと一緒に死にたいのに、知らない誰かが考えたセリフを口にしたくありません」
「……そっか」
想いは嬉しい。だけど、困る。
ナギサちゃんの態度は、メスライオンのようだ。
「……ライオンかぁ」
「どうしたんですか?」
ライオンキングより、ライオンに興味がある。
気ままに狩りをして、生きる。
いつ死ぬのかわからない、野生。
なにより、|あの瞬間《・・・・》が気持ちよさそう。
「首を、噛んでみたい」
自然と、口に出ていた。
おねだり未満の、願望。
コーヒーカップを置く音が、響いた。
「いいですよ。私の首、噛んでください」
「あ、え? ごめん、そんなつもりじゃ」
「嫌なんですか?」
「あ、えっと……噛みたい、けど……」
「じゃあ、家に帰りましょうか」
「……うん」
ミルクティーを飲み干しても、甘くない。
店を後にして、無言で歩く。
瞳孔を絞って、ナギサちゃんの首筋を見つめる。
帰宅した頃には、ふくらはぎが痛んだ。
「汗をかいたので、お風呂に入った後でいいですか?」
「入浴中のほうがよくない?」
「……たしかに。すぐに沸かしますね」
「うん、お願い」
「手洗いとうがいも、お忘れなく」
「うん」
「あと、歯磨きも」
「……うん」
入念に歯を磨くと、すぐに時間が過ぎた。
普段は気にならない、給湯終了の合図。キラキラ星だったんだ。
服を脱ぎ、湯船に浸かる。
大自然を舞台にした劇を見たあとだと、居心地が悪い。
「……失礼します」
「どうぞ」
ナギサちゃんが、私の上に乗る。
卵のように抱きしめると、手首に吐息がかかった。
「いくよ」
「……はい」
口を開き、傷一つない首筋へ、近づける。
ライオンの姿が、浮かぶ。
鋭い牙を突き立て、シマウマを仕留める。
同じ、行為。
顎に力を入れた瞬間、脳が吠えた。
歯を伝って、ナギサちゃんの血流が、鼓動が、呼吸が、神経をめぐる。
ライオンキング。
生に満ちた、物語。
私は、許せなかった。
物語が終わっても、主人公の人生は続いていくのが。
責任をとれ。
キャラの人生も、終わらせろ。
希望も、ハッピーエンドも、人間賛歌も、嫌いだ。信用できない、まがいもの。
この世界は、生きているだけで苦しい。みんな、目を背けているだけ。
見ろ。
しっかりと、焼きつけろ。
目の前の地獄を。苦しんでいる、人間を。
生きるのが当たり前とは、思いたくない……?
ううん。
違う。
ズレてる。
…………そうか。
叫びたいんだ。
私の苦しみは、当然なんかじゃない! って。
ああ、そっか。だから、私は。
「救いのない話を、書きたい」
「……あっ、恵巳さん」
水面で、一筋の赤い線がにじむ。
頭の中で、シマウマが、死んだ。