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改稿前原稿保管庫 第37話 当てた【薔薇食む】

 目を開けると、天井が近かった。

 背中の感触は、ベッドより硬い。
 体を起こそうとして、重みを感じる。

 首を曲げると、見える。
 氷枕のような、ナギサちゃんの体。
 静かな寝息を立てながら、私の腕を掴んでいた。


「……朝、か」


 狭い中で、身じろぎをする。
 窓越の空は、澄んだ蒼色だ。


「……逃避行」


 今は、軽ワゴン車の中。
 
 
 生前葬は、ネットで中継されていた。歯がゆいことに、私は有名人になった。

 100万円。鳥海恵巳に対する、賞金。

 家に滞在すると、すぐにつかまってしまう。
 選択肢はなく、中古車を買い、ペダルを踏んだ。

 寒くて狭い、逃げるだけの、目的なき旅。


「……ん」


 声が聞こえて、体が強張る。

 頭から青薔薇を咲かせながら。お嬢様が、目を覚ます。
 
 私の指が、記憶の花を摘む。
 口に入れ、咀嚼し、唾液と混ぜる。
 まだ寝ぼけている唇をこじ開け、ナギサちゃんの喉に、流し込んだ。


「おはよう。ナギサちゃん」
「おはようございます。恵巳さん」
「朝ごはん、買ってくるね」
「……すみません」 
 

 朝ごはんは、コンビニで買うしかない。
 マスクと帽子で顔を隠し、自動ドアをくぐる。
 サンドイッチとお茶。
 昨夜に頼まれた、ペンとノート。

 レジで支払いを終え、車に戻った。


「……はぁ」


 手のひらと額に、冷や汗が滲んでいる。

 
「毎日、ありがとうございます」


 ペットボトルの蓋を開け、手渡す。
 受け取る手は、青虫が乗った葉っぱみたいに、震えていた。

 彼女の腕には、物を持つ力も残っていない。


「ペンとノートも買ってきたよ。日記でも書くの?」
「はい。せっかくなので、最後まで続けたいんです」
「ナギサちゃんって、マメだよね」
「習慣づいているだけですよ」


 食事を終え、あくびを噛み殺す。


「行こっか」


 アクセルをふかすと、不安定なリズムで、エンジンが始動した。
 しばらく、ドライブを楽しむ。


「恵巳さん」
「なに? 気分でも悪い?」
「いえ、大丈夫です。どこに向かってるんですか?」
「わかんない」


 会話が終わり、無言が続く。
 海沿いの道路を通ると、自然と走行速度が上がっていく。
 

「ねえ、ナギサちゃん」
「なんですか?」
「どこで死にたい?」


 赤信号で、止まる。
 子供たちの声が、聞こえた。小学生の登校班だ。
 横断歩道を渡る姿を、テレビのように見つめる。


「うーん。恵巳さんの横なら、どこでもいいですよ」
「公衆トイレでも?」
「哀愁があっていいですね。ママの嫌そうな顔が目に浮かびます。まあ、顔は覚えてませんけど」
「覚えてないのに、憎いんだ」


 集団に遅れて、ひとりの少女が渡る。
 しかし、信号は変わっていた。
 クラクションとブレーキ音、大人気ない怒声が、耳をつんざく。

 私は静かにスピードを上げ、無視を決め込んだ。


「なんでしょうね。あたしも不思議です。憎しみだけを覚えている感じで……」
「そっか。感情は消えないんだ」
「面倒ですよね、人の体って」
「本当に」


 歩道を横目で見ると、走って戻る女子小学生がいた。
 自動車の速度を上げ、目を閉じる。


「じゃあ、死に場所でも、探そうか。誰にも見つからない場所」
「……みつかりますか?」
「わかんない。でも、納得はしたいじゃん」
「そう、ですね」
「乗り気じゃない?」
「あ、いえ……そうじゃなくて」


 意味もなく、赤信号を無視する。
 全身に鳥肌が立ち、肘から先が、固まった。

 心臓が脈打ち、血の熱さで血管がヒリつく。

 何重にも鳴り響くクラクションをすり抜け、十字路を無事に抜けた。


「寝起きのあれ、すごかったなあって……」


 唇を舐めるお嬢様の、顔。

 見惚れた時間は、ほんの一瞬だ。
 しかし、致命的。

 激しい衝突音とともに、電柱と車が、ディープキスをした。

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