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改稿前原稿保管庫 第15話 刻んだ【薔薇食む】

 夏休みも、のこり一日。

 2冊の日記を持つと、黒鉛の重みを感じる。
 読み返すだけで、頬が緩む。

 宿題が終わってから、監禁生活はエスカレートしていた。
 縄で四肢を縛って、口枷をはめたり。箱に押し込まれた時もあったなぁ。目を布で覆い、首輪をつけた日は、背筋のゾクゾクが止まらなかった。

 もっとも印象に残ったのは、一日限定の、立場逆転。
 ナギサちゃんが拘束されて、私がお世話する。
 料理も下手だし、掃除もできない。ご飯を食べさせるのも、一苦労。

 なにより興奮した要素は、あの子の名演技だ。
 たすけて。おうちに帰りたい。痛いことしないで。
 普段のしとやかな態度が消えて、年相応の少女になり切っていた。首を絞めたり、指を噛んだり、スケッチをしたり。徐々に素が出る姿も、かわいかった。
 
 
「たくさん、思い出を作りましたね」
「うん。ナギサちゃんの文字も、うれしそう」
「……言わないでください」


 無言で、浸る。
 1か月の夏休みも、終わり。


「恵巳さん。最後に……」
「……うん」


 目だけで、理解する。
 彼女が求めているもの。

 夏の思い出を、体に刻み込みたい。


「本当にいいん、だよね?」
「普段の恵巳さんって、優しいですよね」
「……普段って、なに」
「どちらのあなたも、魅力的ですよ」


 |芍薬《しゃくやく》も恥じらうような指先が、テーブルに伸びる。
 握ったのは、無骨なカッター。
 

「まずは、あたしがやりますね」
「……うん。お願い」


 採血のように、左腕を差し出す。
 リスカ跡に、吐息がかかった。


「……あたしが、塗りつぶします」
「うん。お願い」


 じっとカッターの先を、みつめる。
 徐々に、皮膚との距離が縮まっていく。


「いきますよ」
「……うん」


 刃が入った瞬間、全身が、反応した。

 オフィスでリスカした時とは、違う。
 痛い。
 鋭い痛覚が、神経を支配する。

 人間の体躯よりもずっと小さい、カッター。
 薄い刃が皮膚を切り裂き、肉の中に入り込む。

 些事に思えるのに、口が、絶叫を発した。
 血管が、赤い液体を放出する。

 体が暴れ、拒絶反応を示す。


「もう少し我慢できますか?」
「むり、むりむりむりっ!!!」


 左手を引っ張っても、動かない。全身で押さえつけられている。


「まだ塗りつぶせていませんから」
「だって……っ!」
「大丈夫ですよ。今の恵巳さん、とってもかわいいですから」


 一言で、鋭利だった痛みが、変わる。
 丸くて甘い刺激が混じりはじめた。

 カッターは冷たくて無機質。だけど、奥には、ナギサちゃんがいる。

 痛いのに、嬉しい。こそばゆい。脳が、蒸発していく。


「……おわり、です」


 息を整えて、血まみれの手をみつめる。
 しびれていて、指はほぼ動かない。
 包帯を巻いても、新鮮な赤色が滲む。
 鼻をかむと、空気は鉄臭さで淀んでいた。


「大丈夫ですか?」
「……ありがとう」


 私は、自分の体すべてが嫌い。だけど、この傷だけは愛おしくて、ルビーのように撫でたくなる。

 今度は、ナギサちゃんの番だ。


「よろしくお願いします」


 白く滑らかな肌。
 触れるだけで、鼻から息が漏れる。

 緑色の痣に触れると、白魚のような指先が跳ねた。

 血のついたカッターを、握る。彼女の手首に近づけるたび、心臓が脈打つ。


「肌、キレイだよね」
「好きですよね。あたしの肌」
「うん」


 まるで、芸術品。
 私が触れているだけで、奇跡だ。

 でも、私は今から、切り裂く。刻み込む。
 

 ああ……。
 なんて、胸が|空《す》く想い。


「いくよ」


 指に、力をこめる。


「……っ」


 暴れていた私とは、違う。全身を強張らせて、耐えている。
 眉間が波打ち、歯を食いしばり、腕にしがみつく。
 吐息が熱く、湿った。

 必死にこらえる、少女の姿。
 刃先を動かすだけで、全身を震わせる。
 くぐもった声を、漏らす。
 
 ああ。
 なんて、かわいい。

 
「……ナギサちゃん」

 
 もっと、見たい。
 我慢なんて、邪魔。
 奥底からの声を、引き出そう。

 私にだけ見せる、私だけが聞ける、私だけの、ナギサちゃん。


「あ……ぁ……」


 もっと。


「め、ぐみ……」


 まだ、もっと。


「いや……もう……っ!」


 もっと。もっともっともっともっともっと。


「——————」


 雛鳥の断末魔みたいな、叫びだった。
 血だらけの床を見て、カッターを投げ捨てる。我に返った。


「ご、ごめん」


 細い肩が、激しく上下している。
 息を整えるまで、背中をさすった。


「……恵巳さん、ひどすぎ……です」
「やりすぎたよね」
「いえ。あー……でも……」
「なに?」
「えっと、驚かないでくださいね?」


 にへらと、素朴な笑顔。
 まるで、サナギから出られない蝶のように、危うくて、愛おしい。


「ちょっと、物足りないかもしれません」


 気付いた時には、抱きしめていた。


「……ナギサちゃん、変態じゃん」
「ふふふ。誰のせいでしょうか」
「ナギサちゃんのせい」
「そうですね。あたしのせいにして、えらいですよ」


 ああ。
 やっぱり、私には、この子しかいない


「一緒に死のう、ね」
「はい。一緒に……」


 手首の、刻印。
 一緒に死ぬ、誓いの証。

 左手首をさするだけで、外も怖くない。

 夜に咲いた、9本の青薔薇。血液不足の影響で、小ぶりだった。

 ザクロのように甘酸っぱい生活も終わり、社会へと、私たちは戻る。

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