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改稿前原稿保管庫 第42話 萎れて、沈んだ【薔薇食む】

 青白い手首を、切り裂く。
 赤い体液が滴り、水面を汚した。


「これで、大丈夫だよね」
「はい」


 ナギサちゃんの左手も、赤く染まっている。

 海で、入水心中。
 ナギサちゃんと話し合って、決定した。


「崖から落下するのが、一番楽そうなんだけどな」
「すみません。あたしの我儘に付き合ってもらって」
「ナギサちゃんも、下手な」
「はい。気絶して溺死なんて、つまらないですから」
「あはは。ナギサちゃんのそういうところ、本当に素敵」


 ふと、空を、仰ぐ。
 曇天で、太陽の輪郭すら目視できない。 

 
「晴れじゃなくて、よかった」
「そうですね。日の光は、鬱陶しいですから」
「あはは。なんだか、吸血鬼になったみたい」
「文化祭を思い出しますね」
「うん。楽しかったなぁ」


 耳の中でブザーが響き、暗幕が、降りていく。
 拍手は聞こえない。

 仰々しくひざまずき、お嬢様の手に、口づけをした。
 

「あの、服は脱ぎませんか?」
「え、なんで?」
「少しでも、恵巳さんを近くに感じたいんです」
「……わかった」


 今立っている場所は、縁も|所縁《ゆかり》もない、砂浜だ。
 初めて拝む、水平線。
 馴染みがない、地面の踏み心地。

 すべてが新鮮で、立ち方もおぼつかない。
 だからこそ、最適だ。
 
 邪魔が入らず、確実に実行できる。


「ナギサちゃん、いつ見てもキレイ」
「恵巳さんも……」


 砂浜で、裸体になる。
 人の目がなくても、鳥肌がたつ。

 脱いだ服は、丁寧に畳んだ。
 角まで気を使い、きっちりと。

 交換日記。
 監禁ノート。
 体の落書きアルバム。

 3冊も、並べる。
 一瞬、違和感を覚えた。わずかに、重い。
 原因はわからない。どうせすぐ死ぬのだからと、頭を振った。

 これで、準備オーケー。


「あの、恵巳さん」
「なに?」
「改めて聞くのもおかしいんですけど……」


 ナギサちゃんの顔は、黄昏ていた。


「なんで、あたしと一緒に死んでくれるんですか?」
「理由がいる?」
「……聞きたいです」


 答えは、決まっている。


「私は、ナギサちゃんと死ぬために生まれてきたから」
「生きる理由なんて、誰も教えてくれないじゃないすか」
「だから、私自身が決めたの。無いってことは、自由に作れるってことでしょ?」
「……ふふふ」


 柔和な、微笑み声。


「恵巳さんには、敵いませんね」


 手を繋ぎ、地平線に向け、歩く。
 くるぶし。ふくらはぎ。ひざ。腰。

 徐々に、水深が上がり、体が海水に浸かっていく。


「恵巳さん」
「うん」


 彼女の体を、抱きしめる。

 最期に味わう、感触。
 冷たくて、すべすべしているのに、肉はない。

 まるでベッドで|懇《ねんご》ろになるみたいに、倒れ込む。

 布団のように、水面に抱きしめられて、沈んでいく。
 足のつかない、深い深い海へと。


――あ。


 ふいに腕の力が緩み、ナギサちゃんの体が、離れていく。

 私の体が、先に沈み、見上げる。
 思わず、目を見開き、海水を飲み込んだ。
 

――まるで、庭園みたい。


 細い体から、青薔薇が、咲き誇っている。
 全身が青色に覆われ、次の瞬間に、弾けた。

 77本。

 数えなくても、理解する。

 青薔薇たちからは色が抜け、無彩色の海が、青く、染まっていく。

 漂泊された薔薇が、羽のように、ナギサちゃんを彩る。


――てんし。

 
 子供が月を掴もうと挑むみたいに、無邪気に、手を伸ばす。

 指先が、触れた。
 海水よりも温かくて、柔らかい。

 ああ、わかる。

 私の肺が、水で満たされた。
 呼吸ができなくて、細胞が、眠る。
 脳が機能を停止し、心が凍りつく。

 苦しくて、もがきたい。
 でも、今はみつめるんだ。

 死ぬ寸前まで、愛しい愛しい顔を。



 手を引かれ、私は旅立つ。

 好きに、死んだ。

 ちっぽけな達成感を抱え、未知にあふれた、世界へと。




【後書き】
次回、最終回です

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