青白い手首を、切り裂く。
赤い体液が滴り、水面を汚した。
「これで、大丈夫だよね」
「はい」
ナギサちゃんの左手も、赤く染まっている。
海で、入水心中。
ナギサちゃんと話し合って、決定した。
「崖から落下するのが、一番楽そうなんだけどな」
「すみません。あたしの我儘に付き合ってもらって」
「ナギサちゃんも、下手な」
「はい。気絶して溺死なんて、つまらないですから」
「あはは。ナギサちゃんのそういうところ、本当に素敵」
ふと、空を、仰ぐ。
曇天で、太陽の輪郭すら目視できない。
「晴れじゃなくて、よかった」
「そうですね。日の光は、鬱陶しいですから」
「あはは。なんだか、吸血鬼になったみたい」
「文化祭を思い出しますね」
「うん。楽しかったなぁ」
耳の中でブザーが響き、暗幕が、降りていく。
拍手は聞こえない。
仰々しくひざまずき、お嬢様の手に、口づけをした。
「あの、服は脱ぎませんか?」
「え、なんで?」
「少しでも、恵巳さんを近くに感じたいんです」
「……わかった」
今立っている場所は、縁も|所縁《ゆかり》もない、砂浜だ。
初めて拝む、水平線。
馴染みがない、地面の踏み心地。
すべてが新鮮で、立ち方もおぼつかない。
だからこそ、最適だ。
邪魔が入らず、確実に実行できる。
「ナギサちゃん、いつ見てもキレイ」
「恵巳さんも……」
砂浜で、裸体になる。
人の目がなくても、鳥肌がたつ。
脱いだ服は、丁寧に畳んだ。
角まで気を使い、きっちりと。
交換日記。
監禁ノート。
体の落書きアルバム。
3冊も、並べる。
一瞬、違和感を覚えた。わずかに、重い。
原因はわからない。どうせすぐ死ぬのだからと、頭を振った。
これで、準備オーケー。
「あの、恵巳さん」
「なに?」
「改めて聞くのもおかしいんですけど……」
ナギサちゃんの顔は、黄昏ていた。
「なんで、あたしと一緒に死んでくれるんですか?」
「理由がいる?」
「……聞きたいです」
答えは、決まっている。
「私は、ナギサちゃんと死ぬために生まれてきたから」
「生きる理由なんて、誰も教えてくれないじゃないすか」
「だから、私自身が決めたの。無いってことは、自由に作れるってことでしょ?」
「……ふふふ」
柔和な、微笑み声。
「恵巳さんには、敵いませんね」
手を繋ぎ、地平線に向け、歩く。
くるぶし。ふくらはぎ。ひざ。腰。
徐々に、水深が上がり、体が海水に浸かっていく。
「恵巳さん」
「うん」
彼女の体を、抱きしめる。
最期に味わう、感触。
冷たくて、すべすべしているのに、肉はない。
まるでベッドで|懇《ねんご》ろになるみたいに、倒れ込む。
布団のように、水面に抱きしめられて、沈んでいく。
足のつかない、深い深い海へと。
――あ。
ふいに腕の力が緩み、ナギサちゃんの体が、離れていく。
私の体が、先に沈み、見上げる。
思わず、目を見開き、海水を飲み込んだ。
――まるで、庭園みたい。
細い体から、青薔薇が、咲き誇っている。
全身が青色に覆われ、次の瞬間に、弾けた。
77本。
数えなくても、理解する。
青薔薇たちからは色が抜け、無彩色の海が、青く、染まっていく。
漂泊された薔薇が、羽のように、ナギサちゃんを彩る。
――てんし。
子供が月を掴もうと挑むみたいに、無邪気に、手を伸ばす。
指先が、触れた。
海水よりも温かくて、柔らかい。
ああ、わかる。
私の肺が、水で満たされた。
呼吸ができなくて、細胞が、眠る。
脳が機能を停止し、心が凍りつく。
苦しくて、もがきたい。
でも、今はみつめるんだ。
死ぬ寸前まで、愛しい愛しい顔を。
手を引かれ、私は旅立つ。
好きに、死んだ。
ちっぽけな達成感を抱え、未知にあふれた、世界へと。
【後書き】
次回、最終回です