夏休みも折り返し。
宿題の終わりが見えてきた。
ナギサちゃんと話して、ナギサちゃんの手料理を味わい、ナギサちゃんに観察され、ナギサちゃんと一緒に眠る。
ずっとずっと、ナギサちゃんだけの生活。
「すみません。恵巳さん」
「どうしたの?」
バツが悪そうに、切り出された。
「今日、病院に行ってきます」
「え、調子が悪いの?」
「いえ。お薬をもらわないと……。最近、酷くなってきたので」
「……ああ」
ナギサちゃんの病気は、緑色の痣から青薔薇が咲き、衰弱するだけじゃない。
痛みや嘔吐感も伴う。
週に5本だけ咲いていた青薔薇は、今や14本。
日常生活を送るためにも、症状緩和は必須だ。
「お留守番、お願いしますね?」
「……うん」
「トイレは大丈夫ですか?」
「さっき行ったばかりだから」
「飲み物は、テーブルの上に置いてありますから」
全部、管理されている。
被介護者の気分だ。
でも、いい。指先が、甘くてムズムズする。
「ナギサちゃん、気を付けてね。一緒に死ぬんだから」
「はい。大丈夫ですよ。3時間で帰ってきますから」
地震や火事が怖いからと、手錠の鍵を渡された。
「いい子でいてくださいねー」
手を振って見送ると、自然と出る、ため息。
首を回すと、空間が広く感じる。
彼女が来てから、床のゴミはなくなった。
整理整頓され、不衛生の欠片もない。
お嬢様らしい清らかさに、満ちている。
でも、あの子はいない。
「……宿題、しよ」
全部終わらせれば、ナギサちゃんが驚くかも。
妄想しながら、ペンを動かす。
逃げるように集中すると、早かった。
2時間ぐらいで、終わった。終わってしまった。
顔を上げても、背伸びしても、褒めてくれる人はいない。
「……外で待っていよう、かな」
一分でも一秒でも、早く会いたい。
そうだ。
せっかくなら、出会いのシーンを再現しよう。
部屋の前で膝を抱えて、泣いているふり。ロマンチックじゃない?
足首の拘束を外して、早速、靴を履く。
半月ぶりの感覚に戸惑いながら、ドアノブを握る。
ふと、違和感を、覚えた。
「そと……」
手が、震える。
ドアを押せない。
心臓の音が、頭の芯まで響く。
「あ、れ……?」
めまい、吐き気、耳鳴りに、動悸。
ムキになって、ドアを開ける。
「……ぁ」
まるで、飛行機のドアをこじ開けた気分だった。
風が入り、匂いが、変わる。
何十もの音が聞こえた。
人が、いる。
ナギサちゃん以外の、人が。たくさん。
そうだった。
意味がわからないぐらい、世界は広い。
私に優しくないんだ。
過呼吸の予兆を感じ、ドアを閉める。
「ナギサちゃん……ナギサちゃん……」
震えが止まらない。泣きじゃくる。
部屋に戻り、あの子が寝ている布団を、取り出す。
顔をうずめると、優しく包んでくれた。
甘くて、爽やかで、品のある、香り。
落ち着きを取り戻し、時計を確認する。
すでに、ナギサちゃんの帰宅時間。
でも、いない。
どこにも、いない。
「……ナギサちゃん、ナギサちゃん。ナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃん」
会いたい。
抱き着きたい。
安心したい。
なんで、いないの?
私、見捨てられた……?
ひとりで、死んじゃったの……?
もう、帰ってこないんじゃ。
やだ。
息苦しい世界に、いたくない。
一緒に死ぬんだ。
「ただいま帰りました」
声が、聞こえた。
幻聴じゃない。
「ナギサ……ちゃん」
「え、どうしたんですか?」
いる。
ナギサちゃんが、いる。
私のナギサちゃん。安心で、心が張り裂けそう。
抱きしめると、汗の酸っぱい匂いが、胸を満たした。
「一緒に、死ぬん、でしょ? もう、離れないで……」
「えっと、何があったんですか……?」
「外に、出れなかったの。怖くて、寂しくて……。だから……」
「え? 外に出れない……?」
「ナギサちゃんがいないと……もう……」
「……え、え……恵巳さん?」
「私、壊れちゃった」
飴を丸ごと飲み込むような、嚥下音。
「……とっても、かわいい、です」
湿ったアサガオのような顔で、いっぱい抱きしめてくれた。嬉しくて、甘える。頭を撫でられて、胸に頬ずりしてしまう。
「もう大丈夫ですよ」
「……うん」
「でも、困りましたね」
「なにが?」
「2学期、どうしましょうか」
「……ぁ」
夏休みは、永遠に続かない。
高校に通うには、外出が必須。
「どうしよう……」
「これならどうですか?」
手錠で、ふたりの腕がつながった。
引っ張られながら、ドア枠を超える。
「すごい! 外に出れる!」
「よかったですね。せっかくなので、遊びに行きませんか?」
「うん!」
ナギサちゃんと繋がるだけで、震えが止まる。ニンマリを抑えられない。
夕方から、好きな店を回った。
服をみたり、アイスを食べたり、映画を見たり。
普通のお出かけだけど、手錠ひとつで、特別な気分。
21時になり、帰る途中、気づいた。
「……あれ?」
ツンツンくんが、駅前を歩いている。
不気味な様子だ。
亡霊のように、引きずった足。
顔は腫れ、薄汚れた服が忌避感をあおる。
まるで、捨てられた子犬。
無意識に手を伸ばして、手錠が引っかかった。
「……そう、だよね」
別に、いいや。
彼には、彼の人生がある。
私の人生とは、違う。
手を差し伸べても、面倒事がふえるだけ。
全部、ツンツンくんが、悪い。
「どうしたんですか?」
「なんでもない。ナギサちゃんしかいらないなって、実感しただけ」
「ふふふ。恵巳さんの正直なところ、本当に素敵です」
「もっと、一緒に死にたくなった?」
「そうですね。恵巳さんしか、考えられませんよ」
今の快楽だけ、考えよう。
余命短いナギサちゃんが、私のすべてなのだから。