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改稿前原稿保管庫 第29話 叩いた【薔薇食む】

 ナギサちゃんの記憶喪失以外にも、問題がある。

 ナギサちゃんママが、いつ強襲するか、不明だ。
 もしも、不意をつかれて、ナギサちゃんの心が壊れてしまったら……。

 私の選択肢は、ひとつだった。
 明本先生に連絡をとり、食事会が開かれる。

 場所は、2つ星のフレンチレストラン。
 反骨心から、ラフな服装で入店したけど、居たたまれなくなった。


「あ、恵巳ちゃーん」


 明本先生と、美しい女性が、すでに席についていた。
 高尚な雰囲気に呑まれながら、私はリスのように座る。


「あなたが鳥海恵巳さん?」
「は、はい……」


 声で、確信した。
 サザンカのように優美な女性が、ナギサちゃんのママだ。 


「どう? 素敵なお店でしょ? あなたでは一生入れないような」
「……当てつけですか」
「あらあら。そんなことは無いわよ。これはほんのお礼」
「えっと、なんの、ですか?」


 彼女の動きのすべてが、芝居がかっている。
 街頭演説をする、国会議員に近い。


「ほら。ナギサちゃんをお世話してくれたでしょう? あの子、気難しいのよ。反抗期って言うのかしらねぇ。一緒にいると、肌が荒れちゃうの」
「彼女は、とってもいい子ですよ」
「それは、あなたが他人だからでしょ? 外面はいっぱい教育したから」
「……」


 食事が、運ばれてきた。
 前菜。
 軽い食感の、なにか。

 手で掴んでいいのかも判断できず、ふたりの後に食べた。

 味は不思議だけど、おいしい。


「聞いたわよ。ナギサの記憶のこと」
「……病院から、ですか?」
「保護者はあたしよ。本来、あなたが寄り添っているシチュエーションがおかしいの」


 手汗がにじんで、細い息を吐く。


「眠るたびに、1か月分の記憶を失う。いいことじゃない。とっても便利」
「べん……り……?」
「だって、そうでしょう? 記憶を失うほど、あたしに従ってくれるもの」


 彼女の言葉が聴覚神経を刺激するたび、肺が冷え、視界が歪む。


「だから、あなたの記憶が消失するまで、預けることにしたわ。あと1週間ぐらいかしら」
 

 舌が、動かない。
 心の中では、何百人もの私が、叫んでいる。

 ふざけるな。
 お前のせいだろ。
 それでも親か。
 ろくでなし。
 クズ。
 人間失格。


「ちゃんとあなたの家に迎えに行くから、|安心してね《・・・・・》? もう、関係者には話を通してあるから」


 スープ。魚料理。メインディッシュ。
 食べても、感情が動かない。
 咀嚼し、嚥下するだけ。

 見た目は、おいしそう。ナギサちゃんとのディナーだったら、一生の思い出になったはずだ。

 鼓膜を刺激する音は、ナギサちゃんママの自慢話だけ。
 有名な映画監督と寝たとか、お笑い芸人を怒鳴ったとか、過去の栄光ばかりだった。

 デザートをお腹に収めても、満腹感はない。


「それじゃあ、よろしくねー」
「うん。姉さん、ありがとう」
「いいのいいの。夫の相手も疲れるし、いい気分転換になったわー。それじゃあ、恵巳さん、よろしくねー」
 

 体幹が整った後姿を見送ると、筋肉が緩んだ。


「大丈夫? 恵巳ちゃん」
「えっと……」
「高級なお店で緊張した?」
「あ、うん」


 頭が回らなくて、無意識に肯定した。


「いやー、よかったわね」
「よか、った……?」
「姉さんが許してくれたじゃない。あんなの、奇跡よ」


 私の足が、半歩下がった。


「ただでさえ、同い年の生徒で大変なのに、犯罪者になったら……もう、ねぇ」


 瞬きも忘れて、明本先生の顔を凝視する。
 嘘の言葉には、見えない。本心から、口に出してる。


「丸く収まって、よかったー。これで、ぐっすり眠れるわー」


 街灯の光を受けながら、明本先生は背伸びした。
 うなじがチラ見えすると、蘇った。授業中、前列の彼女に見惚れた、青臭い時間。


「ねえ、志緒里ちゃん」
「どうしたの?」
「転校してすぐ、なんで私に声をかけたの?」


 心臓が、痛い。
 耳鳴りがする。

 眼前の初恋は、にこやかに笑った。


「だって、あなた、寂しそうにしていたでしょ?」
「そう、見えた?」
「なんだか、放っておけなかったのよ。わたし、困っている人が好きだから」
「どう……して?」
「だって、助けたら気持ちがいいじゃない」
「……そっか」


 ああ。
 だから、助けた後に、興味が、ないんだ。

 もう、呼吸をする感覚も、失せた。
 全身がゴムになった気分だ。


「私、もう、学校に行かないから」
「あら、そうなの?」
「うん。ナギサちゃんが、私を忘れるまで」
「そう。ちょっと寂しくなるわね」


 帰り道。
 私は、ナメクジのように、進んだ。
 
 ふと、歩く気力が尽きる。考えもなく、電柱に額をこすりつけた。
 コンクリートの無骨な冷たさが、心の奥底を覚醒させていく。。


「全部、死ねよ」


 円柱を、蹴りつけた。
 街灯が明滅する中、何度も。何度も。ふたりの顔を思い浮かべながら。

 息を上げても、傷ひとつ、ない。

 
「……ナギサちゃん」


 帰って、ただ、同じ空気を吸いたい。
 純朴な一心を抱えながら、駆け足で帰るしか、なかった。

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