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改稿前原稿保管庫 第25話 塞いだ【薔薇食む】

 普段、チャイムは鳴らない。
 来客はいないし、通販は置き配にする。

 再度、鳴った。
 ドアの前に、未知の人物が、立っている。

 体がこわばって、手のひらが冷や汗で濡れた。


「恵巳さん……」


 ナギサちゃんの腕が、瞳が、震えている。
 病弱少女らしい、姿。


「隠れてよう」
「……はい」


 息をひそめ、薔薇の枝みたいな体を、抱きしめる。

 ドアを殴りつける音が、響く。
 部屋の全てが揺れ、空気が、重苦しく、沈んだ。

 
「ねえ! いるんでしょ! 出て来なさい!!」


 私の記憶にはない、女性の声。
 突如、ナギサちゃんの体が、。
 

「なんで!?」
「……ナギサ、ちゃん?」
「ママが……なんで……あ、そっか。おばさん……」


 突然チャイムを鳴らし、ドアを叩き、怒鳴っている女性が、ナギサちゃんのママ……?
 血の繋がりを感じないほど、性格が真逆だ。


「ほら! 家出なんてバカなことはやめなさいっ! あなたが外の世界で生きていけるわけないでしょ!」


 細くて青ざめた腕が、私にしがみつく。


「いや、いやいやいやいやいやいやっ!!!」
「落ち着いてっ! 大丈夫だから……」
 

 私にできるのは、抱擁だけ。


「ナギサちゃーん。ママよー。怒らないから、帰ってきてちょうだーい」


 今度は、猫撫で声。
 同じ声帯から発せられた音とは、思えない。

 そっか。
 私が嫌いなタイプだ。
 感情も、気持ちも、道具にしてる。

 全部、思い通りにさせる、狂気。


「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「……ナギサちゃん。謝らなくて、いいから」
「もっと勉強するから。お願い、怒鳴らないで。殴らないで。いい子にするから。いい子……いい子に…………。いい子って……」


 必死に、ナギサちゃんの耳を塞ぐ。
 でも、暴れるせいで、失敗した。


「返事はないのー? そっかー。そうだよねー。ナギサって、いつもそうだよねー」


 声に抑揚があるのに、冷たい。
 やまびこみたいに、部屋の中で反響する。

 
「産んであげた恩を忘れたのかな? パパがお願いするから、頑張って出産したのになー」
「……やめて、もう、何度も聞いたから……お願い……」
「ナギサを産んだ時、すっごく大変だったのよ。スキャンダルになって、女優の仕事は途絶えるし、復帰後も一苦労。もう、アタシの人生はメチャクチャ」
「頼んでない。頼んでない、頼んでない!!!」
「はあぁぁ。あんたなんか産まなければ、今頃、もっと充実した人生になっていたわ」
「恵巳さん!」


 涙に溺れた瞳が、私をみつめた。


「あたしの耳、壊して……」


 とっさに、首を横に振っていた。
 ナギサちゃんが最後に聞く声は、私がいい。


「昔から言ってるでしょ。もっと話題になることしなさいよ。ニュースになること。そうじゃないと、アタシの仕事に繋がらないでしょ?」


 小さな耳の穴に、指を入れる。
 でも、耳栓には程遠い。


「でも、許すわよ。あんたの病気、使えるの。珍しい病気。悲劇の母親。テレビのディレクターたちが、こぞって仕事をくれるわ。パパの会社の宣伝にも、きっと効果的よ」


 首筋を、噛む。
 手首の傷跡を、強く、握る。
 必死に、ただ必死に。

 でも、涙がやまない。

 思わず、奥歯を噛みしめた。
 ナギサちゃんは私のすべてなのに、母親の存在が、大きいんだ。


「あなたが青薔薇病にかかって、やっとわかったの。この子は青薔薇を咲かせながら死ぬために生まれてきたんだって」


 違う。
 ナギサちゃんは、私と死ぬために生まれてきたの。
 
 もう、聞きたくない。
 黙らせたい。殺したい。


「だから、帰って来なさい。いっぱい優しくしてあげるから。ね?」


 機嫌のいい声が、虚しく、空気にとけた。
 全部、演技なんだ。

 こんな人がいる世界、いたくない。


「はぁ。まあ、いいわ。明日も来るわねー。あ、逃げても無駄よ。専門家を雇ってるから」


 ハイヒールの歩行音が、遠ざかっていく。

 空気は、変わらない。
 緊張が、続く。
 体が震えて、息が詰まる。 


「……恵巳さん」


 粉雪のような声が、私の耳を抜ける。


「あたし、もう、死にたい、です……」
「ダメだよ。笑顔で、死なないと」
「でも、どこに逃げればいいんですか……?」


 頭を撫でようとして、手が止まる。
 吐息だけでも壊れそうな少女に、触れられない。


「あたしの頭、勝手に思い出すんです。この体、両親の血が流れてて……。どこまでも、付きまとうんです」
「……ナギサちゃん」
「恵巳さん。あたし、もう、いっぱい、生きましたよね……?」


 首を、差し出される。
 手を伸ばしても、真冬のように震えて、力が入らない。

 ふと、ナギサちゃんの瞳が、濁った。

 
「ふふふ。ふふふふふ」


 上品な笑い声が、青い唇から、漏れる。


「ああ。見てください、恵巳さん。あんなところに、光りが……」
「……え?」


 ナギサちゃんが指さす先を、見た。
 天井のシミがあるだけ。私の目には、何も映らない。


「すごいですよ。こんなの、見たことない」
「いや、何を言って……?」
「ほら、行きましょう。あんなに楽しそうなんですから」
「そこっ! なにもない!」


 無我夢中に、彼女を押し倒した瞬間、目を見開いた。
 血色のない体から、血が流れはじめる。
 鼻から、目から、頭から、涙みたいに垂れていく。

 頭部が膨らみ、顔を出す。

 幼児のように大きな、一輪の、青薔薇。


 最後の誕生日、前週。
 ナギサちゃんは、1か月間の記憶を、失った。
 

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