• 現代ドラマ
  • ホラー

改稿前原稿保管庫 第26話 揺れた【薔薇食む】

 ナギサちゃんの脳から、始業式前1か月の記憶が、抜け落ちた。

 病院の検査結果だと、異常はない。
 青薔薇病の症状とも、違う。

 ストレス性と診断されたけど、納得できなかった。

 巨大な青薔薇は、まだ咲いている。他の花弁は、数分で枯れたのに、不気味だ。
 病室に飾ると、ため息があふれ出る。


「あの……恵巳さん。何があったんですか?」


 ナギサちゃんの幼顔は、陰鬱としてる。
 私は穏やかな微笑を意識して、振り向いた。


「安心して。大したことは起きてないから」
「本当、ですか?」
「うん。ナギサちゃんは体調を戻すことだけ考えてて」
「でも……」


 不安なのかな。そうだよね。
 ナギサちゃん視点だと、1か月後にタイムスリップしてるんだから。


「ほら。日記も読んだでしょ?」
「……昨日だけ、何も書いてありませんでした」
「ナギサちゃんが突然倒れたから、書けなかっただけ」


 母親の来襲も、明本先生との再会も、忘れているべきだ。


「恵巳さんが花を飾るなんて、怪しいです」
「そうかな? そういう気分の日もあるよ」
「忙しそうに動く時は、何かを隠している時です」


 思わず、視線をそらす。


「……ごめんね。忘れたままでいてほしいの」


 彼女の表情は、晴れない。


「恵巳さんの辛そうな顔、見たくないんです」
「生きている限り、ずっと辛いよ」
「……はぐらかすんですね」


 私だって、隠し事をしたくない。
 ナギサちゃんに、人生の全部を共有すべきだ。

 脳裏に、悪夢のような想像が浮かぶ。
 母親の2文字がトリガーになり、私との営みを全部、忘れたら……。

 突然、ドアを叩く音が響いて、私の肩が震えた。

 
「ちょっと待ってて」
「誰ですか?」
「多分、看護師さんかな。すぐ終わると思うからー」


 廊下に出ると、視界に映る。明本先生の、憂い顔。


「何の用なの?」 
「ねえ、ナギサちゃんはどうなの?」
「……大丈夫。落ち着いてる」
「そう。よかったわー」


 メガホンぐらい、声が大きい。周囲に迷惑だし、ナギサちゃんに聞こえるかも。
 待合室まで、連れ出した。


「病院って慣れないわねー。辛気臭い」


 呑気な態度を見ると、歯がかゆくなる。


「ねえ、ナギサちゃんの両親に、私の家を教えたでしょ?」
「姉さん、もう会いに行ったの? 相変わらず、娘のことが大好きねー」
「職権乱用しないで」
「保護者に連絡をとっただけよ」
「そのせいで……!」


 にらみつけても、明本志緒里は動じない。


「だって、あなた、収入はあるの? 高校になんか通ってて」
「まだ、貯金はあるから」
「それに、恵巳ちゃんにはなんの権利もないでしょ? 血もつがなってないんだから」


 無意識に、足が後ずさる。


「ナギサちゃんと、約束したから」
「あのねぇ。子供相手なんだから、適当にあしらわないとダメでしょ」
「彼女は頭、いいから。私なんかより、ずっとずっと考えてる」
「いくら成績が良くても、子供は子供なのよ? 社会を知らないから、正してあげないと」
「うるさい! うるさいうるさい!」


 もう、聞きたくない。
 私はナギサちゃんと死にたいだけなのに、正論をぶつけないでよ!

 ふと、髪を撫でられた。
 アイロンみたいに熱くて、身が固まる。


「ねえ、来週、一緒に姉さんのところに行かない?」
「放っておいてよ。あと半年なんだから……」
「どうせ、姉さんはまた、家に行くわよ。エスカレートしていくかもね」
「…………」


 顔を上げると、聖母のような微笑みが、向けられていた。
 意味が分からない。


「ねえ、一体、何をしたいの……?」
「ただ、自分が正しいことを実行しているだけよ」


 ああ。
 |こいつ《・・・》は、自分の考えを、疑っていない。
 自分は正しいと、信じている。

 瞳が、立ち姿が、口調が、一切揺らぎない。

 …………あれ?

 間違っているのって……?


「大丈夫よ。全部、うまくいくから」


 言葉が、微笑みが、脳に染みる。
 約束が、揺らぐ。
 知らない私が、語りかけてきた。

 ねえ、鳥海恵巳。
 このままでいいと、思ってるの?

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する