医者の反対を押し切り、痛み止めを打った。
全身打撲で、骨にヒビまである。本来なら、全治1か月。
だけど、関係ない。
私は今、舞台袖に立っている。
キュララン。吸血鬼の姿。
レオタードにマントを羽織り、牙をつける。青白いメイクは、必要ない。
「男装の恵巳さん、素敵です」
「ありがとう。ナギサちゃんも、かわいい。おかしくなりそうかも」
「ふふふ」
お嬢様を彩る衣装は、ロココ調のドレス。
手芸部5人がかりで縫いあげた、情熱の産物だ。
物語と時代背景がズレてるけど、熱意にやられた。
「台本は大丈夫ですか?」
「私が書いたんだよ。忘れても、即興で作れるから」
「それは頼もしいです」
演技も、大丈夫。
私の目には、ツンツンくんの演技が焼き付いている。
真似するだけだ。
「でも、無理はしないでくださいね。本当は、絶対安静なんですから」
「言ったでしょ。ナギサちゃんとの心中以外では、死なないから」
「……それを言えばいいって、思ってませんか?」
「…………そんなこと、ないけど」
鋭い。
「でも、舞台の上で死ぬのって、素敵ですよね。ちょっと憧れます」
「ナギサちゃんって、ロマンチストだよね」
「恵巳さんは違うんですか?」
「私は、静かな場所で死にたいな」
「そっちもいいですねー。何回も死ねたら、色々楽しめるんですけど」
「そうだね」
何回も死ねたとしても、全部、ナギサちゃんと一緒がいい。
クラスメイトに声をかけられた。
もうすぐ、開幕だ。
「今日って、ナギサちゃんと出会った日……で合ってるよね?」
薔薇のようなドレスが、|翻《ひるがえ》った。
「覚えていたんですか?」
「ごめんね。なんとか思い出しただけ」
「それでも、嬉しいです」
幕の外から漏れる、人々の声。
体育館は埋まっている。
無理を通してでも、成功させたい。
「最高の思い出にしようね」
「はい!」
ナギサちゃんが、舞台の中央で、座る。
幕が開き、スポットライトが灯った。
ナレーションとともに、物語が紡がれる。
舞台は、中世のパリ。
主人公のエピネは、水の精霊に嫌われていた。
喉を潤すだけで、気を失い、命が削られる奇病。
伯爵である親の威光でも、治療はかなわず、死を待つだけの日々。
兄弟や民からは忌み嫌われ、心を蝕んでいった。
15歳になった、夜。
エピネは、ついに外へと飛び出した。
両親も黙っていない。
追っ手から逃げ続けていると、ひとりの男にぶつかった。
私。
吸血鬼の、キュララン。
「ちっ、男ばっかじゃねえか。血がまずいんだよ」
追手から血を吸い、震える女の子に、標的が移る。
「さてさて、女は最後の楽しみだよな」
エピネは、吸血鬼の頬を叩いていた。
理由は、本人も、わからない。
呆然とする瞳を置き捨て、彼女は逃げ出した。
次の夜。
結局、エピネは屋敷のベッドで寝ていた。
吸血鬼の顔を思い出していると、聞こえる。窓を叩く音。
「なあ、少し話さないか?」
「……え?」
「何もしないから」
はじめてできた、気兼ねない、話し相手。
仲を深める、幸福な日々。しかし、長くは続かない。
父親に見つかってしまった。
ふたりは逃避行する。
ヴァンパイアハンターに、騎士。民や魔術師。
様々な追手が、押し寄せ、問われる。
果たして、俺達は一緒にいていいのだろうか。
キュラランは、世界で最も愛おしい首を、傷つけたくない。
エピネは、自分の体が嫌いだ。
キュラランに、すべてを壊してほしい。吸血鬼になれば、水の呪いから解放される。
「……ああ。なんてことなの」
クライマックス。
観客が、溶けていく。視線だけが、残る。
ふたりの前に、父親みずから、立ちふさがった。
彼は敵国の軍隊長すら葬った、歴戦のつわもの。
キュラランの喉に、刃が迫る。
震えるだけの手が、動いた。
気付いた時には、横たわる、屈強だった、男の体。
エピネは、自分の父親を、|殺《あや》めてしまったのだ。
月のない夜。彼女は、睡魔からも嫌われた。
徐々に衰弱していく中でも、ふたりは逃げ続ける。
甘い雰囲気はない。
お互いに、謝り続けるしかなかった。
そして、ついに訪れる、別れの時。
キュラランは、ついに決意する。
弱い息が通る首筋に、噛みついた。
手を握り、太陽の視線に、さらされる。心中。
エピネ――じゃなかった。ナギサちゃんの体から、意識が抜けていく。
彼女は、首が弱い。血の味が広がる。強くしすぎた。
台本通りなら、炎に焼かれて、もがき苦しむ。徐々に反応が弱っていき、静止の余韻とともに、幕を閉じる。
このままでは、不完全。
ダメ。
最後の最後で、失敗なんて、許さない。
私は、手全体を使って、彼女の右耳を塞いだ。
唇を、心臓側の耳に近づけ、舌を伸ばす。
しとやかな体が、弾んだ。まるで、もがき苦しむ、微生物みたいに。
ヒルに近しい味覚器が、敏感な穴を、さらにむさぼる。
透明な粘膜が、口内からあふれ、胸に垂れた。
自然と、抱き寄せる腕に力が入る。
数多の視線を感じた。
でも、抱き寄せる姿としか映らないはず。
舌を大胆に押し込むと、|味細胞《みさぼう》を伝って、声が聞こえた。
――もっと。もっと。もっ、と。
ケガだらけの体が、悲鳴を上げた。
だけど、知らない。
奥へ。
奥へ。
さらに、奥へ。
脳に、近づきたい。
ぐちゃぐちゃに混ぜて、私の全部を、練り込みたい。
ナギサちゃん。
お願い。
私ね。
血よりも、ずっと、もっと、すごいのが、ほしいの……。
「あ……ぁあ……ぁ」
ハッと気づいて、顔を離した。
彼女の体に、異変が、起きている。
何本。いや、何十本だろうか。
つぼみから解放される、青薔薇たち。
ドレスを突き破り、生き生きとした花弁が、咲いていく。
枝のように細い骨身が、冷たく、動かなくなるまで……。
「なぎ……さ……ちゃん……?」
頬に、イバラ。
伸びた、緑の痣。
末期症状。
彼女の余命が、1年、縮まった。