某アッ○ル・ストアを通りかかったところ、オープン・ワークショップでビデオ編集の話をしていました。スローモーション、タイムラプス、トリミング、色調補正などなどです。技能学校に通っていた関係でインスタグラムをやっていまして(試行錯誤の過程は@sumitanabe)モバイルでできるビジュアル編集には興味があります。なのでしばらく聴いていたのですが。特にこの時間経過の速さを変える(スローモーション/タイムラプス)、という手法・概念というのは時代小説を書く時にも注意せねばならないのではないかと思い立ちました。
さて私はずっと小説というものは心理描写を書くものだと思って四苦八苦してきました。性別も歳も立場も置かれた状況も異なる登場人物を「真実らしくフィクションの人格として作り上げる」のがプロというものなのだろうなあ、と考えていました。
ただ、「人間心理を描く」としても喜怒哀楽に伴う感情の単語を使って直接的に表現する方法と、出来事や情景に仮託して表現する方法があるのは、皆さんご存じの通りでして…… (ちゃんと文学に向き合ってこなかったので今更ですが、意識して使うとメタファーにも直喩、隠喩、諷喩、提喩、換喩、活喩などの種類があると知りました)。
また、最近読んでいる架空歴史小説の作者さんが、ご自身の書き方を「出来事の関係性を書くことに絞り、装飾的な叙述は避ける」(そのことでより人物の心境を想像する余地が生まれる)のように仰っていて(作品が”年代記”であるからだとも思います。多分誤解している、すみません)、確かになあ、と思いました。私は時代・歴史小説が好きですが、それは社会や時代の制約に抗う人々の行動に感銘を受けるからですし、彼ら彼女らの思いを”私なり”に想像して感動しているのです。心理描写を読んでいるわけではなく、事象の羅列の中に煌めく人間存在が好きなのです。人それぞれ。
そのことと時間経過の扱い方とどう関係があるかと言いますと、同じ歴史時代小説でも、ある時代のある出来事、もしかしたら数時間から数日で完結する物語を書く場合と、何年何十年何百年に渡る物語を書く場合がある。短期間の話では、ある意味スローモーションのように動作一つ一つを細かく追うことになります。例えば私の大切な一冊中公新書『秩父事件』は、数日の蜂起のなかで人々がどのように動いたかを詳細に書いていて、身に迫ってきます(小説ではないのに人々がいきいきしている)。長期に渡る物語は、当然“文面に現れない日々“が多く、例えればタイムラプスのような進行になっているので、説明や接続的な出来事の挿入がないと、登場人物の変化が唐突で分かりにくくなってしまう。けれども、それだけ時間が経過していてあまり変わらなくても不自然です。またどのタイミングを取り上げて(年日時、場所)書いているのか明記しないと、ストーリーの流れを見失ってしまいがち。
何年何十年何百年に及ぶ物語というのは上記のように注意が必要-組み立て-正しい時系列はもとより読みやすさという点で、よく考慮すべきなのですね。反省。今書いている時代ものがまた迷走してまいりました。
スタンフォード大学の回廊
