今回の旅行は移動時間が長かったので、『エセー』の一巻を持っていきました。が、乗り物酔いと時差でふらふらになりほとんど読めず。懲りない。
『エセー』面白いですよね。読了するには時間がかかりそうですが、どの章からも読めますし…… エッセイだから。当時の知識層(人文学者)が何を考えていたのかが分かるという点でも歴史好きはワクワクすると思いますが、引用がたくさんあって、「この人がこんなこと言ってたのかあ〜」と古代・中世史のダイジェストを読んでいるような気にもなる。
モンテーニュも膨大な資料をさすがに全部は憶えてなかったでしょうから、書斎や図書館でこつこつとメモを取る秀才を想像すると微笑ましい。
さて、私はジャーナルを読むのが好きですし、社会科学系の論文の書き方を習った身なので、パラグラフ構成は大体こんなものだと思っている。↓
「このパラグラフでは〇〇ということを述べる。△△というデータがあり、◇◇という条件から、ホニャララと分析される。よって〇〇である」
結論を始めに明記し、分析過程をサマリーする、という順番です。
ところが『エセー』は、 ↓
「〇〇について考える。△△という事例がある。▲▲とも言われている。だが私はホニャララと思う。しかし◇◇曰く…… また◆◆によれば…… ということはホニャララではなかろうか」
のように、並行関係がつながっていく、思考過程をそのまま書き出したよう。恐らく苦手な読者もいるし、好きな読者もいそう。
私はこういう文章を読むことも好きですし、学生時代論文を書くのに苦労したので、考えていることをそのまま書けばいいのだから気軽よね、と思っていました。けれども「考えていることをそのまま書く」というのは案外難しい。
自分が思考したことを全て文章化できるかというと、恐らく不可能である。第一に、憶えていない。ブレイン・ストーミングと呼ばれるように、いくつものアイデアが常に脳内をぐるぐる回っているので、文章にまとめるためには、いちいち立ち止まらなければならない。取り落とす部分がほとんど。
第二に全ての思考が言語化できるとは限らない。既存の単語を用いても、自分のフィーリングとはなにか違う、と迷いがち。文章を駆使して「こんな感じ」と説明するか、新しいコンセプトをつくりあげるか、どちらにしても難しい。モンテーニュは己れの(近代的な)思考を記述するために、過去の文献をたくさん参考にした。それだけやっても、まだ多分、「何か違う」「もっと己れの考えを的確に表現したい」と思っていたのではないかな、などと思いました。
自分の思考や感情を言語化する、というのは自分を理解する、ということで、根源的であり、難しく、果てがなく、大切なものだなあ、というのが『エセー』の第一印象でした。次に手に取って読むのはいつになることやら…… なのですが。
