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まわるまわる

 2025年に、自分は何を読んだのだろうか、と振り返ってみると、ほとんど長編を読んでいません。なんということでしょう……!
 
 どんなジャンルでも読みますが、文学に造詣は無く、その自覚がコメントやレビューを書くことを躊躇う理由です。でも読むのは好きなのです。“文学的に”(審美的志向をもって)読めない傾向があるということだと思います。例えばシェイクスピア作品ですと、当時の社会風俗に興味も有りますが、女性が置かれた状況過酷すぎん……? と感じてしまいます。どちらかと言えば、ジャーナルのように読んでしまう。*夏目漱石をはじめ、ストーリーだけでなく文体そのものが好きな作家もいます。

 だからなのか時代、つまり一区切りの社会構造が背景となっている時代小説が好きですし、生活のなかから湧き上がった感動や悩み・疑問を描くエッセイが好きなのかと思います。リアリスティックなストーリーや描写が好き。ファンタジーでもSFでも、《《あり得そう》》と思えるほどロジカルで、または《《あり得そう》》と思えるほど非ロジカルで、重層的な世界観や展開に惹かれます。自分では書けないですけれど…… まあ自己分析はいいんですよ……

 ジャーナル、特に専門(学術)・報道記事としてのジャーナルは、“文学”に分類され得るものなのでしょうか。大学の専攻にもジャーナリズム学は有りますが、文学部であったり社会学部であったりするようです? 学際的な知識とリテラシーを要し、データや資料をリサーチし分析する能力が求めらる。その一方で、『the Economist』や『the Financial Times』など(きっと他にも有るが、私の読んでいる範囲で挙げれば)の書く記事は、ウィットに富み、インタビューイーや記者の感情も、抑えた筆致から伝わってくる、とても秀逸な文章です。私の場合、時には小説よりも読んでいて気持ちを揺さぶられることがある。“事実は小説よりも奇なり”だからでなく、事実をどのように理解したらいいのか試行錯誤する人々に敬意を感じる。

 “モキュメンタリー”の認知が広まっているならば、“文学として読むジャーナリズム”があってもいいと思う。ただし“文学として書くジャーナリズム”は、あまりにも主観的になったり検証性を誤る危険がある気がします。難しいところ……。

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