最近、執筆のペースを見直しているうちに、ふと昔――自分にとっての「書くことの原点」になった物語をいくつか読み返しました。
そうして、自分の心の整理を少しだけしてみたのです。
誰かに語り継がれたわけではない物語。
それこそが、私が小説の主軸を「生と死の在り方を探ること」に置いた理由なのだと思います。
彼らにとって、時間の流れはとても緩やかです。
人の世の王朝の興亡など、一瞬のきらめきにすぎない。
だからこそ、私は「永生の倦怠」という言葉をどうしても理解できないのです。
少なくとも、かつて人であった彼らには、そんな感覚は存在しなかったはず。
私はそれらの物語の中に、淡々とした諦めと、静かな哀しみを見ました。
とりわけ「海の女神」の物語――その話を読むたびに、胸の奥に悲しみと共に、どうしようもない怒りが湧き上がります。
それは「忘れられた物語」ではありません。
今もなお、続いている物語です。
けれども、女神が今も流離していることを知る人々は口を閉ざします。
――語れば「処理」されることを、恐れているから。
私がその感情をこうして思いきり吐き出せるのは、異国の小説投稿サイトという場所で書いているからこそ、なのだと思います。
悲しい話ですが、同時に、少し可笑しくもありますね。
それらの物語を改めて見つめ直したあと、私は以前よりも、しっかりとペンを握れるようになった気がします。
なぜなら、私が望むのは「ただ書くこと」だから。
変えられない哀しみを、変えようとするためではなく――それでも、そこに生きるものたちを描きたいから。
いずれ、生と死の境が交わるその時。
誰もが「因果応報」というものを、自らの身で知ることになるでしょう。
それこそが私が書き残しておきたいもの。
たとえ、それが誰の記憶にも残らなかったとしても。