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老人の戯言 番外編 ドンキホーテ

 ドンキホーテという有名な小説の一番有名な場面は、やはり「風車との戦い」であろう。今は風車というと「風力発電用」のどうも素っ気ない近未来風の構造物なのだが、中世ヨーロッパの風車は趣のあるものだ。オランダの風車は僕も実物をみた事があるのだが、台が尖塔風で可愛い風情がある。ドンキホーテに出てくる風車はスペインのラマンチャ地方のもので、これはもう少し土台が円筒形である。そのせいか、どうもドンキホーテの目には風車が巨人に見えたらしい。戦闘モードに突入した彼の横では従者であるサンチョ・パンサが Vuelva vuestra merced Que no son gigantes, que son molinos(旦那様 お戻りくだせぇ。そりゃ巨人じゃねぇ、風車だんべ)と言っているにも拘わらずドンキホーテは突進して風車の羽根に跳ね飛ばされる。
 どうにも、愚かしく見えるのだが、世の中にはそうした人間というのは未だに存在するらしい。
 あのフジサンケイグループの実質上のトップにいる日枝なる御仁は、副会長やフジテレビの会長・社長が本人の辞意を引き出すこともあって、辞めると伝えると「こんなことで辞めるのか、お前たちは」と激怒したそうである。
 つまり彼は何かに「戦いを挑んでいるらしい」のだが、何に戦いを挑んでいるのであろう?サンチョ・遠藤どころか「こんな会社幹部が世の中にいるんだ」と世間を驚嘆させた嘉納・港でさえまともに見える、という視力異常が発生するのはある意味凄い。
 だが、彼は本当に「闘っているつもり」なのだろう。
まあ、テレビ業界と一言で言うが、テレビ業界が「娯楽産業」というのは本質的ではないのであって、本来テレビは報道機関だからこそ、尊重されているのである。なんか女衒のものまねみたいなことをやっている奴らなどは消えて貰って一向に構わないという「風車」的意見に彼はどうやら闘いを挑むつもりらしい。本来なら経営者は社員を守る為に闘うべきなのだが、そんなことはつゆも思っていないようだ。
 それどころか、社員をご機嫌取りにホステス代わりに使う会社を「必死で守る」らしい。こんな相談役・取締役(こんな役職がまだ存在することの方が凄い)は全く不要なのであり、そんな人間が支配しているような会社であれば、「フジサンケイ自体が不要」とみんな思っているのに、彼は何と闘おうとしているのか?
 株主と闘う分には僕らは埒外だが、「僕らはそんな会社の作る番組を見ない」だけである。そんな視聴者をおもんばかってまともな広告主は出稿しないだけである。
 どうぞ闘ってください。Yes 何とかクリニックだけは君の味方だ。ドンキホーテは1人ではない。

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