先日、NHKの歴史探偵で曲直瀬玄朔のカルテから豊臣秀次の死の原因に迫るという話をやっていました。
番組によると、秀次は喘息を患っていたんだそうです。しかも、大人になってから発症したのだそうで、定期的に発作が出ていたのだとか。
私も大人になってから喘息を患い、定期的に発作が出るので、辛かっただろうなと思わず自分と重ねてしまいました。
番組によると秀次は自害だったんじゃないかという事らしいんです。
ただそうなると、何で家族や家臣は連座する事になったんだという疑問が沸きますけど、そこには触れていませんでした。
最上義光の愛娘がそれで殺されているんですよ。
さて、新章最初の話を読んで、歴史に詳しい方だとあれ?と思われたかもしれません。
蘆名平四郎盛隆を殺害した大庭三左衛門の事です。
三左衛門は、蘆名側の資料だと小姓に斬り殺されたとなっているんだそうです。
でも、話ではいずこかに逃亡してしまいました。
この話ですけど、実は本当に小姓に三左衛門が斬れたのか?と疑問視する声があるんだそうです。
平四郎が三左衛門を重用した一番大きな理由はもちろんルックスが良いという事だったのでしょうけど、それ以外に万夫不当の武者だったからというのもあるようなのです。
そんな三左衛門に小姓たちで太刀打ちできたのだろうか?そんな意見があるそうなのです。
では、仮に逃げ延びたのだとして、その後はどうなったのか?
今NHKで放送している豊臣兄弟、主人公小一郎の部下に大場土佐なる人物がいます。
この人物、本姓は大庭らしいんです。そして名は三左衛門。
……同姓同名の別人でしょうか? 戦国時代ってどういうわけか、同姓同名の別人ってあまり聞かないんですよね。そういう場合、普通は父だったり子だったりして。
ちなみにこの大場土佐、小一郎が亡くなった後は石田三成に仕え、関ケ原の戦いで戦死したとも、その後、蜂須賀至鎮に仕えたとも言われているそうです。
色々と情報が錯綜しているのは、多分、ろくに資料が残っていないのでしょうね。
じゃあ、何で蘆名側は三左衛門を斬り殺したなんて書き残したのかという事になると思います。
いや、普通に考えたら、当主を斬り殺されて、おまけに下手人にも逃げられましたとか、蘆名家からしたら面目丸つぶれですから、当たり前といえば当たり前ですよね。