最近、ちょっとしたブラウザゲームにハマっています。
「五十年転生」
https://sengokutensei.com/
というゲームなのですが、一言で言うと「10分で終わる太閤立志伝」でしょうか。
興味のある方はぜひ。
今月のお話は蘆名家の後継者選びのお話なのですが、微妙に蘆名家と針生家の関係がわかりにくいかなと思いまして、サポ限で書いた内容を少し書こうと思います。
まず、59話の内容を整理して書きますと、
蘆名家と針生家の系図は
盛高ー盛滋ー盛幸ー盛秋ー盛信
ー盛舜ー盛氏ー盛興ー盛隆ー隆氏ー義広
という感じです。
止々斎盛氏の父盛舜は嫡男ではありません。
嫡男は盛滋です。
戦国時代、多くの地域が守護代や有力国人を中心に、徐々に徐々にまとまっていきます。
いち早くまとまった地域が他の地域を吸収しようと兵を送り、そんな感じで戦国大名が生まれて行きました。
ですが、書いている感じで察していただけるかと思うのですけど、現在の福島県、磐城、岩代はもう戦国も末期だというに、まだ小さな国衆が割拠しています。
普通の地域でしたら、どこか有力な家が大小の国衆を束ねて、周辺の大きな家と小競り合いを繰り返しているところです。
じゃあ、そんな動きが無かったのかというと、ちゃんとありました。
蘆名家の支配している会津地域には、西や南の山間部に、山内、河原田、長沼といった外様の国衆たちがいるんです。
自然とそんな状況になるわけではありませんから、こうした国衆を従えて、会津の覇者となった人物がいるという事になります。
それが盛高(盛氏の祖父)でした。
これが1470年代というのですから驚きです。なんと、応仁の乱の真っ最中に、蘆名家はいち早く戦国大名になったんです。
後世の我々からしたら「蘆名盛高すげぇ!」って思うのですけど、周辺の家々はまだ室町時代を謳歌しているわけです。
いきなり周辺の家に喧嘩を売り出したら、我々が隣国の覇権国家を見て野蛮だと感じるように、身内からしても「あの人ちょっと野蛮だよね」って感じるわけです。
その結果、盛高は嫡男の盛滋と対立。盛滋は家出して伊達家に逃げてしまったんです。
盛高はそんな嫡男をさっさと廃嫡し盛舜を世継ぎに据えました。
後に盛滋は父と和解して蘆名家に戻るわけですけど、その時点で自分は針生と姓を変え、別家を立てる事にしました。
史実では蘆名家は滅亡してしまうわけですが、実は蘆名家そのものは残っています。
お話の中では「針生民部」という名で出てくる針生盛信が伊達家に仕えて生き延びるんです。
その時点では盛信は針生姓で仕えているのですが、盛信の曾孫の代で蘆名姓に戻しています。
史実では蘆名家を継いだのは、佐竹義重の子で、結城家に養子に行っていた「喝食丸」こと蘆名義広です。
多くは書きませんが、義広は蘆名家滅亡後、佐竹家に帰っています。
佐竹家は秋田県の久保田藩に転封になるのですけど、義広もそれに付いて行っています。
その後、蘆名家は子の盛俊が継ぐのですが、若くして病死。
盛俊には千鶴丸という遺児がいまして、家督を継ぐのですが、3歳で病没。こちらの蘆名家は断絶してしまいました。