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“祈りの思念エネルギー”はこの宇宙の森羅万象全てを超越して対象の本質に徹底的に作用する力と特性を秘めているモノの、しかし一体“それは何故なのか”と言えばこの“純粋法力”とでも言うべきパワーは、かつてこの全次元宇宙を創世した“始源の超神”の放つ“愛の光り輝き”と全く同威同質のモノだからである。
私達のような“真っ当な霊なる者達”と言うのは誰もがこの“始源の超神”の“分身体”、即ち“分御霊”を魂の奥深くに秘め宿している訳であり、それは本当に純粋なる領域に立ち返った瞬間にのみ顕現させる事が出来るのだが、この力は“絶対的意志力に支えられている無限エネルギー”とでも言う事が出来る代物であって、要するに“始源の超神”の放つ特大級の“深域精神感応波”なのである(私達人間の言葉に直せばこの表現が最も近しいだろうと思われる)。
それは“意志の力”だけで宇宙全体に歪みを発生させ、現実を作り変えてしまう程にまで強烈なパワーを秘めている訳であり、それによって“許さない”と言う怒りの念意に作用して“許す”と言う慈愛の波動に作り変えてしまう効能を有しているのだ(要するに己の願い通りに現実を作り変えてしまう力を、“真っ当な人間達”ならば誰もが持っている、と言う訳である)。
それに加えてもう一つ、“相手に本当に申し訳無い事をしてしまった”、“何とかしてあの時の事を謝りたい”と言う謙虚にして真摯な気持ちが被害者に伝わった瞬間、相手の心の傷は癒され、頑なさが解れるのである。
そう言った事も手伝ってだから“許さない心”を“許す意識”に変える事が出来るのだが、ここには更にいくつかの注意点が存在する。
まず一つ目に、“誠意を尽くせば必ず思いは伝わり願いは叶う”と言うのはあくまで“自然状態下では”と言う前置詞が付く、と言う事であり、その二つ目は基本的に“祈りを捧げている最中はその内容を第三者に知られてはならない”と言うモノである。
一つ目の注意点から解説して行くと、基本的にこの世と言うのは“意志と意志のぶつかり合い”の世の中であり、尚且つ誰もが“足の引っ張りを持っている”と言う事実を見つめ直す必要がある。
例えば好きな男子が出来たとして、そのハートを射止めたい、と思った時に別の誰かが同じ思いを抱いていたなら、当然そこでは“意志と意志のぶつかり合い”が生じる訳であるがこの時、より多くより強く祈りを捧げて努力した者が(即ちより多くより強く誠意を尽くした者が)最終的な勝者となり新しい現実を作り出す事が出来るのだ(ちなみに“足の引っ張り”とは周囲の妬みや恨み、そして“過去世からのカルマ”だと思って下されば解りやすいだろうか)。
そして二つ目に関してなのだが、実は神道の大元である“古神道”に於いては“願い事というのは秘密にする事で神が宿る”と言う教えが存在している、即ち“秘密”は“火水”であり“火水”はやがて“カミ”となる、と言うモノである(そして“カミ”とは=で“神”である)。
その為、決して願い事の内容を自分と神以外の誰かに知られてはならないのである(そうしなければ“効力がなくなってしまう”とされている)。
注)他にも“誠意を尽くす”と言うのは人を見て行わなければならない。
例えば最初から“こちらにたかってやろう”、“利用してやろう”等と考えている人間に“誠意だ”等と言っても無駄であるし、第一危険である。
それに加えて“過度な被害者意識”や“被害妄想”を抱いている人間にも気を付けなければならい(あまり他人様の事を悪し様に言いたくは無いのだがそう言う人間と言うものは、そもそも意識や性根が歪んでいる場合が殆どであり一般的な常識が通用しないのである)。
皆様方もどうか気を付けてもらいたいモノである。
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以上になります、ここまで読んで下さりまして誠に有り難う御座いました。
ちなみに、なのですが。
もしこれを読んで“確かにそうだな”ですとか“これは有りだな”と共感を抱かれたり、理解を示して下さった方。
あなたの中には既にして私と同じ“答え”があった、と言う事なのでしょう(それが何かの切っ掛けで表面化して来た、そう言う事であろうと思われます)。