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“何が一番大切なのか”

 皆様方こんにちは(こんばんは)、私はここ“カクヨム様”でお世話になっている携帯小説家の一人でして“名無しのチー牛”と言う者です(まあ、今更自己紹介は必要無いかも知れませんけど)。

 いつもいつも“小説”や“近況ノート”を見て下さりまして誠に有り難う御座います(特に支持して下さったり反応を返して下さっておられる方々、本当に感謝しております←凄い励みになっているんですよ?いやマジで)。

 さて実はこの度、私は軽度の“熱中症”になってしまい(まだ正式に医者に掛かった訳では無いので自分で勝手にそう思っているだけかも知れませんけど←でも多分、間違いないと思っています)かなり大変な目に遭いました、頭がとにかくフラフラして来て呼吸が重く苦しくなり、立っているのが辛いのです(何もしていないのに凄い早さで体力や気力が奪われて行くのを感じました)。

 体が内側から熱を持ち、熱くて熱くて堪らない上に冷たい物が欲しくてどうにも我慢が出来なくなりました(真面目に座っていてもしんどくて、ただただクーラーの効いた涼しい部屋で横になっている事しか出来ませんでした)←しかもこの“熱中症”の一番厄介な所は“一度でもなってしまうとちょっと暑い場所に行くだけで何度でも再発する”と言う事です(半端なく辛かったです)。

 で、このお話にはまだ続きがありまして、体を冷やしすぎた結果今度は“夏風邪”を拗らせてしまい、今は“咳”と“くしゃみ”に苛まれつつ、この“近況ノート”を執筆させていただいております(冗談抜きで皆様方も“くれぐれも”お気を付け下さいね?)。

 さて自分の近況を報告させていただいた所で、皆様方にちょっと不思議なお話をしようかな?とか考えております(話の流れ的には昨日の続きみたいなモノなのです)←人によってはちょっと“宗教色”と言いますか、“スピリチュアル”な色合いが強いので“興味が無いな”ですとか“コイツはヤベーや”と思われたなら読むのをお止め下さい(どうかよろしくお願い致します)。

 突然ですみませんが皆様方は“聖書”を読んだことがありますか?←まあ多分“無い”でしょうね、ですけど別に良いんですよ?そこはそんなに大事な事ではありません(ま、読まないよりかは読んだ方が良いのかも知れませんけど)。

 実はね?“聖書”を読むよりも何よりも(それこそ“クリスチャン”とか“ムスリム”とか“一般人”とか関係なく)、一番大切な事があるのですがそれが一体何か解りますか?

 それは“神を愛する”と言う事です←“はい来たーっ!!!”ですとか“何言ってんだ?コイツは”と思われるかも知れませんけど、実はこれは“聖書”だけ読んでいても解らないんですよ(何故ならば今ある“聖書”はおよそ1500年~2000年前に“ユダヤ教”の“ラビ達”によって編纂されたモノでしてその際、“時の権力者達”や“教会側”にとって都合が悪い箇所に加えて全体的な整合性が取れない箇所等は全て軒並み削除されてしまっているからです)。

 実は当時には“聖書”以外にも“神の声を記した写経本”、いわゆる“正典”と呼ばれていた書物が複数存在していました←皆様方も聞いた事があるかも知れませんが“エノク書”とか“十二族長の遺訓”とか呼ばれているモノです(ただし今ではこれらは“偽典”とか“外典”の烙印を押され、その大半が歴史の闇へと葬り去られてしまいました)。

 そこには“なんで神様が人間を作ったのか”、“なんでカインはアベルを殺したのか”、“なんでノアの大洪水が引き起こされたのか”等の真相が克明に記録されており、調べてみると中々に面白いのですが。

 そこは全部吹っ飛ばして“聖書”や“モーセ”、そして“イエス”が何を一番言いたかったのか、と言えばそれは先述の通りです(即ち“神を愛する”と言う事です)。

 “神を愛する”、それはね?“律法を守る事”でも無ければ“神に従順に付き従う事”でも無いんです←いや、まあそれもそれで大切な事なのかも知れませんけど、それよりも何よりも大切な事は“神様が私達を愛してくれたように”、“私達も他者を愛する”これを実践出来るかどうかなのです(それこそが“神を愛する”と言う事なんですよ?)。

 これを読まれている作家さん達は“神様”に近しい立場に立って物事を考える事が出来ると思われますが、あなた方が世界(物語)を造り出す際には集中して“それ”と向き合い、“己の全能力”と“ありったけの思い”を込めて“一分の隙も無く”、また“落ち度もないように”。

 大切に大切に、そして懸命に創造を行ってゆくハズです(少なくとも私の場合はそうなんですよ)。

 自分の情熱を傾け、希望を託し、出来る限りの能力を駆使して一切の妥協無く魂を込める。

 そうやって生み出された世界(物語)は最早、自分と言う宇宙の“誠意と祈りの結実”であり“真心と愛情の顕現”、それそのものに他なりません←そしてそれは神様も同じなんですよ?

 この宇宙に存在している森羅万象、ありとあらゆる“霊なる者”は全てが“神の愛の結実”であり“願いの顕現した姿”なのです、そしてだからこそ。

 この宇宙に生きとし生ける、全ての“霊なる者”達は全て互いに愛し愛されなければならない、愛し合わなければならない。

 それが“宇宙の法”であり“宇宙の秩序”であり、そして“宇宙の愛”なのです(だから“人間は他者を愛さなけばならない”、“神が自分を愛してくれたのと同じように”)。

 ちょっと今日はヤバい方向に話が行き過ぎてしまっているので“アレ”なんですけど、でも皆様方も何となくは共感出来るでしょ?自分が創造主の立場に立つと(“全精力を込めて出来上がった物語”ってとても尊くて美しいじゃないですか、大切にしたいじゃないですか←反対にそれを踏み躙られたくないし壊されたくもないじゃないですか)。

 その気持ちなんですよ、その気持ち←それを他人に持てれば良いのです(多分ね?)、隣人を愛して敵を救う、多分だけど神様はそれが言いたかったんじゃないのかな(“汝の隣人をアガペーせよ”、“汝の敵をアガペーせよ”と言うヤツです)。

 そんな事を思う今日この頃です(あの、ここまで捲し立てておいてなんなのですが、これらはあくまで“私の考え”と言うか“感じた事”ですので変なドグマを抱かないで下さいね?)。

 あとね?もう一つだけ皆様方にお伝えしておかなくてはならない事柄が御座います←それは“この宇宙は無限では無い”と言う事です(“なんでもかんでもやって良い”訳では無くて、“やって良い事”や“悪い事”の限界があるんですって)。

 それを良く覚えておいて下さいね?←ちなみにこれは“宇宙人”から教えてもらった事なんですが、それを信じるかどうかはあなた次第です!!!

 それでは“アディオス!!!”←(スペイン語で“またね!!!”の意味)

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