第14話: “Live for me, as I will live for you.”


「3、2、1、――行け! ソフィア!!」


その声と同時に、青いアイギスの結界が泡沫の光へと変わり、霧散していった。


守られていた世界が消えた。


たったそれだけのことなのに、洞窟の空気が一瞬で重くなった。


冷たい湿気。


岩肌を伝う水音。


奥で鎖が軋む音。


そして――黄金の髑髏と目が合った瞬間、私は恐怖に足が竦みかけた。


それと同時に、あの怨嗟を受けた時の気分を思い出した。


まるで二日酔いをした翌日に、また迎え酒をした時のような……空になったはずの胃の内容物が逆流してくるような、気持ち悪さ。


いや、まだそれの方が百倍マシだと思えるほどの悪寒が、頭をよぎった。


一瞬、情けないくらいに、私は逃げたいと思った。


でも、赤い外套を羽織っていると、徐々にその気持ちが和らいでいくのを感じた。


それはまるで、祝福されているような……いや、それは大袈裟だった。


私の言葉で言うなら――


そう……


大切な人が側に居てくれる……そんな温かさだった。


大丈夫。


そう思った瞬間、竦みかけていた足に力が入り、最初の一歩を踏み締めることが出来た。


そして、また一歩。


足が歩くことを思い出したように、軽やかになったように、前へ進めた。


そう、1分だ。


1分だけ、あいつを引きつければいい。


ソウが死なないために。


私が、ソウを死なせないために。


そして……私が死なないために。


私が死ねば、きっとあの不器用なお人好しは、気にしなくても良いことさえ、背負い込んでしまう。



「おい、こっちだ……バケモノ!!!!」



今思えば、アレは去勢だったのかもしれない。


膝が踊っていた。


だから私は右膝へ喝を入れるように叩いてやった。


思いっきりな。


びびっているからじゃない。


これは……


武者震いだ。


だから私は笑ってみせた。


ソウが安心して、自分のことに専念出来るように。


次の瞬間、動きを止めていた黄金の眼窩に、光が灯ったのを感じた。


来る!!


そう感じた私は、咄嗟に愛息子たち――《Glock 43X》と《Savage Lady Hunter》を構え、撃った。


狭い洞窟内に火花が散った。


Glock 43Xから飛び出された弾丸は何発もバケモノの体に命中した。


分かっていたことだが、バケモノに愛息子たちの銃弾は一切通じていないようだった。


弾倉が空になり、すぐさま予備のマガジンを装填する。


それと同時に、バケモノの巨大な左手が私の頭上へ降りてこようとしたので、右側へ飛んだ。


大きな衝撃音と共に、洞窟そのものが砕けるような地響きがした。


すぐに体勢を変え、濡れた岩場を蹴る。


足裏が滑る。


それでも走った。


時間を稼ぐ為。



息が上がるのと同時に、私の肺が焼けるような感覚がした。


退役して以来、こんなに息が上がる思いをしたのは久しぶりだと思いながら、左胸ポケットにしまった煙草の箱を確認する。


これが終わったら、しっかり味わってやる。


そう思いながら、私は駆けぬけた。


右腕に付けた時計を見ると、まだ10秒しか経っていなかった。


まだ10秒。


胸の中で何度も繰り返した。


人生で一番長い1分が、もう始まっているのだと。


でも、不思議とさっきよりは恐怖心が薄れている自分に気付いた。


このマント――《赤い外套》が力をくれているのが分かる。


そう思ったのも束の間、怪物の大きな右手が私の頭上ぎりぎりを掠め取った。


何とか避けられた。


だが、そんな幸運は続かないと自分でも分かっていた。


それは、この怪物が徐々に速度を上げていると感じたからだ。


単調な動きから、左右の腕を駆使した精密な動きへと変わってきている。


左右三対ある腕が、私の退路を塞ぐ。


《Glock 43X》の弾が切れ、最後の予備マガジンへ手を伸ばそうとした時、私は自身の死角――左側を突かれた。


しまっ……


頭でそう思った瞬間、まるで分厚いタイヤのような塊が、私の身体に衝撃を与えた。


「ソフィア!!」


ソウの叫ぶ声がしたが、私はあえて右手の親指を立てた。


大丈夫だってね。


口の中に苦い鉄の味が広がるのを感じたが、おかげで気を失わずに済んだ。


……だが攻撃の手はやむことはなく、体勢を直そうとする私に向かって無数の手の槍が落ちようとした時、私は“あの言葉”を放った。


「Ἀϊδωνεύς《アイドーネウス》ーーー!!」


そう、あの時ソウが言った言葉だ。


無数の手の槍が私の身体を貫く前に、私の身体はその場に馴染むように透過した。


ソウ曰く、とある聖遺物オーパーツを、この赤い外套に組み込んだらしい。


まるで神話に出てくる冥界の王が持っていた帽子の逸話に似ていると、その時は思った。


それにしても、間一髪だった。


私は逸る鼓動を鎮めるように胸に手を置き、呼吸をする。


怪物も突然、私が透明になり視認出来なくなったのか、その大きな奈落のように深い瞳を必死に動かし、探しているようだった。


気付けば、私は右手の時計を見ていた。


もうすぐ1分。


だから、これが最後の反撃のチャンスだと思い、覚悟を決めた。


何度か深呼吸をすると、呼吸が整ったのが分かる。


それと同時に姿勢を立て直し、バケモノの胸へ飛び込んだ。


バケモノが私を視認していないと確信したので、その胸に向かって《Savage Lady Hunter》を構えて放った。


反撃の一撃は、決してこのバケモノを傷つけることはない。


それでも、一瞬の隙を突くことは出来た。


私の透過が解け、次第にその姿が戻ると、ソウが叫んだ。


「今だ、ソフィア! 走れ!!」


その一言に反応するように、私はソウに向かって走った。


背後では怪物の呻き声と、私を追ってくる地鳴りが洞窟を震え響かせていた。


走れ――


足を止めるな――


振り返るな!!


振り返ったら、もう二度と走れなくなる。


そんな思いがしたから、私はソウを目がけて走った。


ソウは左手をじっと地面に付けて、何かをしている。


まるで地面と左手が繋がっているように。


大樹が根を地に張り巡らせているように、青白い光がソウに向かって駆け巡っていた。


ソウを中心に、それらは激しく勢いよく集まっていくのが分かる。


あとはソウの側に戻り、彼が構えたら支えるだけ――


それだけなのに、この一歩が、この一秒が、長く感じる。


息が上がり、肺が苦しくなるたびに、禁煙や卒煙の二文字が一瞬頭をよぎったが、それが無理なのは私自身が一番知っていることだった。


思わず笑みが溢れてしまった。


こんな状況でも笑える私は、狂っているのかもしれない。


いや、違う。


それは、すぐ目の前に居るソウと目が合ったからだ。


痛ましい十字傷を背負ったその顔が、安堵のような優しい笑みになったのを、私は見逃さなかった。


距離にして、きっとあと一メートル。


私は最後の力を振り絞ってその左手を、まるでハイタッチするように力いっぱいに叩いてやった。


「やっちまえーーー、ソウ!!!!」


私はすぐにソウの後ろに身体を重ねて、両手で左手を支えた。


その瞬間だった。


あの怪物が鳴らした地鳴りとは比べ物にならない揺れを、私は足元から感じた。


まるで飛行機が離陸する時のような激しい揺れが、私の身体にまで伝わってくる。


それはソウの足元からだった。


青白い光は地面から足元へ、足元から上半身へ昇り、左手の金色のブレスレットへ集まっていく。


集まった青白い光は激しい稲妻になり、それがまるで台風のような暴風となって、ブレスレットを震わせていた。


支えている私の手や身体にも、静電気のような鋭い痛みと衝撃が走る。


この距離ですら私にも痛みが走るなら、これを纏っているソウの痛みは私の比じゃないと思った。


そう思うと、身体が自然とソウとの距離を密着させた。


きっとこの行為には意味は無い……


無いけど、少しでもその負担が減れば、きっと――


その痛みを少しだけでも、私が引き受けられるような気がした。


そんな想いが、この一瞬の中で頭の中を巡った。


その時だった。


確かに、私には聴こえた。


その一言が。


「ありがとう……ソフィア」


それと同時に激しい光が私の目を覆い、強い衝撃が身体を突き抜けていった。


私が覚えているのは、ここまでだった。


意識が薄れていく中で、ソウのその言葉が頭の中でリフレインしていた。


それは……


まるで正義の味方の決め台詞のような言葉。


“Κεραυνὸς Ὑπέρορμος《ケラウノス・オーバードライブ》”

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 21:00 予定は変更される可能性があります

『クロス・オーバー ――いつか君と重なる未来――』 © 一ノ瀬 玲央(Reo Ichinos @reoichinose500

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ