チョコレート王の沈黙

金時まめ

〜 チョコレート王の沈黙 〜


白い生クリームの大地に、真紅のいちごが誇らしげに実る、かの王国の

遥か西に、静かに栄える国がある。


白とは正反対の大地が広がる国だ。


艶やかな黒の平原の先には、深い茶の森が広がる。

月光を含んだ黒の地平線には、

甘くはない、けれど深く静かな香りが満ちている。


溶ければ形を失い、

適温を保てば凛と立ち上がる。

温度こそが、この国のすべてだった。


そう

ここは、チョコレート王国。


そして王は、今、沈黙していた。


王がいるのは豪奢な玉座ではない。

大理石の作業台の前に立ち、

溶けたカカオを静かに撹拌している。


急いだチョコレートは価値を持たない。

王が認めるのは、

“待てた”チョコレートだけだった。


沈黙のまま、ゆっくりと作業する王の足元を、

小さな臣下たちが、ちょこちょこと行き交っている。


「陛下、温度が少し上がっています」

「陛下、今夜は湿度が低めです」


王は答えない。


けれど――

ほんのわずか、撹拌の速度が変わる。


臣下たちは顔を見合わせた。


「……聞いておられますね」

「ええ、ちゃんと」


この国の臣下たちは知っているのだ。

王の沈黙は、“無視”ではないということを。


それは、

我が国の王――Cacao Majestéだけができる、

温度との対話の時間なのだ。




「陛下、急がなくてよろしいのですか?」

一番小さな臣下が、おそるおそる尋ねた。


「他の国では、もう包装を終えた箱が山のように積まれていると……」


王は撹拌を止めない。


「……急いだ甘さは、崩れやすいのだ」


低い声が、静かに落ちる。


久しぶりに聞いた王の声に、

臣下たちは嬉しかったが、

それと同時に緊張で、ぴたりと動きを止めた。


王は続ける。


「急いで固めたチョコレートは、割れたときに、音が鈍い」


その言葉に、

少しおしゃべりな臣下が目を輝かせた。


「では陛下は……“良い音”を待っておられるのですか?」


王は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「そうだ」


「…陛下の“今だ”までって、いつも少し長いですよね」


と他の臣下が小さな声でぽつりと言った。


「…聞こえているぞ」


と王の低い声。


「ひゃっ!」


うずくまりひれ伏す臣下に対し、王の横顔にはたしかに、

かすかな笑みが浮かんでいた。



小さな臣下が、さらに勇気を出す。


「ま、待つのは……怖くないのですか?

その、もしタイミングを見誤ったら、……」


王は一瞬だけ、手を止めた。

艶やかな黒の液面が、ゆらりと揺れる。


「怖い」


その一言に、臣下たちは息をのむ。

だが次の瞬間、王はふっと小さく笑った。


「だから、面白いのだよ。

温度は生き物だ。

思い通りにならぬからこそ、対話のしがいがあるというもの」


また沈黙が訪れた。

けれどその沈黙は、先ほどより、やわらかい。


「温度との対話を投げやりにはしない。

それは、自分を裏切ることになる。

だから私は、温度を信じている」


王の静かな独り言。

臣下のひとりが、小さな型を抱きしめる。


「……では、私たちも待ちます」

「陛下が決める“今だ”の一言を」





それからどのくらい経っただろう。

空気が、ほんのわずかに、震えた。

王の目が細くなる。


「――今だ」


臣下たちは一斉に動く。

王はゆっくりと型へチョコレートを流し込む。


無駄な飾りはない。

けれど、黒く、静かに、完璧な艶がそこにあった。

並べられた型たちは、固まるまで待つ。


誰も触れない。

誰も急かさない。


やがて。

王が一片を割った。


――カン。


澄んだ音が、小さく響いた。

臣下たちが一斉に目を輝かせる。


「……きれいな音」

「はい。これが“陛下の音”です」


王は小さく頷く。


「わたしも、みんなも。ちゃんと待てたな」


その声は、誇らしさよりも、安堵に近かった。




艶やかな黒の平原は、今夜も静かに光っている。


この国では、

沈黙は、逃げではない。

沈黙は、温度を信じる覚悟だ。


そして臣下たちは知っている。


王が言葉を少なくする夜ほど、

この国の香りは、深くなるのだと。


チョコレート王国は、今日も静かに息をしている。


甘くはない。

けれど、たしかなる温度を保って。

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