ちゃんと言えばいいのに
わたねべ
第1話
西日の差し込む大学の研究室。ドアを開けた瞬間、ムラヤマは足を止めた。
テーブルの上で、先輩のノムラがこそこそ何かを広げている。
「何してるんですか、先輩」
振り返ったノムラの手元には、見慣れない雑貨が散らばっていた。
「い、いやあ。ちょっとね……」
泳ぐ視線、不自然に丸められた背中。ムラヤマは怪しんでその手元をじっと覗き込む。
「あっ……。また余計な買い物をしましたね。活動費の無駄遣いはやめてくださいって、教授からも釘を刺されているじゃないですか。本当に必要なものならちゃんと言ってくださいね」
「ちがうちがう!これは自腹だよ。僕のポケットマネー!」
ノムラは両手をぶんぶん振って必死に否定する。
「自腹?クラッカーって……。そんなもの、何に使うんですか?」
「あー……、そう! 今度の研究テーマに必要で」
ムラヤマは疑いを込めた、じっとりとした目を向ける。
「今度のテーマって、今度は何について研究するんですか?」
「……祝いについてだよ」
ムラヤマは眉間にしわを寄せて、テーブルに視線を向けた。
「だからクラッカーを……?」
「そう。お祝いといえば、何か特定のイメージがあるだろ?ちなみに君は、お祝いの言葉と聞いて、何が初めに思い浮かぶ?」
「突然ですね。ぱっと思いつくのは『おめでとう』、ですかねえ……」
必要以上に頷いて見せるノムラに、ムラヤマは再度、疑いの視線をぶつける。
「何やら、ずいぶん満足気ですね……」
「ごめんごめん。求めていた回答をしてくれたからつい……」
ノムラは待ってましたと言わんばかりに、身を乗り出す。
「君が言ってくれたように、お祝いの言葉として初めに思い浮かぶのは『おめでとう』という人が多いと思うんだ。でも、よく考えると、『おめでとう』そのものに祝いの意味はないんじゃないかと思って」
ムラヤマは、言語系ゼミ生としての好奇心を刺激された。
「……どういうことですか?」
「『おめでとう』っていうのは、行為に付属しているだけで、言葉そのものは実体を持たない、いわば『偽装語』だからだよ」
「偽装語……?というか、実体がないってどういうことですか」
ノムラはペリペリと糊付けをはがして、クラッカーを手に取って見せた。
「例えば、クラッカーを鳴らしながら『おめでとう』と言ったら、君はお祝い事だと感じるでしょ?」
「そうですね」
「ケーキを差し出して『おめでとう』と言っても、やっぱりお祝い事だと感じる」
「それもまあ、そうですねえ……」
「物がなくたっていいかもね。例えば、笑顔で拍手をしながら言ったらどう?」
「祝ってもらっていると感じます。というか結局、『おめでとう』は祝いの言葉じゃないですか」
ノムラは、手の上で転がしていたクラッカーをテーブルの上に置いた。
「じゃあ、こんな風に、ため息をつきながら『おめでとう』と言ったら?」
「……『なんだコイツ、また自慢かよ』みたいなニュアンスを感じますね」
「『おめでとう、おめでとう。すごいですねえ』と、平坦なトーンで二回繰り返して、さらには褒める言葉まで付け加えたら?」
「ウザいです。絶対馬鹿にしてますね」
「そうなんだよねえ。だから『おめでとう』という言葉自体に祝いの力はなくて、周囲の行為に付随して、祝いの言葉に見せかけているだけの『偽装語』だと思うんだ」
「はあ……」
「あら、納得がいかない?要は、『今回はこういう意味ですよ』と、事前にちゃんと言ってあげなければ『おめでとう』は空っぽの文字列になるんだよ」
ムラヤマは疑問半分、納得半分といった表情で腕を組んだ。
「でもそれって、単に文脈依存性が高いってことですよね?」
「いや。『おめでとう』はその域を超えて、僕たちの日常に祝いを象徴する言葉として、まるでその役割を担っているかのように偽装して溶け込んでいる。君だって、直接的な意味を持たないはずのこの言葉を、真っ先に祝いの言葉として思い浮かべたでしょ?だからこれは『偽装語』なんだ」
饒舌になった男のドヤ顔を見て、ムラヤマは短く返した。
「なるほど……」
「まだ、すっきりしないみたいだね」
「いや、終始ドヤ顔なのがうざいなと……」
「ひどいっ! チクチク言葉だよ、それは!」
「冗談です。納得しましたよ」
「冗談か……、まあいいよ。実際、反応がうれしくて舞い上がってたからね」
二人して小さく笑い合った、その直後、ムラヤマの目が鋭く光る。
「時に先輩。誰彼構わず研究に巻き込むのはやめましょう、って話はどこに行ったのでしょうか」
鋭い目つきはそのままに、ムラヤマはにっこりと口元だけ笑って見せた。
ノムラはその笑顔を見るや否や、蛇に睨まれたカエルのごとく体をこわばらせ、顔をひきつらせる。
「……すみませんでした。これで何か好きな飲み物でも買ってきてください」
財布から小銭を取り出し、ムラヤマの手に乗せると、お手本のようなお辞儀をして彼女を送り出した。
「全く……。すぐ戻りますからね」
◆ ◆ ◆
ムラヤマが部屋を出て、自動販売機へ向かう足音が遠ざかる。その音が聞こえなくなるのを待って、ノムラは大きく息を吐き出した。
「よし、今のうちに!」
ノムラは慌ててクラッカーを手に取り、隠しておいたケーキの箱をテーブルの真ん中に据える。すぐ横の控室に向けてノムラが手招きをすると、他のゼミ生たちも、ニヤニヤしながら顔を出した。
「ノムラ君、よくとっさにあんな言い訳を思いついたねえ」
「腐っても言語系のゼミ生だからね。それに三年次の時に、似たような研究もしてたから」
談笑しつつ、控室で作られた飾りを手早く配置する。ちょうど、すべての装飾が終わったところで、廊下の方からパタパタと足音が聞こえてきた。その足音が研究室の前で止まり、がらりとドアが開く。
扉が開ききるタイミングを狙いすまして、ノムラたちは紐を引いた。
パァン!という軽快な音とともに、色とりどりの紙吹雪が舞う。
「「「ムラヤマさん! お誕生日おめでとう!」」」
入り口に立つムラヤマは、そのまま石像のように固まっていた。まばたきも忘れ、散らばった紙吹雪とケーキ、そして飾られた室内を交互に見つめている。
彼女は何かを言いかけては口を閉じ、ようやくといった様子で唇を震わせた。
「……これは?」
「君の誕生日祝いさ。君は今日が誕生日でしょ?」
「さっきの会話は?」
「いやあ……君が予定より早く来るからさ。クラッカーの言い訳を必死に考えてたんだよ」
周りのゼミ生たちがクスクスと笑い声を上げる。ようやく事態を飲み込んだのか、ムラヤマの口角がふわりと楽しげに上がった。
「まったく。『おめでとう』は祝いの言葉じゃない、とかいってませんでしたか?」
「うん。理論の側はとっさに考えたこととはいえ、あれも本心だからね。だからこそこうして、この『おめでとう』は君を祝うための言葉だと伝えるために、たくさん準備してたんだ。こういうのは嫌いだった?」
ノムラが締まりのない笑みを浮かべて顔を覗き込むと、ムラヤマはやれやれといった風に、額に手を当てた。
「嫌いじゃないですが、準備中に鉢合わせるとは……。私のようなしっかり者が付いていないとダメみたいですね」
「ごもっともです。いつもありがとうございますう……」
ノムラがわざとらしく頭を下げると、ムラヤマはふいと顔を背けた。
その横顔は、街並みに沈みゆく西日のせいか、耳の付け根までやけに赤く染まって見える。
壁掛けの時計が秒針を二度鳴らしたとき、彼女が思い切ったように口を開いた。
「……さっきの『ダメ』って言葉、実は『偽装語』なんですよ」
「えっ、どういうこと?」
思わず聞き返したが、彼女はもう答えてくれそうにない。
視線を落とすムラヤマと首を傾げるノムラを、夕焼けのスポットライトが照らし出す。その陰で、ゼミ生たちは顔を見合わせ、全く同じことを思っていた。
ちゃんと言えばいいのに わたねべ @watanebe
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