何かトラブルが起こった際、事が荒立つのを避け、大体問題の核心となる部分を避けて、迂遠なコミュニケーションを取ろうとする人が多いようですね。
それでこっちの言いたいことが伝わるだろ、と。
いや、わっかんねぇよ!
ちゃんと言語化して突き付けてくれねえと、伝わんねえよ!
おめーが何言いてえのか、私に伝わる言葉で説明してくれよ!
じゃないと私ゃ一生それを問題だと思わず改めようとすることができないから!
そう、私はそういう人間なので、「察する」ということが非常に苦手なのですよね。
そういう調子なので、相手に物事を伝える時も、迂遠な表現を使わず直球気味な言葉で相手にして気をする傾向が強いです。
自分が言語化して理解できないと、相手も理解できないだろうから、という理由で。
結果、私が問題解決を図ろうとすると、かえってトラブルが深刻化したり、人間関係が荒れるという結果になったり……。
曰く、「モノには言い方っていうものがあるだろ」と。
「じゃあどう伝えりゃいいんですか、問題を誤魔化したってトラブルは解決しませんよ」と何度思ったことか。
そんな私なので、本作と巡り合った時、「わぁーっ、まさに私じゃないか!」と電流が走ったかのような衝撃を受けました。
そしてまた、問題の言語化やトラブルの解決方法が上手いのですよね。
もう何度も赤べこみたいに頷いてしまいました。
周りから怒りっぽいと言われる方、あるいは身近にそういう気質の人がいるという方は、一つ学びを得ることができるかもしれません。
是非とも一度、お目通しいただきたい作品です。
うちの会社は正しいことを述べると「怒った」とみなされるらしい。
間違っている人をたしなめると「圧力をかけた」とみなされるらしい。
それらを認めないと「ヒステリー」と判定されるらしい。
正しさを共有することの難しさを説いた短編。
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相手の気持ちになってみようだとか、アンガーマネジメントだとか、心理的安全性を保つことが重要になっている現代にふさわしい一作。
心理的安全性とは「誤りを許容し、自発的に気兼ねなく行動しやすくする」という目的で用いられるものだが、
その実現において最も邪魔になるのは「正しさ」なのではないかと思っている。
正しさだけでは、バーバルだけでは世間はまわらない。
世間は数式ではないのだから。