第3話:抽出
前章は、キャバクラ手法を用いてあなたを沼に誘い込む、いわば撒き餌である。見事、この第3章に"同伴"することになってしまったあなた、もう、術中に嵌ってしまっていると自覚し(愛知の知)、この第3章こそ「ご指名」読みをしていただきたい。勝手にシャンパンタワーなどはしないので、ご安心の上、読み進めてほしい。
この作品を書こうと思ったのは、何も昨日の「
この一見便利なAIの普及に対して警鐘を鳴らしている学者は、「知の巨人」と謳われるユヴァル・ノア・ハラリ氏を筆頭に多い。その素地があったところに、我が背中を押すことになった契機が大晦日の朝日新聞にインタビューという形で意見を寄せていた慶應大学出身の異色の芸人ふかわりょう氏の意見に触れたためである。
ふかわりょう氏は、数年前に『スマホを置いて旅したら』という著書で、我々が最近、依存しきってしまっているスマホから離れてみての旅路が、ここ最近、画面を通しての写真を撮ることばかりに夢中になってしまっていた旅とは異なり、実に情緒溢れる旅情たっぷりの思い出深いものとなった旨を、たまのデジタル・デトックスの必要性を説きながら現代人が忘れかけてしまった「何か大切なもの」を思い出させてくれる形で述べたことが話題になった。
今回、ふかわりょう氏は、先の著書を上梓した後、AIの急発展・普及を受け、「答えが分からない豊かさ」の大切さ、愛おしさも訴えている。
大切なところをもう少し抜粋引用という形で解説しておくと以下となる。
・スマホ漬けとなった私たちは何を失っているか?と言えば、「答え」に辿り着くまでの距離や時間ではないか?
・簡単に答えに辿り着かない「非効率な時間」が寧ろ心にゆとりを与えることもある。それはある種の「豊かさ」だとも言える。
・「答えにアクセスできる果実」もあれば、「分からない時間という果実」もある。
・最新著の旅行記の裏テーマは、「AIには絶対書けないもの」とのこと。その心は、1万文字の旅行記をAIに書いてもらっても、その1万文字は単なる「情報」にすぎない。いざ自分が書く旅行記は自分の中で何かが熟成されて心が整っていく時間であり、自分はこの「追体験できる時間」が愛おしい。
図らずも、自分がここ最近に自著『そこに愛はあるんか!?』や『ウィスキー』で考えていた、自分の頭でいろいろ思いを巡らす「思索」や、考えの
この「答えの見つからない中、じっくりと思索する」という姿勢がなかったならば、人類は決して、量子力学や相対性理論には行きつかなかったであろうと思うのである。天才アルベルト・アインシュタインも、特殊相対性理論から一般相対性理論に到達するまでには実に10年に及ぶじっくりとした思索を突き詰めたのである。
「時間のかかる良さ」というのは、まだいろいろある。例えば、宇宙戦艦ヤマトにおける最大の醍醐味&視聴ポイントシーンと言えば、以下に示す「波動砲の発射プロセス」であると思う。
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航海長 「総員配置につけー。」艦内に非常警報が鳴り響く。
艦長 「波動エンジン内の圧力を上げろ。非常弁を全閉鎖。」
機関長 「波動エンジン内圧力上げます。全弁閉鎖完了。」
ウーウィンウィンウィンウィンウィンと高速の戦艦全体が揺れるような凄まじい音に全艦包まれる。
艦長 「波動砲への回路を開け。全エネルギー波動砲へ。強制注入器作動。燃料棒挿入開始。」
航海長 「波動砲への回路全開。全エネルギー波動砲へ。強制注入器作動。燃料棒挿入開始。波動砲セーフティロック解除。圧力、発射点へ上昇中。あと発射まで20・19・18・・・最終セーフティロック解除。圧力限界へ」
波動砲発射口に光子が集まりだす。
船務長 「目標前方10万km。惑星、大破砕帯。」
艦長 「正面シールド閉鎖。画面を天井メイン大モニターに出せ。」
航海長 「シールドオン。画面を天井メイン大モニターへスイッチ。」
艦内が暗くなり、目標物が天井の大モニターに映し出される。
航海長 「ターゲットスコープオープン。」
艦長 「発射10秒前。対ショック・対閃光防御アイマスク装着。」
ビービービービービビビビビビィ。あらゆる装置音が限界へ向けてそのパルス間隔が縮まっていく。
航海長 「発射5秒前。4・3・2・1。発射ッー!」
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沖田十三艦長の発射承認、古代航海長の復唱、徳川機関長との意思疎通、森雪船務長との目標物および安全確認、このアナログなやりとりがイイのである。
「波動砲の発射」に一定の時間を要するのは、アニメにおいてもリアルの日常性活においてもそうではなかろうか?すぐに"答え"が出てしまっては困るのであり、愉しみが半減どころか、それはそれで困るのである。我々には、ゆっくりと時間をかけた上での抽出 & 発射という「愛知の営みの時間」が必要なのである。上記の文章に一切の誤字はない。
自分の頭と心で格闘することの大切さと豊かさについては、ブルックナー作品の解釈・演奏でも名高い指揮者ギュンター・ヴァントが含蓄あることを言っている。「我々が指揮に立ち向かう時、今の時代と違って、簡単に他人の演奏をレコード等でいろいろ聞ける時代ではなかったゆえ、膨大なオーケストラ総譜を前に、まさに格闘し、作曲者の意図や心に描いたであろう原風景を自分の中に再現していく作業が必要であり、それは非常に時間のかかる登山のようなものであった」と。ただ、その登山を終え、山頂からの素晴らしき見晴らしを我々の前に現出させ、拍手喝采を浴びた時はさぞかし気持ち良かったことだろう。
AIはたしかに便利だ。最近の新入社員を見ていると、お題が出ると、1秒も考えずにAIに聞く。そんなシーンを見ると「それ、お前である必要あるのか?」「バイトの高校生がやっても同じ答えだぞ!?」と思ってしまう。
笑い話とも言えない話が今後出てきても可笑しくない。ある企業のシステム更改をAI Nativeにプログラム開発を最初の段階から全工程AIにさせたら、365日24時間疲れを知らずに働くAIはおよそそれぞれ1/100ずつの大幅な構築期間の短縮とコスト圧縮に成功したという。だが、それを知った顧客からは「前回かかったシステム構築費用を5億円から500万円に値下げしてほしい」と言われるのは時間の問題であろう。抱えている社員の数は変わらないのにである。AI適用領域の急拡大のスピードと同じ速度で固定費削減は極めてムズカシイ。昨今は、安全地帯と言われていたプログラミング領域も本当のTopでない限り聖域ではなくなった。寧ろ、AI適用領域となっていない現場のブルーワーク人材にスポットライトが当たるようになってきているという。
2025年を振り返っての所感総括で、ラーメンの850円→1,350円や年賀状の52円→85円など、およそ物価という物価が8/5になっていると述べた。だが一方、我々の収入を8/5に直ちにすることは難しく、またコスト圧縮を5/8にすることの困難さも述べた。
まさにチャールズ・ダーウィンが述べた、「生き残る種とは、最も強いものでなく、ましてや、もっとも賢い種というわけでもなく、最も変化に適応した種である」という言葉がまざまざと脳裏に蘇ってくるほど、我々の適応力を試されている。ましてや、AIの発達により、つい30年前には考えもしなかった「想定の範囲外」に世の中は、新聞や電話や現金の消滅目前、テレビ離れ、年賀状文化の終焉など激しく変化してきている。「人口爆発による食糧難」と言われていた予測が「人口減少による食糧生産の担い手不足」へと今や上書きされている。
そんな世の中だからこそ、AIは適材適所で用いていくべきであろう。医療における画像診断など、まさに不可逆性を持っていると思う。
だがしかし、いわゆる「嗜好性」や「芸術性」「文化性」「哲学をはじめとする思索領域」「感情や心の感傷や痛みに関わるような領域」については、時間と手間を惜しんではいけないのだと思う。そして、自らの脳でじっくりと思索する時間こそ贅沢な至福の時と思うべきであると思う。
AIに真の愛は分からないのである。それは、古代ギリシャ世界で規定・分類された人間界における四つの愛と言われる、フィリア:博愛、アガペー:隣人愛、ストルゲー:家族愛、エロス:性愛の4形態すべてにおいてである。AIに真の平和の尊さは分からないし、涙も流さなければ、助け合いの精神が湧き起こることもない。いわんや、両親が我が子のために自身の命を投げ打ってでも我が子の命を助けようと思う気持ちは真には理解できないし、充血して勃ち、濡れ、合体したいなどとは思わないはずだ(トランスフォーマー形態はあるが、エロスの概念がそこにあるとは思えない)。
つまりは、我らと同じく電流は流れているかもしれないが、血は通っていないのであり、学習した倫理観は持ち合わせているかもしれないが、魂が揺さぶられるようなことはなく、常にデジタルに1か0かの二者択一で逡巡することなくインスタントに決定・指令がなされるのである。
一方、我ら人間には、切られれば痛みを伴って血が流れるし、優しさに触れれば心は温まり、冷酷な仕打ちに合えば恐怖や怒りを覚えるし、緊張や疲れも感じる。また人間は、際限のない欲望を持ち、それが一旦、すべて満たされてしまえば、絶望的な空虚と退屈に苛まれてしまう摩訶不思議な生き物なのである。
その人間における喜怒哀楽や恐怖や緊張やの表出 & 表現こそが文学であるとするならば、それを持ち合わせていないAIにそれを真の意味で表現できるはずもない。
だからと言って、すべての領域でAIを放棄せよと言っているのではない。また、すべての事象において、高級ウィスキー醸造のように十何年も時間をかけろと言っているのでもない。すべては適材適所/TPOに応じて使い分けるべきなのである。
思索することを放棄し、すべてをAIに尋ねていては、人間の総合知の低下は免れえないし、既存の最短経路を探索することに長けていても、革新的な「相対性理論の発見・到達」などはAIには望むべくもない。
先に、プラトンの弁明に触れつつも、プラトニックラブの行く末はプラトンに趨勢を問うべしと言い結論を先送りにした。つまりは、「万学の祖」と謳われたアリストテレスの手の元で、ギリシア哲学が一つの結実を迎えたように、ここはアリストテレスが人間が目指すべき善は幸福(エウダイモニア)であり、知性的徳と倫理的徳の必要性を説いた『ニコマコス倫理学』で説いた"中庸の精神"(例えば、「蛮勇」でもダメであるし、「臆病」に過ぎてもダメで、丁度良い「勇気」を持つことが重要)にその正解の道を見出してはどうかと思う。つまりは、繰り返しとなるが、適切な領域ではAIを活用し、人間がじっくりと思索を重ねるべきところは人間がしっかりとその手中に収めておくべきなのである。
この『珈琲』を締め括るにあたっては、最後にこんな言葉ではどうだろうか?
人類が生み出した文化のKing的地位を占める文学へのAI活用の是非を 珈琲と掛けて解くその心は?
AIを 王に加えては 王に非ず
AIを使って、瞬時に作り上げたインスタントコーヒーのような文学と違って、甘酸辛苦に満ちた人生という幾重にも焙煎され、容易には
珈琲 青山 翠雲 @DracheEins
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