「珈琲」を語るエッセイかと思って読み始めると、いつの間にかキャバクラへ連れていかれ、ソクラテスやプラトンが現れ、宇宙戦艦ヤマトの波動砲まで発射される。
文字にすると何の作品なのか分からなくなりますが(笑)、三話を最後まで読むと、不思議なくらい一本の線につながります。
それが、時間をかけることの価値です。
第1話「沸騰」では、豆から淹れる珈琲とインスタントコーヒーを比べながら、手間と時間によって生まれる香りや味を語る。第2話「蒸らし」では、かなり大胆な実体験を経由しながら(笑)、性急に答えへ向かわず、相手の心へ届くまでの「待つ時間」へ話が広がっていきます。
そして第3話「抽出」で、テーマはAI時代の私たち自身へ向かいます。
何か分からなければ、すぐ検索する。さらに今ではAIに尋ねれば、驚くほど速く、それらしい答えが返ってくる。
けれど本当に、それだけで豊かなのだろうか。
作者がここで大切にするのは、「分からない」という状態から答えまでの距離です。考え、迷い、寄り道し、自分の中で熟成させる時間。AIを拒絶するのではなく、便利な領域では使いながら、文化や芸術、哲学や感情に関わるところでは、人間自身が考えることを手放さない。その「中庸」が、この作品の行き着くところです。
そして最後には、作品全体を包んできた「珈琲」という題まで使って、鮮やかに落とします。
沸騰させ、蒸らし、ゆっくり抽出する。
それは珈琲だけでなく、考えることにも、文章を書くことにも、そして人生を味わうことにも似ている。
すぐに答えが出る時代だからこそ、あえて答えを急がない。そんな贅沢を思い出させてくれるエッセイです。
ゆどうふ☆ぽんじゅでございます😊。
先日は、小説にコメントを頂きありがとうございます。
珈琲の「沸騰・蒸らし・抽出」を、人の心や創作の営みに重ねた、ユーモアと熱量のある随筆でした。キャバクラでの弁明から哲学。AI論は「答えを得ること」と「答えに至る時間を生きること」は違う、という主張。
書き手の心を整えていく、というくだりが、この作品の核だと思いました。
多種多様な性格を出す深い珈琲にリトマス試験紙を結び付けてしまいました。酸性、中性、アルカリ性、自分にしか出せない一杯を淹れるように言葉を紡ぐ。その姿勢に、創作への愛情を感じちゃいました。
AIの可能性は、使い方次第では、驚異から脅威になり得る。公開されている情報よりも、二十手以上、先を行っている。
AIの役割は人それぞれある。
自分自身は思考することは出来ても、それを言語化することを苦手とする側なので、代筆する役割として自分の場合は使用してます。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の作品、自分も好きです。
サピエンス全史あたり、
頭が痛くなりそうですが。。
支離滅裂な文章でごめんなさい(_ _;)
最後に
ユーモアたっぷりの体験談から、AI時代の創作について考えさせてくれる随筆です。珈琲を片手に、ぜひ読んでみてください。
まず始めに、本作は「珈琲を味わおう」というエッセイではないです。
ものの例えとして珈琲を引き合いに出しての、ちょいと深めの思考をするタイプの内容です。
タイトルで誤認しないよう、あらかじめ。
ちなみに私は馬鹿舌なので、豆や焙煎、抽出等々の違いがほとんどわかりません。
ついでに言えば、ブラックが飲めないので砂糖をドバドバ入れるお子様舌です。
世の中は便利になり、それと同時に求められるものの水準も異様に高まるようになってきました。
とにかく結果を出すこと、それを迅速に出すことばかりが是であるような風潮が、ここ数年で加速度的に高まっているように感じます。
YouTubeでのショート動画の隆盛などは最たる例で、インスタントに「面白い部分を短時間で得る」という結果部分(快楽)を、膨大な数提供してくるわけですね。
ただ、これはただの「消費」、もっと言えば「浪費」なわけです。
何故なら、自分の中に落とし込み理解する、というプロセスが抜け落ちているからなんですよね。
同様のことはAIに関しても言えます。
短時間で膨大な量の思考を行い、ショートカットで答えを出す。
このシステムは確かに便利ではありますが、その一方で人から「思考する」「学ぶ」といった機会を奪っているわけです。
きちんと学び思考するというのは確かに努力を要する苦労なわけですが、だからこそそこに一定の達成感があり、それが知的好奇心の充実……「楽しさ」に結び付くわけです。
そして、学んだ知見の先にまた新たな思考と知見があり、楽しみを伴ってサイクルが回っていく。
平たく言えば、どんどん賢くなっていくわけですね。
しかし、人の学習能力というのには個人差はあれど、それなりに長い時間を要します。
その為、時間短縮とばかりに結果だけを求め、その賢くなるためのプロセスをAIによって奪ってしまったら……まぁ、思考が短絡なお馬鹿さんが量産されますわね。
それでいて本人は賢いつもりなのだから世話がないです。
長々と語りましたが、本エッセイでは、そんな思考することの楽しさや必要性を珈琲に例え、それこそ珈琲の抽出のようにじっくりと説いております。
知的好奇心をビシビシ刺激するような内容になっておりますので、じっくり時間をかけて楽しんでいただければと思います。
そしてこの楽しみは、AIで結果だけを求めるタイプの人には、決して理解ができないことでしょう。
その辺の優越感も感じ取っていただければ、と思います。
此方のエッセイを拝読して驚きました。
作者様の個性であった「文字の壁」が消失しているではありませんか。
そして「壁」の消失後、語られたことは。
珈琲。だけではありません。
キ◯バ◯ラ。だけでもない。
(此方へいらした経緯にもなかなか興味深いものがありましたが)
その先にある深遠なる哲学。
ソクラテス。
更にその先にある、今私たちを取り囲んでいる、あの──
最後に珈琲に戻る。
しかし珈琲の香を思い浮かべ
「明日は久し振りにお気に入りのアレ、飲んでみようか」などと寝る前にあれこれ考えつつ、拙い頭の中に遥か2400年前に生きたソクラテスの顔も妄想しつつ、やはり文字の壁の消失に茫然としている自身がいたのでした。
消失した壁は、我々を何処に誘うのか。