「見えない相手」への恐怖がぎゅっと詰まった美しいホラー掌編

状況が分からないからこそ怖い、というのがよく表れた作品でした。

終始、二人の「会話」の体で描かれながら、文字として表現されているのは一方の言葉のみ。
地の文も、全てが二人いる内の一人のセリフのみとなっています。
冒頭で相手について分かるのは、どこかへ語り手を誘おうとしていることだけ。
読み手には、相手の姿が見えず、どこへ連れていかれるのかも分かりません。
性別も年齢も何も分からないのです。
そのため、自然と相手の姿や行き先を想像させられます。
いったい誰がどこへなぜこの人を連れていこうとしているのか。
初めは、その疑問に不穏さと期待の入り交じった状態で読み進め、セリフの余白、変わっていく口調にどんどん不穏さが勝って行きます。

こういう、読み手に抱かせる「見えない誰か」への印象の導き方が、本当に見事だったなと思います。
語り手の口調が初めは穏やかだからこそ、その向こうにいる相手も最初は穏やかな印象でした。
それがどんどん様相を変えていき、相手への恐怖がみるみる強まっていきます。

徐々に語り手の口調が切羽詰まったものになり、何かおかしいと感じ始めてからが、この作品の本当の恐怖の始まりと言えるでしょう。
突然の「……めき……めき……めき……」というオノマトペ。
この「めきめき」が、非常に怖いのです。
明らかに何かが起こっているのに、何の音だか分からない、だからこそ怖い。
他にも印象的なオノマトペとして「くちゃくちゃ」が登場し、これもまた恐ろしい。
基本的には一方の人物のセリフだけで描かれているからこそ、これらのオノマトペは文章の中で際立ち、異様さ、不穏さが感じられました。

「誰か誰か誰か――」や「痛い痛い痛い――」という言葉の連続が、恐怖をさらに強めています。
極限状態まで追い詰められ、錯乱し、精神が崩壊していく様が感じられ、恐怖が文字を介して伝染してくるようです。
また、同じ言葉の連続は、視覚的にも異様さが際立って、その追い詰められた状態を表すのに非常に効果的でした。

そして、「くちゃくちゃ」からの「うふふっ!」で語り手が急に変わる流れが見事です。
「くちゃくちゃ」から想起される状況、それを受けて「うふふっ!」と笑う何者かがいることの恐ろしさ。
やっと見えた「見えない相手」が、笑っていると言うだけで、想像を遥かに超えて恐ろしい人物に思えます。
その心の独白も、背景が少しだけ見え、けれど判然とはしない絶妙さでした。
情報の削ぎ落とし方が秀逸だと感じます。
愛しいからこその狂気、と言ってしまえば陳腐に聞こえてしまいますが、それを陳腐とは思わせない迫力がありした。
愛しさゆえの行動であったという切なさがある一方、口調の明るさが狂気を感じさせ、ラストには、じとっとまとわりつく恐怖がありました。

そして、文体の美しさがあるからでしょう、おどろおどろしいのにどこか「美」も感じられ、それがより愛、狂気、恐怖を強めていたように思います。

情報を削ぎ落とした短い文章の中で、「見えない相手」の恐怖を存分に感じられる作品でした。

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