空き家調査マニュアル~住人と遭遇した場合は、直ちに離脱すること~

神代ゆうき

第1話 更地のはずの土地

【資料一 空き家現況調査報告書】


調査日 令和8年8月3日

担当者 白鷺市役所 資産管理課 青野紘一あおのこういち


対象地 白鷺市久瀬町くぜちょう大字三輪みわ榎戸えのきど217番3


■ 管理台帳記載


現況      更地

建物登記    該当なし

家屋課税台帳  該当なし


■ 現地確認


現況 木造二階建て住宅一棟あり


午前10時12分、対象地に到着。

建物は道路から約六メートル奥に位置する。


表札なし。

郵便受けに投函物なし。


庭木は手入れされ、敷地内に目立った雑草はなく、放置状態は認められなかった。


午前10時16分、道路上から建物外観を確認中、玄関扉が開いた。


呼び鈴及び声かけは行っていない。


玄関から、20歳代とみられる男性1名が出てきた。


白色半袖シャツ、濃色の長ズボンを着用。


男性は玄関先から移動せず、当方を見ていた。

発言、接近等はなかった。


住人と遭遇したため、空き家調査マニュアル第4項に基づき、調査を中止した。


※第4項 住人と遭遇した場合は、直ちに離脱すること。


■ 調査結果


管理台帳記載と現況に不一致あり。


建物の所有者及び居住実態は確認できず。


添付写真 なし


〔決裁欄脇に青色ボールペンによる手書き追記〕


要現地写真。

再調査を指示。

建物内には立ち入らず、玄関先から撮影すること。



【資料二 青野職員所有端末に保存されていた音声】

※録音開始の経緯は不明。


記録日時 令和8年8月3日 午後2時41分

記録場所 白鷺市役所資産管理課執務室


「おまえなあ、何しに行ったんだよ」


「……すみません。でも、住人が出てきたので」


「だからって、写真の1枚もないのか」


「マニュアルには、直ちに離脱するようにと」


「手ぶらで帰ってこいとは書いてないだろ。離脱する前に、写真の1枚くらい撮れって話だ」


「……呼び鈴も押してないんです」


「何が」


「何もしてないのに、玄関が開いたんです」


「古い家だ。音でも聞こえたんだろ」


「でも、あそこは更地のはずですよね」


(約2秒間、沈黙)


「青野」


「はい」


「余計なことは考えるな」


「……」


「明日、もう一度行け。建物の中には入らなくていい。玄関先から外観だけ撮ってこい」


「1人でですか」


「すぐ終わるだろ。あと、身分証はしまっとけ」


「え? でも、求められたら提示義務が……」


「名乗らなくていい」


「どうしてですか」


(約2秒間、沈黙)


「先輩も、あの場所に行ったことがあるんですか」


(約3秒間、沈黙)


「写真だけ撮って帰ってこい」


【記録終了】



【資料三 音声記録(再調査時)】


記録日時 令和8年8月4日 午前10時09分

記録場所 白鷺市久瀬町大字三輪字榎戸217番3


(砂利を踏む足音)


(シャッター音が複数回鳴る)


(玄関扉の開く音)


「あら、役場の方?」


(砂利を踏む音が止まる)


「今回の担当さんはお若いのね」


「し、失礼します」


「待って。身分証を見せてもらえるかしら」


(足音が速くなる)


(背後から女の声)


「青……」


(激しい呼吸)


(自動車のドアの開閉音)


【記録終了】



【資料四 写真確認記録】


撮影日時 令和8年8月4日 午前10時09分

撮影者 白鷺市役所資産管理課 青野紘一


添付写真1 建物正面

添付写真2 二階東側窓付近

添付写真3 建物南側及び庭


■ 確認結果


添付写真1には、木造二階建て住宅一棟が撮影されている。


玄関扉は閉じており、玄関周辺に人物は確認できない。


添付写真2を拡大したところ、二階東側窓際に男性1名を確認した。


男性は撮影方向を見て立っており、右眼下に黒子を確認した。


推定年齢及び服装は、資料一に記録された男性の特徴と一致する。


添付写真3を拡大したところ、次の人物を確認した。


1 一階西側窓内 高齢女性1名

2 庭木付近 女性1名


いずれの人物についても、撮影時に青野職員が目視したとの記録はない。



【資料五 過去資料照合記録】


添付写真に写る人物について、身元確認のため、当該地番に関する保存資料を精査した。

過去の現況調査記録に添付された写真との照合を実施した。


■ 照合結果1


添付写真2の男性は、過去の現況調査記録に添付された榊原正一の写真と顔貌が一致した。右眼下に黒子ほくろを確認した。


氏名 榊原正一さかきばらしょういち

当時年齢 24歳

所属 旧久瀬町役場総務課管財係


昭和38年8月、旧久瀬町大字三輪字榎戸217番3の現地確認を担当。


同年8月9日以降、所在不明。


同月12日、家族から捜索願が提出されている。


■ 照合結果2


添付写真3の庭木付近に写る女性は、平成9年度の現況調査担当者と顔貌が一致した。


氏名 藤崎真弓ふじさきまゆみ

当時年齢 41歳

所属 久瀬町役場税務課固定資産係


平成9年8月、同地の現況調査を担当。


調査翌日から所在不明。



【資料六 関係者聞き取り記録】


調査実施日 令和8年8月6日


■ 白鷺市役所資産管理課


――青野職員が使用していた管理台帳について確認してください。


「当課が作成、保管している台帳ではありません」


――様式及び公印は、白鷺市役所のものと一致しています。


「しかし、当該文書の保存記録はありません」


――一方で、青野職員が提出した現況調査報告書の原本は残っています。


「誰が受理したのか分かりません」


――資料二に記録された青野職員との会話相手について確認してください。


「当該職員に該当する在籍記録はありません」


■ 白鷺市総務課


大字三輪及び字榎戸は、平成17年の市町村合併時に廃止。


旧地番217番3に対応する現行地番は確認できなかった。


■ 近隣住民A


――この付近に木造二階建て住宅があるのをご存じですか。


「家なんてないよ。ずっと空き地だ」


――いつ頃からですか。


「私が子どもの頃からだね。もう50年以上になる」


――役所の職員を見かけたことはありますか。


「何度か見たことはあるよ」


――何をしていましたか。


「写真を撮ってたよ。何もないところを」


■ 近隣住民B


――空き地の前にいる役所職員へ、声をかけたことはありますか。


「あります。でも、返事はなかったです」


――何をしていましたか。


「誰もいないところに向かって、話していました」


――建物を見たことは。


「ありません。あそこには、ずっと何もないですよ」



【資料七 青野職員所有端末に保存されていた音声】


記録日時 令和8年8月4日 午後8時37分


(足音)


(鍵が擦れ合う金属音)


「……今、自分の部屋の前です」


(約2秒間、無音)


「今日の調査のあとから、何かおかしいんです」


「一応、記録を残しておきます」


(鍵を差し込む音)


「鍵、合ってるよな」


(解錠音)


(扉の開く音)


(約3秒間、無音)


「なんで……」


(遠くで蝉の鳴く音)


「ここ、昼間の……」


(女の声)

「おかえり。みんな待ってるわよ」


(荒い呼吸)


「……先輩?」


(男の声)

「だから言っただろ」


(足音が近づく)


「お前も、名前を知られたな」


(物が落ちる音)


【記録終了】


当該端末は翌朝、青野職員居住マンションの玄関前で発見された。


青野職員の所在は、現在も確認されていない。



【追記 若手職員聞き取り記録】


――空き家調査用のバインダーは、誰から受け取りましたか。


「資産管理課の方です」


――氏名は。


「分かりません。初めて見る人でした」


――どのような指示を受けましたか。


「人手が足りないから、空き家調査を手伝ってほしいと」


――その人物の特徴を覚えていますか。


「若い男の人でした。白い半袖シャツを着ていて……」


(短い沈黙)


「そういえば――右目の下に、ほくろがありました」



【空き家調査マニュアル】


第4項


住人と遭遇した場合は、直ちに離脱すること。

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