【短編】アンニュイな青信号は前に進めない。
鷹仁(たかひとし)
アンニュイな青信号は前に進めない。
これは、僕が社会人二年目に大学時代の友達――イサキと北海道へ二人旅をした話だ。
僕たちはお互いの夏季休暇を利用して、青森から函館までフェリーで行き、そこからレンタカーで北に行くことにした。行けるところまで。
運転は北海道出身のイサキに頼み、僕は食費とガソリン代を負担した。
昼食に函館のラッキーピエロでハンバーガーを食べ、まずは札幌に向かってひた走る。五稜郭を横目に、僕たちはラジオから聞こえてくるアニソンの魅力を語り合っていた。
大学時代から、僕たちの話題は変わらない。
話の流れが変わったのは、札幌まで残り五十キロの交差点に差し掛かった時だった。
「進め、って言われてるのにさ。立ち止まってしまうこと……あるじゃん?」
僕は、信号が青に変わっても車を走らせないイサキの横顔を見た。幸い、僕たちの他に車の影はない。「青だぞ」と、指で示したとき、僕は、彼の異常に気づいた。
「ごめん、運転代わって」
イサキは、それだけ言うとつらそうに下を向く。顔が青ざめている。寝不足だろうか。それとも、三時間の船旅が堪えたか。
僕は何も言わずに助手席を空けて彼を座らせ、自分は運転席のシートベルトを締める。
「僕、ペーパードライバーだよ」
久しぶりに握ったハンドルが重い。
それに、東京暮らしの僕は電車通勤で車を持っていなかった。
最後に運転したのは大学時代に免許を取ったときだ。
「この道、真っすぐ進めばいいから」
僕がペットボトルをイサキに渡すと、彼はお茶を一口飲んで目を瞑った。
「少し、寝る」
それから、しばらくイサキは起きなかった。
僕は、車を発進させる。幸い、対向車も後ろから来る車も多くない。
ラジオを消して、ホルダーのガムを二粒口に入れる。
友達の寝息が車内に満ちると、静寂が急に広がった。語る相手もない、孤独な内省の時間。窓の外には、ただ延々と続く道と空があった。それを見ていると、不意に職場のお局の顔が浮かんだ。医者に診てもらったことはないが、PTSDだろうか。こういった無関係なタイミングでフラッシュバックする悪夢は、新人研修を終えて、一人で営業に回るようになってから急にやってきた。
青森の大学を出てから、僕たちはお互い違う会社に就職する。イサキとは同期の同学科で、就職活動も一緒にしていた仲だ。今でも、仕事の愚痴を定期的に電話で言い合っている。
そして現在、僕は東京のIT企業に。彼は、青森の病院で医療事務として勤務していた。
僕は営業としてうだつの上がらない毎日を送り、イサキは事務員として女社会を生き抜いていた。お互い、どことなく今いる場所に居心地の悪さを感じている。
この旅は、そんな振り切れない感情を発散するために企画した。
函館から離れると、札幌に着くまで思ったよりも何もない。僕たちは、約三一〇キロの道を四時間かけてひた走る。
イサキに気を遣ってラジオを消したのは悪手だった。
その上、空に助けを求めても、何もない青空は、過去のトラウマを思い出させる。振り返ってみると、僕は小学生の頃から年上の女性に目をつけられることが多かった。高校では、課題を忘れて英語の教師に土下座させられたこともある。そして反省の色がないと見るや、僕だけ個室に隔離されて課題をやらされた。
もしかしたら僕が彼女たちに強く当たられるのは、僕の顔が生まれつき、軽く見られる顔なのかもしれない。
そう考えると、胸の奥にふつふつとやりきれない怒りが湧いてくる。
思えば、この空もそうだった。東京とは違って、こんなにも空が広いのに、僕の憂鬱は晴れない。それは、どこへ行ってもお前の逃げ場はないと言われているようだった。
「あー、くっそ。ムカつくなぁ!」
やるせなさに、僕は思わずハンドルに向かってパンチする。
ブーッ‼
「やべ」
当然、クラクションに手が当たって大きな音が出る。
衝撃でエアバッグが出てくるかと焦ったが、幸い僕の腕力は事故の衝撃に及ばない程度には非力だった。
「そっちも溜まってんのな」
寝ていたイサキがこちらを見てニヤニヤしている。どうやら少し寝て体調がよくなったらしい。
僕たちは次のサービスエリアで運転を交代することにした。
「こっちもさ、事務職だから女社会で肩身せまいよ。無駄におしゃべりが幅を利かせているし。どうでもいい話」
ラジオの電波を合わせながらイサキはそう言った。今度はお笑い芸人のMCが僕の知らない洋楽をかけている。
「何でお局ってあんなエラそうなんだろうな」
僕は、細かいことが苦手だ。確かに、組織を回すために必要なルールは存在する。ただ、お局が明らかに保身としか思えないような無意味な事をくどくど指摘してくるのに飽きてもいる。
「立場がいいからだろ」
イサキは気怠そうに答える。
「職場の女事務員、みんなお局の椅子狙ってんよ」
イサキの働いている病院の事務員は、イサキがいても構わずに居ない人の陰口を言っているらしい。イサキも草食系の見た目をしているからだろう。自分の知らないところで日々の格付けを行う同僚に、イサキは鬱屈していた。
「この道ずっと行ったらさ、岩見沢なんだよな」
「イサキの実家だっけ? 帰る?」
僕が聞くと、イサキはちょっとだけ迷ってから「いや、今度」と言った。
ラジオからはまた、僕たちの知るCMソングが流れている。
「お局死ねっ!」
「火あぶりになれっ!」
僕たちは罵声と一緒に、煮えたぎった怒りを放出した。
ブッブッブーッ‼
僕は、ラジオの曲に合わせてクラクションを連打する。
まるで、ライブのコールみたいで愉快だった。
ウゥーッ! ウゥウーッ‼
僕たちの後ろから、サイレンが近づいてくる。
「やべえ、
バックミラーに映る赤い光が大きくなる。むやみやたらとクラクションを鳴らしたから追いかけてきたのか。僕たちは今に捕まるんじゃないかとヒヤヒヤした。
しかし、パトカーは僕たちの横を通り過ぎると、速度を上げて追い抜いていく。
僕たちを追い越す時、四十代くらいのおじさん警察がチラリと面倒くさそうな顔をこちらに向け、また前を走っていった。
パトカーは僕たちの前にいる青いスポーツカーに警告を発し、二つの車はスピードを落としながら僕たちの後ろへと流れていく。
「あーっはっは!」
緊張が安心に代わり、僕たちは爆笑した。
さっきまで残っていたモヤモヤが、少しだけマシになる。どうやら、イサキも同じようだった。
イサキは、思い詰めていた悩みが吹っ切れたように、自分の顔をはたいた。
「やっぱ俺、岩見沢帰るわ」
「そっか」
「俺、地元で仕事探す」
「僕もそうしよっかな」
とても晴れやかな気分だった。そうだ、クソみたいな茶番に付き合うには、僕たちは若すぎる。
何だか生きづらくて。でも、この青に融けさせてもくれなくて。この青はもしかしたら地元に繋がっている空かもしれないし、赤になりかけの青信号かもしれないけれども。
青信号のない北海道の道を、僕たちはただ真っすぐに進む。
【短編】アンニュイな青信号は前に進めない。 鷹仁(たかひとし) @takahitoshi
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