書けない、書けない、書けない

涼風紫音

コーヒーブレイク

 コーヒーにはちょっとした魔法がある。


 それがカフェインによる覚醒作用なのか、あるいはその独特の深みのある香りがもたらす刺激によるものなのか、はたまたもっと別の何かがあるのか。それはわからない。


 大きめのマグカップにたっぷりと注がれたコーヒー。マグカップを軽く揺らすと、その表面は軽く波打ち、ふわりと香りが漂う。

 両の手で包み込むようにした私は、コーヒーの魔法が訪れるのをじっと待つ。


 いま目のまえにはびっしりと本が収納された大きな書棚が三つ。誰もが知る名作になかなか手が伸びない長編大作、名も知れぬ詩人の売れたかどうかもわからない詩集。それらが私を見つめている。


 書こうとしても筆が乗らないことは誰にでもある。きっとあるのだと、私は思う。そんな時、本たちは背表紙で私に語り掛けてくる。あんなテーマ、こんなテーマ。やれこれを着想にしろ、ここにヒントがある。そんな無言の圧。


 余計なお世話だと、いつも思う。世に出た本たち。実力と運と、もしかしたら何かの手違いによって売られてきたそれらを、時にうらやみ、時には愛している私は、まるでお門違いな感情をぶつけているに違いない。

 私が書けないことと、それらが書かれたことには、本来何も関係などないのだから。


 ぼんやり眺めていてもただの一文字も進むわけがない。

 そして書かなければという意識だけが、心の奥底で燻ぶった木炭のように不完全で空回りする気持ちをだけがくるくるとスピンして、明後日の方向にぶつかってはまた沈んでいく。


 どれをとってもしっくりこない絵画たち、なにひとつ心に響かない音楽たち。そういった何を書こうにも、一語一文どれもこれも腑に落ちず、結局書き出せないままの自分。


 窓の外を見れば、照りつけるどころか蒸し焼きでも作ろうとでもいうように強い陽射しが降り注いでいるのが見える。炙るような炎天の中を飛ぶカラスやハトは脱水状態になったりしないのだろうかと、栓無きことを考えてはまた机に向かう。


 何も書かれていない白紙のファイルが空しく映るディスプレイを見つめて、どこかに小説の神様でもいやしないかと思いもしたが、無神論者の私にそう都合よい神様が現れるとも思えず、もしいたら宗旨替えしてやろうなどと俗っぽいことを考えては、また手が止まる。


 マグカップに口をつけ、少しだけコーヒーを含むと、程よい酸味と苦味が広がる。考えすぎて煮詰まった、はたまた考えなさすぎて真っ白な頭が少しだけすっきりした気がする。何も書けない、そんな時はそのことをそのまま書けば良いのだという気がほっこりと生まれる。


 こうして、いまこれを書いている。


 コーヒーのちょっとした魔法が小さな物語を紡ぐ。

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