第7話 side 九条凛香①

 ――日本――

 

「ああ、走馬灯が見えてきましたわ……」


 小さい頃の、両親が揃っていた幸せな思い出が次々と蘇っては消えていった。


 九条凛香は、毒入り紅茶を飲み、喉が焼ける痛みと呼吸ができない苦しみに悶えながら畳の上に倒れていた。かつて側に付いていた三人のメイドも、若い執事もすでに家から去っていて、だれも来るはずもなく、死を受け入れるしかなかった。


 母も父もすでに故人。自分を愛してくれるものはだれもいない。大豪邸を追い出され、小さなアパートに放り込まれ、お湯の沸かし方も知らなかった彼女が、初めて自分で淹れた冷たい紅茶を飲んだ瞬間、この有様である。


 義母と義妹の仕業だと気が付いたが、すでに遅かった。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか、いくら考えたところで答えは出ず「死んだらお母様とお父様に会えるかしら」という思いが心に残るだけだった。


 いや、心に残る後悔がもうひとつ。


(最後に、ひと目だけでもわたくしの最推しのコスプレイヤー様にお会いしたかった……)


 凛香が大豪邸を追い出された時、持ち出せたのは少しの着替えと紅茶の缶と一冊のライトノベル本だった。


 タイトルは『愛と規律の狭間で勇者は誓いを果たす』。

 読書家であった凛香は多くの書物を読んだが、特にラノベの恋愛ジャンルが好きで、最後の一冊に選んだのは、凛香を最もドキドキさせてくれた、美形の勇者が活躍する物語だった。


 病弱な凛香が持ち出せるものは少なかったが、この本だけはなんとしても手放したくなかった。

 人々の危機を察知し、颯爽と現れ圧倒的な強さで敵を排除するその姿。孤独な凛香にとって、勇者ジークフリードは心を潤す存在だった。いつか自分にもきっと助けが来る。勇者のような美しく強い人が……。そう思うだけで自分の心は幸せに満ちたが、それらは全てただの夢に終わったことを凛香は悟った。


 やがて呼吸も止まり苦しさは限界を超えて凛香の意識は途絶えた。

 と同時に、青い電流が轟音と共に凛香の身体を包み込んだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 ――ベルガー村のはずれ・沼地――


 ドオオオオン!!


 雷が落ちたときの凄まじい轟音に耳がキーンとなりながら、凛香は地面にべちゃっ、という奇妙な音を立てて地面に落ちた。


(な、なんですの、これは? 死んだらこんな乱暴な扱いになるのですか? 全身になにか気持ち悪いものがまとわりついて……目が開けられないからわかりませんが、高い所から落ちたからまさかわたくし、地獄へ落ちたのでしょうか)


 落下した痛みはそれほどではなかったが、喉に何かが詰まって呼吸が苦しい。

 地面に伏せたまま咳き込む。


「ゲホッゲホッ」

(く、苦しいけど、詰まっていた何かを吐き出せたからさっきよりはマシに呼吸ができるようになりました。でも、口の中も鼻の中も顔も、体中にまとわりついているのは泥かしら。怖くて目も開けられないですわ)


 声を出せる状態になって凛香は泥の臭気のひどさに吐き気を催した。


「オェエ!! なんでわたくし、こんな目にあっているのでしょうか! ぺっ、ぺっ、あっ、目が、目があああああ」


 目の痛みで死ぬかと思ったが、「クリアルサス・ヴェル・シス!」という若々しい男の声が聞こえると同時に、体中が気持ち悪いものから解放されて凛香はほっとした。よろけないようにゆっくりと上体を起こし、四つん這いになった。大きく息を吸い込むとほのかに良い香りがする。


(あら、いきなり不快感が吹っ飛びましたわ。この爽やかな空気……外ですのね、この涼しさは外気。それに土と草のいい匂い――)


 凛香はおそるおそる目を開いて顔を上げた。正面に人がいる……白いローブはファンタジー世界の聖職者が着ているものに似ていて、その人物の顔を見て凛香は目を見開いた。


(勇者様!! わたくしの大好きなラノベに出て来る『愛誓』のジークフリード様にそっくりですわ! ひょっとしてご本人様――のはずはないですわね。コスプレイヤーの方なのかしら! 神様が、死ぬ前に願いを叶えてくださった?)

 

 森の木漏れ日の中、彼は静かに立っていた。年齢は二十歳そこそこだろうか。

 凛香がジークフリードだと思った男は、息を飲むほど美しかった。

 まだ若さの鋭さを残しながら、儚げな雰囲気もまとっている。何より目を奪うのは、その髪だった。


 銀を溶かして紡いだような、純度の高い銀糸。腰まで届く長い髪は、風を受けるたびにサテンのような光沢を放ち、まるで生きている金属のように波打つ。凛香には、彼がラノベの世界からそのまま出て来たようにしか思えなかった。


 こちらをまっすぐ見据える彼の瞳は、真冬の夜空に輝く星のように冷たい光を宿している。まるで伝説の剣の刃に揺らめいて映る月光のように凛香には見えた。


(ああ、なんて美しい銀灰色。心の奥底まで見透かされているような気持ちになりますわ)


 見つめていると世界が彼を中心に鮮やかに色づくような幻覚まで見えて来た。

 彼の足元には緑の下草、その後ろには大きな沼があり、水面には蓮の花が浮かんでいる。周囲は森に囲まれていて、まるで凛香が思い描くファンタジー世界そのもののように何もかもが美しかった。


 凛香は自分の奇妙な状況を忘れて叫んでいた。

「なんて美しい御方……勇者様!! あなたは勇者様のコスプレをなさっている方ですか?」


 残念ながらその美青年には否定されてしまい、凛香が期待したラノベの世界ではないのがわかったが、ずっと望んでいた勇者が目の前にいる、それだけで凛香は安心感と幸福感に包まれた。


(姿もお声もわたくしがずっと待ち望んでいた勇者様としか思えない……ああ、ずっっと見ていたい。これが三次元の迫力というものでしょうか。小説よりももっと刺激的。もうわたくし、この方から離れませんわ。こんな気持ち初めて。これがスキ、という感情なのかしら? スキ……そうですわ、すごくスキ。とってもスキスキ大好きですわ!


 こんな勇者様と、異世界を旅することが出来たらどんなに素敵なことでしょう。

 もし旅をするなら、体力も必要……なぜかわたくしの身体、今までになく軽く感じます。ひょっとして走れるのかしら。なんだか走れそうな気がしてきましたわ……ああ、今、すごく走りたい!!  空へまでも駆け出せそう!)


 その予感の通り、凛香は赤いパンプスを履いたまま人間とは思えない速さで走ることができ、足へのダメージはまったくなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 凛香は知らなかったが、カレンの身体は勇者として完全に目覚めており、普通の人間の数倍の脚力・腕力があり、複数のスキルが目覚めかけている。しかし、カレンの魂と凛香の魂が創造神の技によって入れ替わったものであるので、聖剣ヴァレンダールと凛香の魂の結びつきが薄く、すべてのスキルはまだ使えない。


 この先、二人の魂の結びつきが強まれば徐々に本来の勇者の力が目覚めるはずである。そのスキルの全ては災厄級の魔獣を倒すためには必須のものであり、彼女の覚醒こそが国を救う鍵となるのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

【呪文・スキル辞典】

Clarsus・Verra・Syl(クリアルサス・ヴェラ・シル):第4話に登場。体を一瞬で綺麗にする呪文。Verraは風属性を表す。


「dama・Wendel・Res」(ダーマ・ヴェンデル・レス):(未登場)土を操る呪文。穴を掘るときによく使用される。Wendeは土属性を表す。


「Wurzel・Krumm・Bind」(ヴルツェル・クルム・ビント):(未登場)火をつける呪文。Krummは火属性を表す。


「Charisma」(カリスマ):勇者が持つスキル。非常に有能なスキルで、他者を魅了し、勇者のほとんどの行動を好意的に思わせられる。ごく稀に通用しない者もいる。


「Monitori」(モニトリー):聖剣が持つスキル。勇者の行動を監視できる。勇者が人の道を外れそうになった時、それを阻止するために使用する。


「sentiens」(センテス):勇者と聖剣共通のスキル。自分を中心に半径約五百メートルの範囲にいる強い魔獣の位置がわかる。

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聖剣が勇者に転職しました 上田ミル @yamabudoh

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