友達なんて少ない方がいい、という話がまことしやかにささやかれている。
多くても煩わしいだけ。トラブルも多くなるし、一人一人との交流が薄くなるから、結局実になる付き合いにならない――
ということらしい。
友人関係を築けなかった自分目線では、これはお金持ちが「お金なんて持っててもしゃあないよぉ〜」と言っているようなもんで、そこはかとなく心が痛む。
もう少し考えてみると、確かにこの理屈は「大人目線」で言えばそうだと思う。
世の中の理に多少なりとも触れて、
自分の向き不向き、好き嫌いもなんとなく把握していて、
友人関係以外にいくらでも自分を飾り立てる要素が出てきて、
何より、自分の「リソース」が有限であることを突きつけられたら。
量より質を重要視することに、何ら疑問はない。
とは言え、子供(学生時代)においては、これら大人の都合は大半がオミットされる。
世の中は学校や塾、稽古場など、ごく一部の施設だけだ。
友人関係は重要だ。
会社では人間関係を手抜きしようが、最悪業務に貢献できればいい。仕事は孤独な人間にとってアイデンティティになる。
子供にそんな逃げ場所はない。自分が分からないまま学校で長い期間を過ごすのだ。未分化状態で得られた分からない者同士の友情は得難いものだろう。ドラマやアニメで美化された友情は大体これだ。
大半は年次が進むにつれて社会的になっていき、自分の適性や役割を自覚し、友人に対する距離感を良くも悪くも学んでいく。
この機会で学べなかった者は、自分を確保できなかっただけでなく、周りからは「人並みの関係構築が出来なかった、能力が貧弱な個体」として判断されることになる。
前述したが、子供は大人に比べ捌け口となる面が著しく少ない。結果としてこの評価がもろに劣等感や不信感を刺激するのだ。
大学生やフリーターが「自分探しの旅」をする、といった話が少し前に(揶揄半分に)結構流行した。
今となっては「そんな子供じみたことをして」とか「モラトリアムにかこつけた逃避」とか「自分なんてものが本当に存在すると思ってるのか」という冷めた意見も出てくるのだが、
自分を作れなかった子が、何とかして「自分を作る」ための選択での一つでもあったと考えると笑えない。
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「勝てる子」に育てたいと思う親は多いと思う。
そのために、挫けぬ強さを身につけてもらう。真っ当な親心である。
そうなると、一番最初に考えることは肉体的に強くすることで、ついでに精神的にも強くなってほしいとか、チームワークを学んでほしいとか、いろんな希望が混じって、
子供をスポーツクラブに入れるという選択をする。
ただ、これは勘違いしやすい部分でもあるのだが、順序が逆なのだ。
強くなったから勝てるようになる。
その事実は、説明するだけなら簡単だが、実感するにはかなりの回数経験を積まなければいけない。
そして人間は負け続けてもその分経験を得たからいいやと割り切れるほど、出来上がってはいない。子供ならなおさらのこと。
幼ければ幼いほどチームメイトのひと言が(意図せず)心を抉ってくるかもしれない。下手すれば苦手意識の完成だ。
勝つ経験があるから強くなれる。
そしてそれは別にスポーツでなくてもいい。最初は親が相手をし、わざと負けてやればいい。勝たせてやった上でゆっくり負けの経験などを与えていけばいい。甘やかすのでも、スパルタでもない。段階的に、計画的に勝ちと負け、その中の努力を刻み込ませるのだ。
わざとだなんてフェアじゃないと思われるだろう。だが、そうでないと子供当人がフェアじゃない手段を使うことになるかもしれないのだ。
私は子供時代のことをよく覚えているが、子供の方が何倍もきついと確信を持って言える。
作業量や影響範囲、金額のことを言ってるんじゃない。ほとんど予測不能な上、被弾すれば激痛。こんな状態の中で、勝ち方も覚えずに突き進んだらどうなるか。
レベルが上がらないことには、主体的に話が進められない。痛みの理由も分からない。どうすれば解決すれば良いかも分からない。だがこの世の中は勝手に話が進む。
どこかでレベルが足りなくなる。
ボコボコになりながらひいひいしがみつく。運が良ければボーナスキャラを倒してレベルアップするか、強烈な痛みを以て強制的に覚醒させる。これにより救われる、かもしれない。
あるいはドロップアウトする。
目につく悪役なんていらない。フロア内にいるどの雑魚敵も倒せなくなるほどに、乖離が激しくなったので詰んだ、それだけのこと。
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話は戻るが、
そういうわけで「勝てるようになる」にはまず勝つ経験が必要になる。これは子供だけではなく、大人もそう。
あと、自分が言うのもナンだが、大人は子供目線について関心が乏しすぎると思う。
なんというか、子供は大人ほど複雑じゃないよね、という先入観がありすぎる。
あとは自分も通った道だから……という自信もあるだろう。ほとんど忘れている上、脚色されているものなんだけども。
前の近況ノートでも述べたけども、現代は「勝ち負けなんてない、勝ち負けなんて野蛮だ」「みんないいね」という欺瞞が蔓延っている。
その欺瞞にはとある前提がある。
「その地点に」たどり着いている人にとっては、勝ち負けなんてない。
「その地点にいる」みんないいね。
たどり着けていない人からすれば、何の慰めにもなってないどころか、放っておけば勝手に負けていく仕組みだ。
私は別にベストを目指せ、それ以外はゴミだと、とあるエゴイストめいた話をしているわけではない。
みんなという言葉は、実際はみんなのことを指していないよ、ということを言いたいのだ。
勝ち負けのない世界であるからこそ、勝ちにこだわらなければならない。
少なくとも、みんなのいる場所に辿り着くまでは。
強さだの優しさだのを語るのは、その先の話だ。