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信頼されている必要はないが……


 カイジという漫画作品の中で「実際に公平である必要はないが、少なくとも公平感を客に与えねばならない」というセリフがある。

 悪質カジノの胴元に対してそのボスが発言したものだが、これはビジネス全般に通じる至言だと思える。

 世渡りには「信頼」がすべてであるのは言うまでもないが、この信頼を勝ち取るためには「信頼感」が必要なのだ。
 そのために学習を重ね、実績を重ね、数字を重ねる。「(実際に)信頼されてますよ」と出来れば占めたものだが、最初の段階ではどうしても、多かれ少なかれ、信頼を偽装(つく)る必要だってあるだろう。
 だからこそ人前では誠実、素朴、純潔であろうとする。裏で苛立ち、唾を吐く日々があろうが、少なくとも馬脚を露したりはしない。

 実際に誠実である必要はないが、少なくとも誠実感は出さなければならない。



「笑顔の仮面を被っているが、中では泣いている少年少女」のイラストが時折登場してくる。今の自分がどうなってるか分からないという心中の不安や混乱を添えて。

 何となくなのだが、そういうイラストを描く人の心理には、

 そんな自分と向き合う誰かたちは「自分と違って」、
 仮面なんて被ってなくて、素のまま、さぞ気分よさげに話しているのだろう、

 という、窮屈さに対するもどかしい思いがある気がする。

 学生時代の自分もそうだった。
 自分の身を守ることに必死で、仮面を被って、人との交流を避けた。
 クラスの中の異物感がずっと拭えなかった。

「こいつに話しかけてもよさそうだ」という信頼感なんて、まったく与えてこなかった。

 なんて残酷な世界なのか、不幸な自分は他の人たちの当たり前さえ享受できないのだ――

 という陶酔にずっと陥り続けていた。


 実際、残酷な話だとは思う。
 勝ちの経験がない人ほど勝ちにこだわり、その経験をどんな形であれ、何としても【真っ当な形】で得なくてはならないのだ。

 そうでなければ、長い年月を「敗北者である」という無力感を抱えながら生きていくか、欲求をこじらせて非常にまずい方法で――練習もしてないのに真剣に手を付けるかのように――解決しようとしてしまう。



 現代は「勝たなくてもいい(=負けなくてもいい)」という、自分も相手も傷つけないやり方が、王道となりつつある。
 自分が傷つくと痛いし、誰かを傷つけたら相手に何されるか分かったものじゃないという恐怖がある。
 格差がまったくなければそれでもいい。そして「格差なんてないですよ? 差があってもそれぞれの人の個性で、尊重されるべきです」「勝ち負けを決めるなんて野蛮です」という意見もある。

 でも――そんなわけないのだ。格差はあるのだ。昔も今も、以前変わりなく。

 そして格差を持ったまま、引き分け(不戦)を繰り返したら、最初から勝ってる方が平和を享受しながら「勝ったまま」終わるのだ。そして負けた側は一回も抗うことなく散る。
 当たり前の話だ。公平感のある現代社会というカジノでまんまと公平だと思わされたカモ客だ。

 それは嫌だ。

 そう思うのであれば、信頼感を得るしかない。信頼はされてなくてもいい。でもこいつはやれると思わせなければならない。
 なんで自分が頑張らなきゃならないのか、他のみんなはやってないことを……なんて何百回通った道だ。

 でもそうしなければ、勝ちはない。勝ちがなければみんなが感じる「平和」にすら到達できないのだから……

 ゼロに戻るための闘い。それがまた学生時代とは別の陶酔であったとしても、今の考えの方が気持ちが楽になっているので、進めることにする。

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