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虚勢と虚生🐈‍⬛


 昨日とは打って変わって、げんなりムードだ。

 こういう時の方が良い(身につまされる)文章が書けるものだ。精神的にはストレスがかかるけれども。



「バキ童」(バキバキ童貞)の異名を持つぐんぴぃ氏がパートナーとの交際を宣言した時、
 結構多くの人の心に衝撃が走っていたのを、私はコメント欄などから察していた。他ならぬ私もその一人だったからだ。

 当人もこの影響を懸念していたわけだが、反応は想像以上に優しいものだった。
 まあ、優しかったというより、胸の底に重いものを抱えてはいたが、それをぶち撒けたところで無益だということを知っていたのだろう。

 そう、実際のところ、この話には加害者も被害者もないのであるから。



 大人になったからって、自動で大人びてくれるわけではない。虚勢だって張るし、身から出た錆を必死に覆い隠すこともする。

 そんなことを繰り返すと、どこかでぶち当たる。

「なんでわざわざこんなことしなきゃならないんだっけ」。

 これが脳裏によぎったら、一目散にその場から逃げなくてはならない。広辞苑並みにぶ厚いそもそも論が首を絞めてくる。

 もちろん、「生活のため」と言えば簡単なんだけども、現代って如何せん目を背ける道具(機会)と同じくらい、直視するための道具(機会)もあるから、そういう理由付けも段々効き目が悪くなる。

 端的に「本当に?」と返ってくるんだ、虚空から。

 本当かどうかなんて、本当はどうでもいい。そんなことを突き詰めるのにかける労力も惜しいくらい。

 でも耳を傾けずにはいられない。特に自分が誰からも必要とされていないことを自覚したときは。

 別に何かを変えるつもりはない。

 ただ、仮に全く見覚えのない誰かが家の中にいて「あなたはもう頑張らなくていいのよ」と言われたら、まるで誰かからそう言われることをずっと求めていた、そのために頑張り続けていたのだと記憶を上書きして、その誘いに屈することが出来る程度には脆いものでもある。

 なんだよ、「ひょっとしたら、オレ達に止めてほしかったのかもしれないな」と言われる悪役みたいな思考しやがって、と思われるかもしれないが、本当にそれくらいあやふやなのだ。



 本の中には「頑張らなくてもいい」とか「ありのままの自分で」というテーマの本がある。頑張ること(それは「ノルマ」の言い換えなのだが)、外向けの自分が強要されていた時代もあった。

 そこから解放されたら、何かが変わると思っていたわけだが、今となっては何にそこまで期待していたのだろう。
 仮面を強要されなくなったからって、素顔が受容されるとは一言も言ってないのに。大体仮面なしじゃ、外をまともに歩けないのに。

 酒というやつを飲めば、こういう嫌な気分をもみ消せるはずなのだ。数は少ないが飲んではいて、確かに上機嫌にしてくれた覚えがある。

 突発的に、そんな気持ちがよぎって、コンビニで一缶だけ買うこともある。とはいっても、結局は飲まずに冷蔵庫のなかに入れて、それっきり。そんな迷い酒がもう四缶くらいあって、そろそろ捨て時だ。




 観測されていない私は、要するに不確定な存在なのだろう。

 ぐんぴぃ氏を始めとしたペアを持つ人々は、互いに互いを観測できるので、確定している。確定して世を生きている。起こる出来事は良いものにせよ、悪いものにせよ、観測される。

 私は単独なので不確定だ。およそ半分だけ存在している。半分は存在していないかもしれない。だから行うことも半分は無為に終わるかもしれない。まさに半人前というやつだ。

 もちろん、これは悲観に寄りすぎている。観測は別に意図的かそうでないかを問わず、為されるものであって、道行く人々が避ければ存在していることになる。私だって避ける。数秒後には互いに背景になるとしても、関係を得ている。
 逆もそうで、ペアであっても常に観測し合ってるわけじゃない。度を越すと過干渉だ。着信が何百通も来る関係になる。分かち合うといっても、出会う前の経験をはじめ、自分一人の所有物もあるだろう。

 それに、なんとなくではあるが、「頑張らなくていい」「あなたに意味はない」と言われ、脆く崩れても、結局は戻ってくる気がするのだ。
 意志なのか、惰性なのかは分からない……が、とにかく、戻ってくるのだ。
 どこかに落としたはずのボールペンが、素知らぬ顔で胸ポケットに鎮座しているかのように。

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