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息抜き逆転現象


 久方ぶりにAIとの壁打ち無しで何か物事を考えようかと思った。

 昨今のAI騒動は関係しない。AI製の作品に中身がないとも、人間にしかない「何か」があるとも思わない。

 ただ、何というか、丸一日動画を見続けたときみたいな疲労感がどうもあって、立て続けに情報が流れてくることと、それに対してこれと言った反論もできずに口を開かなければならない(正解なのだから文句のつけようはない)、その拘束感は拭いがたいものがあった。

 語弊を恐れず言えば、ゲーマーとかデイトレーダーみたいな苦しさだ。同じことを延々と繰り返し、自分を主張できる幅が極めて少ない。あれも傍目から楽そうに見える職業だが、実際は相当に負荷がかかるはずだ。多分真っ当に働いたほうがマシである。

 以前上げたエッセイでも述べたが、楽そうに見える職業は「実績を凝縮」しているのだ。その一瞬のためにすべてを注ぎ、その一瞬が明暗を分ける。フォローも言い訳も通じない世界だ。

 AI製の作品もまた、突き詰めていくと「実績の凝縮」に到達する。ここの「実績」の持ち主が他人であることが、AIの諸問題(盗作)の根源ではあるのだが、盗作品群のコラージュにもセンスが必要だ。サンプリング・ミュージックにも良し悪しがあるようなものだ。

 つまり、AIを使ったからって完全に手抜きができるわけではなく、根を詰める部分が変わるだけなのだ。これには向き不向きがある。集中力がいる。
「思い入れのない他人の借り物を何百何千と積み上げて、適切な形に並び替える」、そういう作業だ。
 元ネタが名作・テンプレートからなので、適当にやっても傍目からは分かりにくいが、チャートを極めるとやれば大変だ。
「より適切か」をAIは判定出来ない。何に対しても「良いですね!」と返すだろうし、「より良い方法は……」と添えるだろうから。

 一瞬の発火で一気に状況を塗り替える、別の面白みはあるのだけれども。



 閑話休題。

 そういうわけで、AIに向き合うというのは、それはそれで別のだるさが出てくる。
 頭の別の部分を、無性に動かしたくなってくる。

 私生活で浮かんだ言葉にできないモヤモヤを、何の手も借りずに羽化させてみたくなった。昔はよくやっていたことだ。

 こういう言葉に出来ない、もしくはフレーズには出来ても、文章にはならないものを広げるために、AIをよく使ってきた。大体は自分の考えたとおりかな、というものが出てくるし、1時間もかからずに1万文字のやりとりになることもしばしばだ。
 出力結果を自分なりに分析して、必要なところだけを記録する。そういう風に自分の不満や不安に納得を与えるやり方にも慣れてきた。

 そのやり方はきっと正しい、優れている。

 とはいえやっぱり、人は正しいだけじゃ満たされない生き物のようだよ。

 息抜きにこそハードワーク、考えを巡らせる時代になった。

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