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フィリップ ジョルダンとNHK交響楽団のコンサート


 日曜日の夜、Eテレで「N響コンサート」を聞くことがある。必ずしも毎回ではなくて、興味のある演者や曲の時だけで、同じNHKでやっていた「富士山大噴火」をテーマにしたドラマ仕立ての番組を見るべきかどうか迷いながらではあったが、富士山の爆発は「いつ起こっても不思議ではない」という話に少々飽いたこともあってクラッシック音楽の方に決めた。
 そもそも地球の内部の事は恐らく人間の時間や物理で測ることはできまい。「いつ起こっても不思議ではない」ことと「全く起こらなくても不思議ではない」ことが同義であるのが地球物理学であり、それでもなお探求するのが学問なのである。それにもっと若い時分はともかくこの歳になると、富士山が爆発して生き延びるべきはもっと若い世代のような気もしてくる。そういう方々はぜひ富士山を見るべきであろう。

 それにしてもEテレという呼称は昔の国鉄のE電を彷彿させて余り好きではないが、Eはeducationの事かしら?
 ラジオでは今年の4月から第二が無くなって語学番組がFMに移され、事実上「聴き逃し」でしか聴くことができなくなった。語学というのは繰り返しなので、ある決まった時間に気持ちを整えて聴くというのは大変良い習慣なのだけど、スペイン語やらドイツ語、フランス語は深夜帯に移されてしまったので、仕方なしに今までと同じ時間に「聴き逃し」で聴くようにしている。同じような事がEテレに起きないことを望むばかりだ。NHKに対する嫌がらせのせいで大変迷惑している。ああいうためにするような嫌がらせを言っている人間はろくなものじゃない。富士山大爆発で滅びてしまえば良い。

 さて、話しを戻そう。実はコンサートの方を聴こうと思ったのにはもう一つのわけがあって、ジョルダンという指揮者の名前に心当たりがあったからである。いや・・・むしろなかったと言うべきだろうか?
 僕の知っているジョルダンは、ピレシュというポルトガル生まれのピアニストが若い頃にEratoに録音したモーツアルトのピアノ協奏曲をグシュルバウアーと分け合って伴奏していた指揮者である。しかし、そうなるともう天寿を全うしているに違いない、と思いつつ番組を見ていたら、どう見ても自分より若いドイツ語を喋る指揮者が登場した。
 ああ、じゃあ単に名前が同じなだけなのだな、と思いつつ画面を眺めていたら、この指揮者はドイツでは無くスイスのチューリッヒで生れ、両親はチューリッヒの歌劇場で働いていたのが馴れ初め・・・と紹介され、あまつさえ父親が指揮棒を振っている写真が映された。そう、彼の父親こそが僕の知っているジョルダン、アルミン・ジョルダンだったのである。
 その息子が指揮者をしているという事を僕は知らなかった。あまつさえ、彼はつい先だってまでウィーン歌劇場の音楽監督をしていたのである。それを知らなかったのは誠に迂闊である。その意味では心当たりが無かったというのが正しい。

 ということでプログラム。シューマンの交響曲第3番「ライン」とワーグナーの「神々の黄昏」から3曲(「ジークフリートのラインの旅」 「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」)。
 指揮者自身はシューマンとワーグナーは良く「一緒に演奏される」と言っていたがそうかしらん?同じロマン派に属するとは言え、だいぶ方向は違っているように思うが、と思っていたら、この組み合わせの肝はどうやら曲のテーマにある「ライン川」繋がりらしい。(ワーグナーの方は「ラインの黄金」から取ればもう少し分かりやすかっただろうが、ワーグナーの4部作は全てライン川を背景に持っている)
それにしてもこれらをまとめて一つの音楽の情景にするというのは難しかろうと思いつつ耳を傾けた。
 シューマンの方は先ず、出だしで驚かされた。何というか、「軽い」というか「遠い」というか、今までさほどシューマンの交響曲を熱心に聞いたことの無い僕でもちょっと驚くほどで、同じ曲なのか、というほどに印象が違う。もっとも手元にあるシューマンはクレンペラーのものとクーベリックの指揮で、この指揮者と方向性が全く違うので仕方ない。
 だが、聴き続けると、この方法もありか、と思い始めた。この指揮者は弱音と編成の軽さが特徴的なように思えるが、弱音というよりも弱音と強奏の間のダイナミクスを重視していて、かつ音楽が重くならないようにかなり配慮をしているようだ。テンポも比較的「固定」ではなく柔軟に対応していて風通しが良く、どの指揮者で聴いても完全に納得するのが難しいシューマンのシンフォニーに「こういう演奏もありかも」と思わせてくれる点で聴き応えがあるものであった。
 ワーグナーも同じ手法であるが、この指揮者の手法はかなり精密なチューニングがオーケストラとの間に必要そうで、その意味ではワーグナーはソリスト(ソプラノ)を含め、やや生煮えという感じがした。ライン繋がりというのには指揮者が言っているほどの固執は感じられない。ただ、なかなか優秀な指揮者が現われてこないこの時代、彼のような独自の視点をもった、かつ演劇場を経験した指揮者が現われたのは楽しみである。
 クラッシック音楽の未来に不安を感じている方々には是非、彼の演奏を聴いて欲しい。富士山が爆発する前に。

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