エピローグ:帝都、あるいは重なり合うレイヤー
大正という時代は、もともと脆い均衡の上に成り立っていた。江戸の残滓と、押し寄せた近代化の波。人々は袴を履きながらカツレツを食べ、蓄音機に耳を傾けながら、まだ見ぬ未来を夢想した。それは一種の「裂け目」のような時代だった。
そして今、僕らが生きているこの「サイバー大正」は、その裂け目をテクノロジーで強引に引き延ばした場所だ。
僕らは脳内にチップを埋め込み、意識を銀の円盤に書き出せるようになった。だが保存できるのは情報であって、痛みの処理ではない。
九条数子が抱えていた銀の糸のような思念も、佐藤が直面した底知れない悪意も、きっと千年前の人間が抱えていたものと、根っこの部分は変わらない。テクノロジーはそれを可視化し、鮮明に保存できるようにした。だからこそ、救いのない後悔や捨て去るべき未練が、ノイズとして街中に溢れ出している。
僕がやっている「口寄せ」という仕事は、その溢れ出したノイズを、もう一度だけ物語の中に閉じ込める作業に過ぎない。
蒸気が噴き出し、電子回路が唸るこの帝都は、死者の未練と生者の自己欺瞞を燃料にして動いている。だからこそ、この街はこれほどまでに美しく、そして残酷なのだ。
窓の外を、ホログラムの鯨がゆっくり泳いでいく。煤煙の空を、深海のように。路面電車が火花を散らし、蒸気飛行船がネオンの海を横切る。古い街と新しい街が重なり合い、どちらもほどけない。
グリーンのランプが点滅し、新しいメッセージの受信を告げた。また別の誰かの「割り切れなさ」が夜を伝って届いたらしい。
点滅のリズムは、どこかで聞いたことのある古い規則性を持っていた。モールスの残り香。信号は止めても、信号のかたちは人間の中に残る。
僕は受信ボックスを開きかけて、やめた。読む前に、コーヒーを一口飲む。苦味で自分の輪郭を確かめてからでないと、他人の割り切れなさに触れられない夜がある。
「やれやれ」と僕は呟いた。蓄音機のアリアが最後の一音を紡ぎ出すのを待ち、針が止まったところで、コーヒーミルを回した。
真鍮の歯車が噛み合う音。それが、不確かな世界で僕が信じられる確かな手触りだった。
(完)
碧き帝都、あるいは不完全な供養を巡るプロトコル 桃馬 穂 @kenkix
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