エピローグ:少しだけ、マシになった

3年が経った。


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颯太は、小学一年生になった。


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4月の朝。


空は青く、桜は散りかけていた。


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俺は、スーツを着て、颯太の隣に立っていた。


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「パパ、ネクタイ曲がってる」


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颯太が、俺の胸元を指さした。


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俺は苦笑いして、ネクタイを直した。


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「お前に言われるとはな」


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颯太は、真新しいランドセルを背負っている。


黒いランドセル。


俺と同じ色を選んだ。


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「緊張してる?」


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俺が聞くと、颯太は首を横に振った。


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「してない」


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嘘だ。


さっきから、ランドセルの肩紐を何度も直している。


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「大丈夫だよ」


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俺は、颯太の頭に手を置いた。


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「お前なら、友達すぐできる」


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颯太は、少しだけ笑った。


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その笑顔が、3年前より、大人びて見えた。


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学校の門をくぐる。


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校庭には、たくさんの親子がいた。


新入生たちは、みんな少し緊張した顔をしていた。


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俺は、周りを見回した。


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父親も来ている家庭が、思ったより多かった。


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3年前の俺なら、この場にいなかっただろう。


仕事を理由に。


あるいは、「母親が行けばいい」と言って。


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でも、今は違う。


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俺は、ここにいる。


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「あ、じいちゃんとばあちゃん」


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颯太が、遠くを指さした。


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俺は、その方向を見た。


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校庭の端。


桜の木の下に、2人の老人が立っていた。


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父親と、母親だ。


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父親は、3年前より痩せていた。


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髪も、さらに白くなっていた。


でも、背筋はまだ伸びていた。


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母親は、颯太に向かって手を振っていた。


颯太も、手を振り返した。


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父親は、手を振らなかった。


ただ、俺を見ていた。


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俺たちの目が、合った。


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何も言わない。


言葉は、いらない。


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俺は、軽く頭を下げた。


父親も、小さく頷いた。


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それだけだった。


それだけで、十分だった。


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「パパ、行こう」


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颯太が、俺の手を引いた。


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俺は、颯太の手を握った。


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小さな手。


でも、3年前より、少しだけ大きくなっていた。


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俺は、その手を強く握った。


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少し、強すぎたかもしれない。


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「痛いよ」


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颯太が言った。


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俺は、はっとした。


すぐに、力を緩めた。


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「ごめん」


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颯太は、不思議そうな顔をした。


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「パパ、どうしたの?」


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俺は、首を横に振った。


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「何でもない」


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本当は、何でもなくなんかない。


でも、今は言葉にできなかった。


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俺は、颯太の手を握り直した。


今度は、優しく。


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颯太が、俺を見上げた。


そして、笑った。


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俺も、笑い返した。


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入学式が終わって、俺たちは近くのファミレスに入った。


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テーブルには、6人が座っていた。


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俺と、美咲と、颯太。


そして、父親と、母親と、美咲の母親。


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美咲の母親は、颯太の写真を何枚も撮っていた。


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「颯太くん、ランドセル似合うわね~」


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颯太は、照れながらも嬉しそうだった。


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母親も、颯太に話しかけていた。


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「給食、何が楽しみ?」


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「カレー」


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「あら、パパと一緒ね」


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俺は、水を飲みながら、その様子を見ていた。


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父親は、黙っていた。


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メニューを見ているふりをしていたが、たぶん、何も見ていなかった。


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この3年間、父親の認知症は進行していた。


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でも、まだ俺のことはわかる。


颯太のこともわかる。


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ただ、時々、言葉が出てこなかったり、同じことを何度も聞いたりする。


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母親が、懸命に支えていた。


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颯太が、急に父親に話しかけた。


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「じいちゃん」


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父親が、顔を上げた。


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「ん?」


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「じいちゃん、パパが小学生だった時、どうだった?」


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テーブルが、一瞬、静かになった。


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俺は、息を止めた。


美咲が、俺を見た。


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俺は、首を横に振った。


大丈夫だ、という意味で。


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父親は、少し考えていた。


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眉間にしわを寄せて、記憶をたどっているようだった。


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そして、答えた。


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「真面目だったよ」


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颯太が、目を丸くした。


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「パパが?」


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父親は、小さく頷いた。


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「いつも、本読んでた。図書館から、毎週5冊借りてきてた」


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俺は、驚いた。


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覚えていたのか。


俺が図書館に通っていたことを。


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認知症が進行していても、昔のことは覚えているのか。


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颯太が、俺を見た。


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「パパ、本好きだったの?」


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俺は、少し恥ずかしくなった。


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「昔の話だよ」


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美咲が、くすっと笑った。


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「今は漫画しか読まないもんね」


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「うるさいな」


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母親も笑った。


美咲の母親も笑った。


颯太も笑った。


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父親は、笑わなかった。


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でも、少しだけ口元が緩んでいた。


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俺は、父親を見た。


父親も、俺を見た。


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何も言わなかった。


でも、何かが通じた気がした。


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これが、家族なのかもしれない。


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完璧じゃない。


ぎこちない。


言葉は足りないし、わかり合えないこともある。


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でも、同じテーブルを囲んでいる。


同じ時間を過ごしている。


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それだけで、いいのかもしれない。


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食事が終わって、店を出た。


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父親と母親は、駅に向かった。


美咲の母親も、別の方向に帰っていった。


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俺と美咲と颯太は、家に向かって歩いていた。


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4月の風が、心地よかった。


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桜の花びらが、時々、風に乗って飛んできた。


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颯太が、俺の手を握ってきた。


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「パパ」


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「ん?」


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「今日、来てくれてありがとう」


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俺は、颯太を見下ろした。


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颯太は、まっすぐ前を見て歩いていた。


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「当たり前だろ」


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俺は、そう言った。


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当たり前。


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3年前は、当たり前じゃなかった。


でも、今は、当たり前にしたい。


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「ねえ、パパ」


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「なんだ」


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「じいちゃん、ちょっと怖い」


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俺は、少し笑った。


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「そうか」


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「うん。でも、悪い人じゃないよね」


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俺は、黙った。


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悪い人じゃない。


その言葉が、胸に刺さった。


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父親は、悪い人じゃなかった。


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ただ、父親のやり方がわからなかっただけだ。


愛し方がわからなかっただけだ。


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俺と、同じだ。


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「そうだな」


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俺は、答えた。


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「悪い人じゃない」


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颯太は、満足そうに頷いた。


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俺は、空を見上げた。


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青い空に、白い雲が流れていた。


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父親。


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俺は、お前のような父親にはならない。


お前のように、息子を放っておいたりしない。


お前のように、言葉を惜しんだりしない。


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でも、お前の息子であることは、変えられない。


お前の血が、俺の中に流れている。


お前の影が、俺の中にある。


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俺は、お前を許さない。


お前が俺にしたことを、なかったことにはできない。


あの寒い夜、一人で泣いたことを、忘れることはできない。


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でも、お前がいたから、俺はここにいる。


お前が生きていたから、俺が生まれた。


お前が不器用に育てたから、俺は自分の不器用さを知ることができた。


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それだけは、認めてやる。


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颯太が、また俺の手を引いた。


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「パパ、何考えてるの?」


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俺は、颯太を見た。


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7歳の息子。


俺の、すべて。


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「何でもない」


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俺は、そう言った。


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そして、颯太の手を、しっかり握り直した。


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今度は、痛くないように。


でも、離さないように。


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「帰ろう」


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俺は、言った。


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颯太が頷いた。


美咲が、俺たちの後ろで微笑んでいた。


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俺たちは、家に向かって歩き出した。


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桜の花びらが、風に舞っていた。


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4月の空は、どこまでも青かった。


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俺は、まだ完璧な父親じゃない。


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これからも、間違えるだろう。


颯太を傷つけることも、あるかもしれない。


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でも、俺は気づけるようになった。


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「痛い」と言われたら、力を緩められるようになった。


「ごめん」と言えるようになった。


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それだけで、いい。


それだけで、十分だ。


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俺は、少しだけマシな父親になれた。


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完璧じゃない。


でも、昨日より、少しだけマシだ。


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そして、明日は、今日より少しだけマシになりたい。


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それが、俺にできる、精一杯だから。


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颯太も、いつか思うだろう。


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「父ちゃんみたいにはならない」と。


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それでいい。


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それが、親子ってもんだから。


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俺は父親を許せない。


でも、父親の息子として生きていく。


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颯太も、いつか俺を許せなくなるかもしれない。


でも、俺の息子として生きていってくれ。


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影を背負って、それでも前に進んでくれ。


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俺も、そうするから。


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家に着いた。


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玄関のドアを開ける。


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いつもの匂い。


家族の匂い。


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颯太が、靴を脱いで、リビングに駆けていった。


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「ただいま!」


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その声が、家中に響いた。


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俺と美咲は、顔を見合わせて笑った。


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「ただいま」


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俺も、声に出して言った。


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美咲が、優しく微笑んだ。


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「おかえり」


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夜、颯太を寝かしつけた後、俺は一人でベランダに出た。


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夜空を見上げた。


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星が、少しだけ見えた。


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3年前より、心が軽い。


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完璧じゃない。


まだ、仕事は忙しい。


まだ、家族との時間は少ない。


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でも、3年前よりはマシだ。


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俺は、変わり続けている。


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少しずつ。


一歩ずつ。


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父親の影を背負ったまま。


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それでも、前に進んでいる。


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ポケットの中に、あの恐竜のフィギュアがあった。


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颯太が3歳の時にくれた、宝物。


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俺は、今でも持ち歩いている。


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お守りとして。


颯太との約束として。


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俺は、恐竜を手のひらに乗せた。


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小さくて、軽い。


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でも、重い。


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これが、家族の重さだ。


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この重さを、俺は背負って生きていく。


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父親の影と一緒に。


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「パパ」


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颯太の声が聞こえた気がした。


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振り返ると、誰もいなかった。


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颯太は、もう寝ている。


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でも、確かに聞こえた。


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「パパ、大好き」


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その声が。


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俺は、微笑んだ。


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俺も、お前が大好きだよ。


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これからも、ずっと。


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完璧な父親にはなれないけど。


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それでも、お前の父親でいたい。


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俺は、ベランダから部屋に戻った。


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美咲が、ソファに座っていた。


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「颯太、寝た?」


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「ええ」


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俺は、美咲の隣に座った。


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「今日、ありがとう」


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美咲が言った。


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「入学式、来てくれて」


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「当たり前だろ」


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俺は言った。


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美咲は、俺の手を握った。


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「あなた、変わったね」


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「変わった?」


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「うん。3年前より、ずっと」


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美咲は、微笑んだ。


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「完璧じゃないけど。でも、ちゃんと家族を見てくれてる」


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俺は、美咲の手を握り返した。


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「お前のおかげだ」


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「私だけじゃないよ」


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美咲は言った。


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「颯太も。お義父さんも。みんな、あなたを変えてくれた」


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俺は、頷いた。


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そうかもしれない。


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俺一人では、変われなかった。


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家族がいたから、変われた。


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その夜、俺はベッドに横になった。


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天井を見上げた。


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3年前、実家の自分の部屋で、同じように天井を見上げた。


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あの時、俺は泣いていた。


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父親と同じになることへの恐怖。


家族を守れないことへの絶望。


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でも、今は違う。


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俺は、まだ完璧じゃない。


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でも、少しだけマシになった。


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そして、これからも、少しずつマシになっていく。


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それが、俺の人生だ。


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俺は、目を閉じた。


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颯太の笑顔が浮かんだ。


美咲の笑顔が浮かんだ。


父親の顔が浮かんだ。


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父ちゃん。


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俺は、父ちゃんを許さない。


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でも、父ちゃんがいたから、俺はここにいる。


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父ちゃんの息子として、生きていく。


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父ちゃんの影を背負って、生きていく。


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それが、俺の選んだ道だ。


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そして、颯太もいつか、俺の影を背負って生きていく。


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それでいい。


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それが、親子ってもんだから。


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俺は、深い眠りに落ちた。


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穏やかな眠りに。


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明日も、颯太と遊ぶ約束がある。


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明日も、家族と過ごす時間がある。


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明日も、少しだけマシな父親でいられるように。


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俺は、眠り続けた。


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家族の温もりの中で。


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父親の影を背負ったまま。


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それでも、前を向いて。




【完】

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【ヒューマンドラマ】父ちゃんと俺――許せないまま、それでも生きる マスターボヌール @bonuruoboro

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