【そして君は前を向く】2025年大晦日企画

ユキノト

主観と客観の異同

 うちのフィルお嬢さまは本当にかわいらしくていらっしゃる。


 日の光のように鮮やかな金髪に、大旦那さまそっくりの森の緑の瞳。白磁器のごとく透明感のある肌に、ほんのり染まったぷっくりしたほっぺた。目があうたびににっこりとお笑いになるご愛嬌に、小鹿のように元気に走りまわっていらっしゃる姿……――他にも尽きないがこの辺にして、と。

 それもこれも凛々しい若旦那さまと、美の女神の化身と謳われた、目の眩むような美貌のシンディさまの間にお生まれになったのだから、当たり前といえば当たり前。

 それでも声を大にして言いたくなる――うちのフィルお嬢さまはとっってもかわいい。


 もちろん外見の話だけじゃない。

 不幸なことがあってご両親の下ではなく、大旦那さまと大奥さまとお暮らしになっていらっしゃるけれど、拗ねた様子もはかなんだ様子もなく、真っ直ぐ子供らしく成長なさっている。

 明るくて、優しくて、思いやりに満ちていて、一緒にいると温かい気持ちになって、いつの間にか笑ってしまうところも含めて、うちのフィルお嬢さまは最高にかわいいのだ。


 そんなお嬢さまだが、まあ、ちょっとばかりおてんばかな、と思うことはある。

 横で長年連れ添う夫が「……ちょっと?」と呟いたのは目で黙らせて、と。

 町の者たちが剣を習っていらっしゃることなどを指して、口さがなく『あれではまるで男の子だ』と言っているのを耳にしたことがあるけれど、そんなことはない。花を愛で、動物たちを慈しむような、柔らかいお心だってちゃんと持っていらっしゃるのだ。

「かわいいとか綺麗なものだけではなくて、食虫花とか、毒キノコとか、魔物とかまで全部ひっくるめてお好きだけどな。しかも、最近じゃ、むしろそういうものの方によりご興味をお持ちなんじゃないかと私は疑ってるんだが」

「……」

 そ、それでも、フィルさま曰くの『すごい!』ものを見つけて、キラキラと目を輝かせていらっしゃるお姿とか、それを得意満面で持ってきて、「ターニャ、ターニャ、見てっ」とにっこり笑って差し出してきてくださることとか、問答無用で捕まえて頬ずりしたいくらいだ――たとえその手の中にある魚に足が生えていても。

「足があるのは魚じゃないと言っているだろう。ターニャ、現実を見ろ」

「……」

 そ、それでも、誰がなんと言おうが、フィルお嬢さまはかわいいのだ。


 ――ほら、今だって。


 領都への冬の出張からお戻りになった大旦那さまが、フィルさまにお持ち帰りになったお土産は、お嬢さまより大きい、もふもふのクマのぬいぐるみ。子供、いや大人の女性にだって人気で、私までつい欲しくなってしまうようなものだ。

 ただでさえかわいらしいお嬢さまが、そのクマと顔を見合わせていらっしゃる様の絵になることと言ったら……。


「かわいいだろう、フィル? 領都で見かけたんだ」

「……」

「……なんで顔を引きつらせてるんだ」

「爺さま、これ、クマじゃない……」

「? クマだろう、どう見ても」

「だって、目も頭もおっきい。口もとんがってない。おかしい。こんなクマいない」

「いや、目も頭も大きいから、かわいいんじゃないか。口だって尖ってないほうがいいぞ。本物のクマなんておそろしいだけじゃないか」


 凍える外が嘘のように温められた室内。赤々と燃える暖炉の炎の前に足を投げ出して座り、白いふわふわのセーターを着たフィルさまは目を細め、かわいらしく小首を傾げた。そのままじっとクマと見つめ合う。そのご様子は心温まるものだった。


「見つめる、というより、あれ、睨んでるって言わないか……?」

「……」

 人を無理に現実に引き戻す夫――私はこういう瞬間に、彼との熟年離婚を真剣に考える。



 * * *



「っ、いやあっ、オバケっ」

 そんなお嬢さまはまだ幼くていらっしゃるから、時々夜泣きをなさる。

「婆さまーっ、ターニャーっ」

 そんな時に涙声でお呼びになるのは、やはり女衆だ。

 大旦那さまには申し訳なく思うけれど、私のことも頼りにしてくださっているのだと感じられて、ますますお嬢さまへの愛情が増す。


「……」

 ――そう、たとえ慌てて飛び込んだお嬢さまの部屋が、ふわふわと舞う綿や羽毛やらで埋め尽くされていても。


「フィル、なあに? どうしたの?」

「っ、ば、婆さま、あのね、あれがね、まっくらで、にらんで、うごいた……」

 不覚にも固まってしまった私の横を、すっとすり抜けて行かれるのは大奥さまだ。

 寝ぼけたままぐすぐすと泣いていらっしゃるお嬢さまへと近づき、そっと抱きしめていらっしゃる彼女は、やはり偉大な方だ。

 頭が真っ白になっている我が身はもちろん、

「持ってらっしゃるの……剣ですよ、アルさま……」

「串刺しじゃ飽き足らず切り裂いたのか……」

「原型をとどめてないどころか、布と呼べるような残骸すらありませんよ……」

「いや、最近本物のクマに興味津々だったから、飼いたいとか言い出す前に、と思ったんだが……」

「ああ、道理で……。おかしいと思ったんです。今更お嬢さまにぬいぐるみだなんて」

 床に散らばったぬいぐるみの名残のチリを摘まんで顔を引きつらせている大旦那さまや我が夫と比べて。


 逃げるでなく助けを求めるでなく、怯えの元は自ら切り裂く――一般には「かわいらしい」と分類される要素ではないかもしれないが、フィルお嬢さまはそれでいいのだ。

「ごめ、なさい、起こして。あとじ、さま、せっかくの、……ご、めんなさい」

 落ち着いた後、泣きはらして真っ赤になった目と嗚咽に途切れる声で一生懸命謝ってくださることもそのお心根も、素晴らしくかわいらしくていらっしゃるのだから。

「おやすみ、フィル」

「今度は楽しい夢を見られますように」

 大旦那さまと大奥さまはもちろん、私と夫もそんなお嬢さまに笑みを零し、改めてお休みのキスを交わして、自分たちへの寝室へと戻る。


 そう、私には確信がある。

 こうもかわいらしいお嬢さまは、間違いなく幸せになられる、この世の誰よりも――そのかわいさを理解してくれ、私でさえ固まってしまうような事態にも対処できる男性が現れれば。

「……」

 い、いるんだろうか、この世に、と一瞬頭をよぎったのは、私も寝ぼけているからということにしておきたい。


「ついにお前も現実を見ざるを得なくなってきたな」

 ちなみに、私がこんな夫との熟年離婚に踏み切らないのは、彼が内心で「そんな男性、現れないなら現れないでかまわない」と考えているからだ。

 長年連れ添っているのは伊達じゃない。「オットー」とフィルお嬢さまに呼ばれるたびに、彼の目尻が下がっていることに、妻の私はちゃんと気付いている。


 明かりもつけずに飛び出した我が寝室は当然真っ暗。外の雪明りで、窓辺だけがほんのり明るく浮かび上がっている。

 なんとなしに窓へと身を寄せれば、空気中の氷のせいで、きらめきを増した冬の星々が鮮明に目に映った。

 ガラス越しに伝わってくる凍える空気に思わず身を震わせれば、背中から優しい温もりに包まれた。もう何十年も経つのに、変わらず傍らにいてくれる温もり――。

「……今度はゆっくりお休みなっているかな?」

「『クマモドキオバケ』は跡形も無く退治されたもの」

 夜半の雪を一緒に眺めながら、そう言って顔を寄せ合い、小さな声で笑い合う――いつか、フィルお嬢さまにも彼女だけのこんな男性が現れるのだろう。


 なお、その場合でも「主観一杯にお嬢さまかわいい!」なこの私以上にお嬢さまをかわいく思っていると証明する義務が、その方に残っていることだけはここに主張しておく。

「私への証明義務も入れておいてくれ」

 そして、こういう瞬間に、やはり熟年離婚に踏み切るわけにはいかない、と思うのだ。



 * * *



 本年のお付き合いありがとうございました。

 来る2026年が、あなたにとって素敵なものとなりますように!

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【そして君は前を向く】2025年大晦日企画 ユキノト @yukinoto

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