第3話

 結局、あの妙な出来事と、笑い泣きかえるに因果関係があったのかは不明のままだ。


 でもあの時は、敷島が“しきしま”、中島遥が“なかしまはるか”じゃなくて良かった。って思っていた。



 ◇◇◇



 テーブルの前に置かれたシャンパングラスに、蜂蜜みたいな金色のシャンパンが注がれた。

 はるかはグラスに手を添え、満たされていく液体を見届けると、上目遣いでにこりと笑った。普段より少し畏まった感じ、他所行きの笑顔ってやつだ。

「一周年、ありがとう」

 お互いのグラスを軽く合わせると、高く澄んだ音がした。

「こちらこそ。高そうなお店だよね。無理したんじゃない?」 

「ないない、せっかくの料理だし、楽しもう?」


 彼女とは、大学のサークルの合コンで知り合った。

 

 コンパに少し遅れてきた彼女は、席について早々、

「中島春香です。中島美嘉のなかしまです。中学の時に事故に遭って、身体はこんなですけど、テニスには関わりたくて。よろしくお願いします」


 “なかじま”じゃなく、“なかしまはるか”。


 俺があの時呼び出した知らない誰かは、知らない人じゃなくなった。


 一期下の彼女は、中2の夏に事故に遭った。左の足首から下を事故で失い、義足になったらしい。事故がなければ同学年だった。

 だから最初は、“なかじまはるか”の身代わりに俺が傷つけてしまった子、のつもりで接近した。

 自分勝手な思い込みで近づいたのも、今は猛省してる。


 春香は、足のハンデなんか気にならないくらいパワフルで、よく笑い、よく気がつく子だった。

 サークルではムードメーカーで、試合には出られないものの、声で選手のペースを作り、皆を元気づける。


 シャンパンで乾杯した後の話題も、そろそろ本格的にスタートする俺の就活の事で。

「誠くんなら、第一希望の所に入れると思う」

「覚えるの苦手なんだよ、一般常識は特に」

「そこは、私が問題出してあげるよ」

 少し話すだけで胸の中に温かいものを灯してくれて、自信の空気で俺を包む。


 そんな彼女は、本当に時々、悔しさと寂しさが混じった目を滲ませる。

「やっぱり、誠くんと同じコートでプレイしたかったな」

 思うように足が動かせない悔しさは、本人にしかわからない。

 春香みたいに気の利いた言葉も浮かばなかった。


 初めてその表情を目にした時、それまで見ない振りをして蓋していた感情が湧き上がった。

   

 なんでカエルは、呼ばれた方に禍いをかけたんだ。

 どうして、春香を事故に遭わせたんだ。


 彼女の名前を忌わしい儀式に使ったんだ。 

 罰なら、俺に与えりゃいいものを。


 春香が、皿の野菜をフォークで刺す。黄色のソースが色鮮やかだ。

 いや、鮮やか過ぎる? 

 ……シャンパンの酔いが、思っているより速く回ったのかも知れない。

 遠い窓の外が白ばんでいく。 

 光度がどんどん上がっていく。

 食事中だったはずの店は段々と明るさを増していき、ついには何も見えなくなった。


 辺りから滲むように現れたのは、自分の部屋、だった。


 初めて買って貰ったスマホを握っている。……いつも見るあの夢だ。 

 

 夢かもしれないけど、できる事はやっておきたい。

 夢からすぐ醒めるかもしれない。最速でできる一つの事。


 画面には、『言いすぎた。ごめん。中学でもまた遊ぼう』という文字。


 現実はここまで打って、送信ができずに終わった。

 

 夢でも何度もトライした、でもどうしても指が固められたように先に進まない。


 変な意地張ってんじゃねぇよ。あっちは全然怒ってない。お前が拘ってるだけだ。

 頼むから押せ! ……押してくれ。


 スマホを持っている俺と、今ここにいる俺は別の意思を持っているようだった。 


「押せ! 押さないと、お前がずっと後悔するんだよ!」


 すると、頑なに動かなかった指が……拍子抜けするくらいにすんなりと送信を押した。


 次の瞬間

 ——窓の外が目も開けられないくらいに眩しく光った。


 遅れて、Limeから本来は来なかった返信音がする。

 


 ◇◇◇



「……くん。誠くん?」


 ぼやけた目の先に、春香の顔があった。

 正面には……

 

 ——空が一杯に広がっていた。


 180度に渡る高層から眺める景色。

 テラス席で、さっきと違う料理。

 

「え?」

 立ちあがろうとして立てない事に気づく。


 俺は——車椅子になっていた。


 腰を上げたつもりが……地面を踏む足が踏ん張れずに、体が沈む。

 春香がすっと立ち上がり、俺の体勢をすかさずフォローした。



 ……どこかで世界がズレていた。


 Limeの送信ボタンを押した先。

 俺は到とすぐに仲直りし、笑い泣きかえるを最初に見せられた。

 濁点を付けたはいいが、どこに行っても中坊の俺が残念である事には変わらないらしい。

 止めるでもなく、面白がって広げてしまった。


 クラスメイトの事故も変わらなかった。


 濁点が直接の原因かはわからない。でも、あの時押した送信ボタンは以降の噛み合わせをおかしくした。

 カエルは、“なかしま”を呼び出すこともなく、代わりに今度は因果が自分しきじまに返って来た。


「さっきのお店のりんごのタルト、美味しかったぁ〜」

「フレンチだと、アップルパイは出ないんだな」


 背後で車椅子を押す春香の声が弾む。

 杖や足を引き摺る音はない。


 代わりに車椅子の車輪の音。


「笑い堪えるの苦しかったぁ。いきなり『食後はアップルパイを』なんて言うだもん。」

「だって春香好きじゃん、アップルパイ」


 カエルの代償にしては、だいぶ減らしてくれたんだと思ってる。 


 春香との接点は、元は濁点がないカエルでの繋がりだけだ。

 逢う事のなかった人生になったって不思議じゃなかった。


 ここでは俺は、車椅子テニスで世界を目指していて、春香は、応援するファンとして俺の前に現れた。


 因果ってやつも、粋な真似をするもんだ。

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