この作品の主人公はなんとのっぺらぼう。
普通、のっぺらぼうなんて主人公にしたら怖い作品になりそうなもんですが、この小説は終始コメディ色が強いので、ホラーが苦手な人も楽しめると思います。
さて、その主人公ののっぺらぼうなんですが、いつものように怖がらせようと、声をかけてきた女性に目も鼻も口もない顔を見せるんですが、なんとその女性の父親の幽霊だと勘違いされてしまいます。
どうやらその父親は事故で顔を損傷して、顔のない死体になってしまったらしい。
厄介ごとに巻き込まれそうな気がしてのっぺらぼうが逃げようとしていると、今度は父親の死について捜査していた刑事が現れる。
その刑事は主人公がその父親の幽霊であることを疑問視し、主人公がなんらかの化け物で、父親は本当は生きているんじゃないかと言い出す。
いったい、何が正しいのか。
後半で明らかになっていく真相には、何度も驚かされました。
読み終わった時にはその見事な構成と結末に、思わず拍手をしてしまいましたね。
皆さんも是非この作品を読んで、衝撃を受けてください。
「特定の怪異と似通った怪異が、時代や場所によって亜種として存在する」というのは、妖怪譚や都市伝説だと非常によくある事例です。
現代怪異「赤い服の女」には「赤いマフラーの女」「赤いヤッケの女」、さらには「赤マント」といったバリエーションが存在しますし、古典妖怪「見上げ入道」にも「見越し入道」「入道坊主」というような類例あるいは別称が存在します。
実はかの有名な「のっぺらぼう」も、その例に漏れません。小泉八雲の著作では「貉(むじな)」なる怪談の中で語られ、どうやら狸の類が人間を驚かすために顔のない化け物を装ったらしいということになっているわけですが、他に不気味な肉塊の怪物「ぬっぺっぼう」、別称の「ぬっぺら坊」「ずんべら坊」などなど、多様な亜種が知られています。
さて、メジャー妖怪だけあってバリエーション豊富なのっぺらぼうですが、そんな彼が意図せずミステリー作品のお約束「顔のない死体」シチュエーションと遭遇したとき、思いも寄らぬ状況が発生してしまいます――
そう、何しろ妖怪のっぺらぼうには、事件の被害者と同じく、顔が存在していないのですから!
こちらの作品では、かくいうアクロバティックな展開がコメディ仕立てで描かれています。古典ミステリー&古今の怪異譚好きなら、すでに設定だけでも笑えてしまいそうですが、通読してみるとなるほど妖怪というものを上述したような概念レベルの部分含め、巧みに利用して物語が綴られていました。読んでいる最中、「なんか登場人物のみんな、のっぺらぼうのことを他の亜種怪異か何かと勘違いしてない? 大丈夫?」などと感じたとしても、それさえ作者さんの計算のうち。
最後のオチに独特な解釈でひと捻りある部分まで、大変楽しい一作です。
元旦、彼は今日も働いていた。
彼はのっぺらぼう。
ない、ないと探し物をしていると、親切な人が「どうしました?」と声をかけてくる。
「実は、『顔』をなくしてしまってねえ」
と、のっぺりとした顔を見せて、ハッピーを与えるのだ。
今日もハッピーを与えようとしたが、返ってきた言葉は「お父さん…?」
あれ、なにか変なことに巻き込まれている…!?
面白かったです。
お父さんと譲らない母子に、登場する刑事たち。
のっぺらぼうの正体には、「そうだったのか」と唸りました。
作者さまの知識と発想力が半端ない。
ぱたぱたと解明されていく謎が気持ち良いです。
年末に縁起のよいお話を見せていただきました!
そう言えば長いことやってないな、あの遊びと懐かしく思い出させてくれました。
オチまで唸る綺麗な作品を読ませて下さって本当にありがとうございました…!
黒澤作品。
理詰めでストーリーが作られている。
そんな印象を受ける。
理屈が先。
すると、破綻が無い。
ポンと浮かんだお話。
感覚だけでソレを書き上げると、
出来上がりは穴だらけだったりする。
推理を主とするお話に穴があると、説得力に欠け、お話は破綻してしまう。
短編における黒澤作品は、
推理要素のあるシチュエーションコメディが多い。
状況設定(シチュエーション)が生み出す食い違いや不条理さが笑いの要素となっているコメディである。
ハマるのだ。
ガッチガチにハマる。
違う、違うんだよと思う主人公サイドの思いと、勘違いサイドの思いがガッシリとハマるのだ。
ただのシチュエーションコメディでは、ハマるだけ。単純なお笑いで終わる。
しかし、黒澤作品では、どちらのサイドにも、その思いにドラマと思惑が隠されている。
理詰めの美学。
思いつきと感覚だけで、お話を書いてるわたしとは大違い😓💦
このお作品を短時間で仕上げる、
カヌレ様✨
超一流のプロ作家様である。