修文元年三月
第4話
結局私の主張は認められて、校区中へ進学することになった。折衷案を挙げても首を縦に振らない私に、遂に祖父が折れたのだ。望んだ結果ではあったが、沈痛な面持ちで過ごす祖父を見るのは胸が痛んだ。話を聞きつけた伯母が現れて、賛成派の祖母ではなく祖父を責めたのもつらかった。どれだけ私が決めたと繰り返し主張しても、聞き入れてはもらえなかった。何しろ、私はこの世界では非力で責任能力も未熟な十二歳の子供だ。成人のように自己責任と放置すれば責任を問われるのは親権者だ。祖父は養父として、私を安全な環境で健全に育成する義務がある。それなのに、というのが伯母の主張だった。私が必死に祖父を庇ったのも逆効果だったのだろう。こんなことなら意地でも娘にしておくんだった、と伯母は長く描いた眉を顰めて嘆くように言った。初耳の歴史に、素直に驚いてしまった。
私がこの家に来たのは、伯母が再婚して数年後のことだ。妊娠する様子のなかった伯母は私を養女にしたいと申し出たが、祖父は許さなかった。まだ子供ができるかもしれない、できたら向こうの家が私を邪険にして縁組を解除せざるをえなくなるかもしれない。そんな悲劇を背負わせられるか、と言ったらしい。
「
美代は舌も滑らかに語り終えて、私の洗濯物を収めた引き出しを閉じた。
伯母が母親なら、私はどんな風に育っていただろう。市内の校区小中へ通い、放課後は部活をして休日は友達と遊ぶような生活か。時折流れてくるであろう父の噂にも、伯母なら寄り添ってくれたはずだ。もちろん、養父が心から迎えてくれたとは思えないが。でも。幼い頃の言えなかった願いを思い出す。私はずっと、伯母に「お母さん」になって欲しかったのだ。
「ほんでもまあ、こちらにおられるんですし。たまには遊びに行かれたらええでしょう」
続いた台詞には、以前のように私をやり込める棘がない。私が校区中行きを言い出してから、美代の態度は分かりやすく軟化し始めた。世間にとって「犯罪者の娘が悪びれもせず金に守られて育つ」展開は胸糞悪いが、「犯罪者の娘が父親を更生させようと努力する」姿には憐憫を傾けたくなるものだ。美代は長らく前者であった上に、孫の暮らしぶりと比較して私を妬んでいた。
ここ二ヶ月ほど間違い探しを続けた結果、近所や人夫達の顔ぶれや学校の交友関係、引き出しの中身に違いがあった。もっとも顔ぶれについては元々不確かなものだし、交友関係は私が愚鈍で気づいていなかったことに気づいただけかもしれない。ただ、引き出しの中身だけは確かだ。なくなっていたのは祖父の赤白柄のセルロイド製万年筆で、使えもしないのにねだってもらったものだからだ。いつも一段目のペン皿へ入れていたのに、見当たらなかった。思い当たるのは美代しかいないが、盗んだのならもう手元にはないだろう。今頃は、娘辺りが使っているに違いない。嫉妬の薄まった今なら、下手に出れば返してくれるだろうか。
「さあ、もうおやすみですよ。お便所はよろしゅうございますか」
促されてベッドへ潜りこむ。爪先を伸ばすと、ちょうどいいところに湯たんぽの温もりがあった。美代は灯りを消して出て行く。障子に映る影を見送り、目を閉じる。三月も半ばになるのに雪解けは遠く、風は相変わらずの強さで吹き荒ぶ。震える雨戸の音に引き出されるのは、あまり良い手触りの記憶ではない。
多分、小学二年生か三年生の頃だ。学期間に限らず、ゲーム機を与えられるまでの休みは退屈だった。友達が県境を越えて遊びに来るわけはないし、祖父は仕事で出掛けることが多かった。よほどのことがない限り私の送迎を他人に任せることはなかったから、皺寄せが来ていたのだろう。一方で祖母は祖母らしく、贔屓の舞台を観劇するために大阪や京都へ足を運んでいた。私も数度連れて行かれて『娘道成寺』や『勧進帳』を鑑賞させられたが全く理解できず、退屈だった。知らない人ばかりの楽屋へ連れて行かれるのも苦手で、役者達と一緒に撮った写真はどれも顔が引きつっている。今思えば、祖母はタニマチだったのだろう。芸能の一端を支えると言えば聞こえはいいが、しつこいようだが父は服役中もしくは仮出所からの逃亡中だった。小学校六年間で父が外にいたのはその、逃亡中の半年だけだ。その半年の間に、会ったことがある。次に顔を見た時はもう死んでいたから、それが最初で最後だ。
あの日も荒れていたから雨戸は閉めたきりで、暗い廊下には灯りが点されていた。古い家だから至るところが軋む音を立て、それがたまに誰かが歩くように聞こえて昼間でも恐ろしかった。必然的に部屋を出るのは最小限となり、よってトイレも限界近くまで我慢してから突っ走るのが常だった。その時も走っていて、ちょうど玄関脇へ出る廊下を抜けたところだった。戸の引かれる音に、祖父か祖母だろうと顔を出した。呼び鈴が鳴らなかったからだ。でもたたきに突っ立っていたのは、見たことのない若い男だった。背が高く撫で肩で、明らかに痩せていた。まだ雪も碌に解けていないのに薄っぺらなシャツ一枚とジーンズのなりだったが、私には暑がっているように見えた。肌が汗ばみ、肩辺りまで伸びた髪が張りついていたからかもしれない。血走った目はぎらついて顔色も悪く、健康そうには見えなかった。
一目で不審を感じ取った私に男は構うことなく「じじいはおらんのか」と、少し低く乾いた声で聞いた。肯定と咳払いが重なったが聞き直すことはなく、すぐに背を向けて出て行った。私もさっきより近づいた限界に走り出したから、気にしている暇はなかった。
その帰り、土間へ下りてきた美代に会った。早速あの来訪を報告すると慌てたように勝手口を出て行って、しばらく戻って来なかった。それから家の中が慌ただしく、落ち着かない日が数日続いた。男の正体を知らされたのは、その最中だった。いつものように美代からだ。祖父母は相変わらず、何も言わなかった。
私は男を泥棒や押し売りの類だと思い込んでいて、父の可能性とは一度も結びつけていなかった。既に出自に関しては美代から散々聞かされて知っていたが、子供心には「十六、七の時の子供」よりも「名前がなかった」や「病院で二歳くらいと言われたから二歳になった」の方が深く刺さったからだ。それにまだ、十六、七に自分の年を足して現在の父の年齢を割り出す行為になんの興味もなかった。しかしもし割り出していたとしても、男を見て父と気づくのは難しかったろう。私の脳内「お父さん」は、参観日や運動会に現れる友達の父親達を参考にして作られていた。本物とはまるで違う、品行方正で清潔な姿だった。私のためにPTA競技に出たり写真を撮ったりする、そういう父親だった。いつか突然現れてそんな風にしてくれるのではないかと、まだそんな夢を見ていた頃だったのだろう。見れば見るほど傷つく夢だ。本物はそのあとしばらくして、また覚醒剤で捕まった。
ふと気づいて撫でた目元が濡れていて、少し驚く。まだ私にそんな感傷が残っていたのか、それともこの体だからなのか。私に乗っ取られて思考を穢された私が泣いているのかもしれない。慰めるように体を抱き締めてさすると、少し落ち着いた。目を閉じて背を丸め、布団の中へ潜る。固い膝を抱き寄せて、小枝のような指を組む。
この世から、悪いことがなくなりますように。悪い人がいなくなりますように。
懐かしい拙い祈りを捧げたあと、眠った。
間違い探しの傍ら、もう一つ開始したことがある。変化の規則性についての調査だ。大きな流れにはできるだけ触れないと決めはしたが、うまくいけば言葉だけで父の犯罪を未然に防ぐことができるかもしれない。とはいえ、先の修文は字面の変化であって遷移そのものが歪んだわけではない。容器の中身だけが変化するようなものだろうか。しかし変化が改善へ繋がるか改悪へ転ぶかは、未知の領域だ。
修文になってもうすぐ三ヶ月、今のところ平成との違いを感じたことはない。しかし「秋分」との紛らわしさだとか、昭和に続いての「S」が齎す影響を知るにはまだ時間が掛かるだろう。何が起きるのかは予想できない。
今回は、それを踏まえての実験だ。平成が修文へ変化した原因を「既知の未来を発言したから」と仮定しての「既知の未来を書いた場合はどうなるのか」、そして「違う未来を発言した場合、書いた場合はどうなるのか」を探る。手探りの状態では実験そのものが大きな賭けだが、目的のために割り切らざるを得なかった。
まず、二つの「書いた場合」は、卒業文集に仕込んだ。
映画好きだった祖父は何度か、私を連れて隣の市にある映画館へ行った。市内で一番大きな映画館の表には看板が掲げられていて、手描きの絵や文字が上映中の映画を伝えていた。祖父はたまに、私と看板が両方入るよう並ばせて写真を撮った。
祖父の好みは古い洋画だったが、いつも私に合わせたものを観せてくれたから退屈はしなかった。普段は遠ざけられていたジュースも許されて楽しい一時だった、と基本は思い出話だ。そこに『祖父とまたあの映画館で続編を観るだろう』と続けた。
平成では、映画の続編は公開されたが映画館は既に潰れていた。結局レンタルビデオで観たが、今回は振れ幅によっては私しか知らない幻の作品になるかもしれない。
「発言した場合」については、「町の売地を買うのはケーキ屋」だと祖父に言った。確認事項として「その隣の畑は売られてアパートが建つ」もつけ加えた。平成では、売地を買ったのは中華料理屋だが、隣の畑は確かに売られてアパートが建った。
四つ揃えば、なんらかの規則性を見いだせるかもしれないし、そう願っている。
一息ついてシャープペンを置き、大引き出しを引く。中へ手を突っ込み天板の裏に指輪の手触りを探す。触れた厚みに安堵して、引き出しを戻した。本当はネックレスにでもして肌身離さず持ち歩きたいが、見つかってしまうと面倒だ。身に着けないにしても、美代の手癖を考えると分かりやすい場所には置いておけない。結果、天板の裏にセロハンテープで貼りつけて凌いでいる。ひどい扱いなのは重々承知だが、ほかに策が思い浮かばなかった。
そもそも私以外の目に触れた時に、何が起こるか予想できない。何も起きないかもしれないが、私だってこんなことになっているのだ。爆発したって不思議ではない。
今ここに夫がいてくれたら、どれだけ心強いだろう。夫ならこんな時でも素早く状況を把握して的確な指示を出してくれるはずだ。あの日だって、取り乱すことなく茫然自失な私に何をすべきかを教えてくれた。私は夫がいなければ何も、うまく泣くこともできない。
この世界にも夫はちゃんと存在しているのだろうか。いるとしたら二十一だから、まだ東京にいて大学へ通っている頃だ。歴史通りなら六年後、祖父の葬式で出会うだろう。疼くように痛みだした胸を押さえ、深呼吸を繰り返す。どうしようもなく会いたくなったが、今の彼は私の夫ではない。同じ姿でも違う。私は、独りになったのだ。
うずくまりそうな思考を断ち切り、再びシャープペンを持つ。中学校から出された春休みの課題はホチキス止めされただけの簡素なプリント一束のみ、かつて通ったところとは随分違うらしい。不安がないと言えば嘘になるが、やり通すしかない。学校のことも父のことも、全てうまくやり遂げるしかない。計算式を書きながら、鈍く痛み始めた鳩尾を押さえる。器はもう、悲鳴をあげ始めていた。
次の更新予定
モイライの箱庭 魚崎 依知子 @uosakiichiko
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