「音楽で記憶を巻き戻す、喪失と再生のロードノベル」
- ★★★ Excellent!!!
本作は、妻を失った主人公が、日本を縦断する旅の中で「音楽」と「記憶」を辿り直していく、極めて私的でありながら普遍性を持った物語です。
黄色の日産フィガロ、カセットテープ、ラジカセというモチーフが一貫して使われ、それらが単なる小道具ではなく、記憶を保存し、再生し、修復する装置として物語の中核に据えられている点が秀逸です。
ショパンの「別れの曲」、ビリー・ジョエルの「Honesty」、ビートルズの「Here Comes the Sun」。
選曲はいずれも“喪失”と“前進”の両義性を内包しており、読者は主人公と同じように、曲を聴いた記憶や感情を自然と重ねてしまいます。
音楽が単なるBGMではなく、**夫婦の時間を一曲ずつ封じ込めた「人生のトラック」**として描かれているのが印象的でした。
デジタルではなく、あえて劣化し、絡まり、切れるカセットテープを選んだ点が、この物語の感情の核です。
岐阜のガソリンスタンドで鉛筆を使ってテープを巻き直す場面は、本作の白眉でしょう。
「思い出は壊れても、巻き直せる」という気づきは、喪失を経験した人間が辿り着く一つの真理であり、押しつけがましさのない、静かな救済として読者に届きます。
カセットが完全に切れ、音楽が止まり、代わりに波の音を録音するラストは、喪失の物語でありながら、決して絶望では終わりません。
「新しい音を録る」という行為が、主人公が思い出に縛られるのではなく、思い出と共に生きていく決意を示しています。
「まだ名前のない、二人の人生の続きの音楽だった」という文は、本作全体を優しく包み込む名文であり、読後に長い余韻を残します。
とても静かで、深く胸に沁みる作品でした。