第3話
新しい進路希望調査票を渡されてから既に何日か過ぎて、土曜日が訪れていた。
母は若作りのメイクと手持ちで一番いい服を身につけて昼前あたりに出かけていった。今の交際相手のところへ泊まり掛けで遊びに行くそうだ。
母のいない部屋はいつもより広く感じるからか、息がしやすい気がした。
肺いっぱいに空気を吸いこんでゆっくりと吐き出す。
私のやりたくないこと。嫌なこと。
ここ数日間そのことばかりを考えていたが、いつも思い浮かぶのは母の姿だ。
母に嫌われたくない。見捨てられたくない。小さな頃からこびり付いている思考。どの道に目を向けても、それが私の前に立ちはだかる。
もう少しで何か見えそうな気はする。
でも、答えを見つけるにはまだ何かが足りない。
先生は選択肢を狭めるためにやりたくないことを見つめると言っていたが、私の場合はあらゆる可能性が塗りつぶされてしまっているように思えた。
今回はこのまま提出してしまおうか。
先生もどうしても無理ならそれでいいと言っていたし。
そう思い始めていた時だった。
突然玄関からカチャリと鍵が開く音が聞こえ、私の意識は現実に戻ってくる。
そこには、明日まで帰ってこないはずの母が立っていた。
「お母さん?」
声をかけてみるが返事はない。
俯いた顔をよく見てみるとメイクは
聞くまでもなく交際相手と何かあったのだろう。
言葉をかけようとしたが、何を言っても逆効果な気がして黙り込む。
しかし、今の母にはそれすらも気に
「なにその目。私が悪いと思ってるんでしょ」
そんなことない、と取り繕おうとした言葉は喉に張り付いて出てこない。
氷のように固まった私の体。その両肩に母の手が触れる。
「あんたのせいで……あんたなんか産まなければ……」
薄く開いた唇から漏れ出る断片的な
つかまれた肩にかかる強い圧力。
今までになく濃い憎悪に息が詰まる。
どうして。
うまくやっていたと思っていたのに。
私は何かを間違えてしまったのだろうか。
私は一体どうすれば良かったのだろう。
母の肩越しに見える、夕陽を反射して輝く
鏡の中の私は酷くくたびれた顔でこちらを見ていた。
『
瞬間、足元で卵の割れるような音がした。
「私のせいじゃない」
考えるよりも先に言葉が出ていた。
目を見開いて両手にこもっていた力が緩んだ母。私はその隣をすり抜けていく。
手は部屋の隅に置いてあったスクールバッグをつかみ、足は玄関の方へと向かっていく。
「アイ、ちょっと待ちなさい!」
背後から飛んでくる母の鋭い叫び声に足を止め、横目でその姿をとらえる。
崩れ落ちるようにして床に座り込んでいる母には、先ほどまでと違う……そして今まで見たこともない、不安と焦燥に駆られた表情が浮かんでいた。
先ほどまでの私の顔とどこか似ているような気がする。
もしかしたら、母には母の事情があったのかもしれない。
……でも、偶然親子の関係になっただけの彼女のことを許すのはもう限界だった。
私は母に背を向けて、扉の向こうへと一歩を踏み出した。
あたりはすっかり日が沈んでいて、吐く息が白く染まる。
冷たい街の空気を切り裂くように、当てもなく一人歩く。
これから進むべき道はまだ何も見えていない。
このまま一生母の元を離れるのか、あるいは何とかして仲直りするのか。
どちらの方向に転ぶことになっても、うまく歩いて行ける予感がした。
エッグ・ダンスを踊る必要は、もうないのだから。
エッグ・ダンスにピリオドを 水底まどろみ @minasoko_madoromi
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