第2話

舞園まいぞのさん、ちょっといいですか」


 終礼が終わり真っ先に教室を出ようとしていたところを呼び止められる。

 例のエッグ・ダンスの話をしていた英語教師であり、私のクラスの担任でもある殻谷からたに先生だ。


「この前書いてもらった進路希望のことで話があるのですが」

「……何か不備でもありましたか?」

「ちょっとここでは……とりあえず、生徒指導室に来てください。待っています」


 一方的に言い残して、殻谷先生は先に教室を出て行ってしまった。

 正直なところ無視して帰りかった。早く買い物をして帰らないと、母がなんと言うか分からない。

 しかし、今日逃げたところでいつまでもかわし続けることは出来ない。先生からの心象が悪くなるだけで意味がないだろう。

 私はため息をついて、せめて話が長引きませんようにと願いながら指導室へと向かった。



 生徒指導室に入るのはこれが初めてだった。

 西日を反射して赤く輝くテーブルと、向かい合うように置かれたソファ。

 隣の職員室につながるドアには擦りガラスがはめ込まれており、誰かが往来しているのは分かるがその顔は判然としない。

 こじんまりとした部屋の中でコーヒーカップを片手に背を丸めた人影が一つ。

 小テストの採点をしていたらしい殻谷先生は、私が来たことに気付くとテスト用紙を裏返して机の端に寄せた。


「すみませんね、時間を取らせてしまって」

「いえ。それで、進路の話でしたっけ」


 先生は答える代わりに、傍に置いていたクリアファイルから一枚の紙を取り出して机の上に置いた。

 舞園アイという私の名前が記された進路希望調査票。

 第一希望から第三希望まである書き込み欄には、一番上に『特になし』と書いてあるだけで残りの2つは空白になっている。


「一応聞きますけど、真剣に考えてこう書いたんですか?」

「はい」

「うーん、そうですか……」


 即答する私に殻谷先生は眉間を押さえて考え込む。

 あまり困らせたくはなかったのだが、考えた末で何も出なかったのは本当だ。

 やってみたい憧れの仕事なんてものは私には無い。かといって、とりあえず進学してみるというのもあの母親が許すはずもない。

 進路希望調査票を出されてから締め切りまでの2週間考えてみたのだが、将来の私というものは深くもやがかかって想像できなかった。


「まあ、将来の夢とかやりたいことが分からないというのは割とよくあることなんです。大人だって道を見失う人はいるんですから」

「はあ……」

「大学でもう少し勉強してから何をするか決めたりするという生徒もいたりするのですが……舞園さん、進学する気はないんですか?」

「今は考えていません」

「うーん、舞園さんの成績ならそれなりに良い大学に行けると思うんですけどね」


 そう言った後、殻谷先生はなにか言葉を迷っているように何度か唇を開閉させ、喉の奥から絞り出すように声を出す。


「……差し出がましいようですが、ご家族の方から進路について何か言われたとかは」

「無いです。大丈夫です」

「それならいいのですが⋯⋯」


 先生は担任という立場の都合上、私が母と二人で生活していることは知っていた。

 しかし、知っているのはそこまでのはずだ。繊細な話題だからと遠慮しているのかプライベートに踏み込む勇気が無いのか、今まで深く追及してきたことはない。

 熱心に質問攻めされてもこちらが困るだけなので、私にとってはありがたかった。

 

「……それでは、やりたくないことについて考えたことはありますか?」

「やりたくないこと、ですか?」


 予想していなかった言葉に顔が持ち上がる。

 眼鏡越しに重なった殻谷先生の視線は、どこか柔らかさが宿っていた。


「ええ。あなたたち子供の可能性というのは無限に広がっている。その中からたった1つの目標を決めて歩いていくというのは、なかなか難しいものです」


 私もそうでしたから、と小さく呟いて殻谷先生はコーヒーカップに口をつける。

 揺らめく湯気に乗った香ばしい匂いが私の鼻先を撫でつける。


「だから、自分がやりたくないことを見つめてみる。絶対に進みたくない道は頭から消し去って選択肢を狭めていく。そうしている内に、自分の行くべき方向がおぼろげに見えてくるんです」


 私のやりたくないこと、私の嫌なこと。

 自問する頭の中に浮かぶ、去り行く母の後ろ姿。

 

「なにか分かりそうですか?」

「⋯⋯いえ、まだなんとも⋯⋯」


 曖昧あいまいに口ごもる私に対して、先生は「焦らなくていいんですよ」と微笑みかける。


「もう一週間、舞園さん自身の人生についてよく考えてみてください。そのうえでやっぱり何も見つからないなら、その時は一旦それで受け取りますから」


 殻谷先生は新しい希望調査票を私に手渡して、小テストの束を抱えて職員室の方へと引っ込む。

 私はしばらくの間、手に持った白い紙から目を離せなかった。

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