傷つけ奪うのは簡単、でも生み出すのはとても難しい

インターネットで創作界隈を漂っていると、どうにも斜に構えて酷評だけをすることを自身の役目だと勘違いしていらっしゃる方に、期せずしてエンカウントしてしまう事があります。
目的意識が強い方ならこの手の輩の事など構うことなく突き進んでいけるのですが、少しでも意見が欲しい人にとっては、こういう輩の言葉のナイフは致命傷になりかねないのですよね。
トラウマとなり、筆を折ってしまい、その後何年も創作ができなくなるほどに。

一方で、「生みの苦しみ」とは言ったもので、作品を一つ創り上げるのには、非常に多くのリソースを費やします。
時間や労力もですが、自身の経験や知識、推古の為の第三者など、あらゆるものが注ぎ込まれます。
そうやってひーこら言いながら、ようやく一つの創作物が生まれます。
日本の識字率や義務教育の水準が高く元手となるものがほぼ不要であり誰にでもできそうであること、そして目に見えてわかりやすい技術ではないことなどから、物書きの技術が軽視されがちではありますが、確実にその創作物というものは相応のコストがかけられた上で生み出されています。
無から有が生まれているわけではないのですよね。

要は、可能性の芽を潰す蛮族めいた行為は、それこそ馬鹿でもできる一方で、その芽を守り抜いて創作物という花を咲かせるという行為は、多大なるコストを割くことができた人にしかできないわけです。

気軽に「批評」という言葉を使って作品に苦言を呈する前に、今一度皆さんの旨に問いたい。
その言葉で誰かの創作の芽を潰す可能性があるかもしれないが、その責任は取れるのか、と。
そして、商業デビューを果たした作家、もしくはプロの編集者という相応の肩書を持ってない素人でしかないのに、あなたの言葉にいくばかりの価値があるのか、と。

これは、才能の芽を潰され、あまつさえ「幽霊」に憑りつかれてしまった、一人の被害者のお話です。
心してお読みください。

その他のおすすめレビュー

お仕事中の情シスさんの他のおすすめレビュー673