後編:見誤っていた。彼らの『知能』の水準を
考えろ、考えろ、考えろ、と自分自身に言い聞かせる。
理想の楽園を作れると、私は信じていた。
悪魔にとっては、絶対にプラスになるはずのこと。そのために尽力しただけなのに。
だが、今は酷い窮地に陥っている。
「やっぱり、彼が悪魔なのは間違いなさそうですね」
神父は再び、天井の方を見つめている。
まただよ、と舌打ちする気にもならない。
フワフワと、『彼』は宙に浮いていた。
こいつ、本当にぶん殴りたい。
もしもここで彼が人間だと示せれば、私への疑惑も一緒に消せる。妄想に駆られた人間の言葉だとなれば、私が悪魔だと疑われることもない。
でも、ここへ来て空中浮遊。
「いえ、これもやっぱり心の病です」
もう、考えるの面倒臭い。
「さすがに無理でしょう」
「いいえ、これもやっぱり『自己暗示』です」
もう、使い回しでいいや。
「でも、どう見てもこれ、浮いてますよね?」
やれやれ、と溜め息をついた。
「別に珍しいことはありませんよ。『心の在り方』一つで、人間が宙に浮くことも可能です。いわゆる『気の力』とでもいうものですね」
淡々と、私は神父に説いてやる。
「知りませんか? 『東洋人』なんかは、大体みんな宙に浮けますよ?」
「え、そうなんですか?」
良かった、と内心で胸を撫で下ろす。
この時代のヨーロッパの人たち、なぜか東洋人をやたらに『なんでもあり』な存在だと思っている。『未知』な存在だから、どんな適当を言っても大概信じる。
「だから、彼はあくまで人間です。妄言に耳を貸さないように」
きっぱりと言い切り、神父から背を向ける。
少年はもう、宙に浮くことをやめていた。低級悪魔だから、長時間の浮遊はできない。
「さて」と声に出す。これでまた、時間稼ぎが出来た。
でも、まだ窮地は脱していない。放っておくと、私はこいつともども退治される。
一刻も早く、こいつの正体を暴かないと。何が目的で、私を陥れようとする。
でも、私ならきっと出来るはず。私は世界一の心理学者。いわば心のエキスパート。
悪魔だって、人間とそう変わらない。しっかりと『心』はある以上、こいつの内面だって読み取れる。
さあどうだ、と少年を睨む。
「ん?」とそこで目の前が揺れた。
落ち着いて、もう一度少年の両目をしっかり見やる。彼も私をまじまじと見返し、何度も頻繁にまばたきを繰り返していた。
何か、と私は小さく首をかしげる。
彼のこの表情。そして私を見る目。この表情に、私はどこか覚えがある。
「あ!」と数秒後、思わず声が出た。
素早く左右を見回し、ある一点が目に入る。
「神父。悪いがちょっと外に出てくる」
その後ははっきりと『見たいもの』が見つけられた。
「パン売ってるよお。焼きたてだよお」
粘土を手に、声を上げる男がいる。
「安いよお! 安いよお! キャベツ一個、銀貨百万枚だよお!」
露店で野菜を大量に並べ、必死に客引きをする男。
それらを見た瞬間、体の中から力が抜けた。
「つまりは、そういうことか」
ゆっくりと、私は視線を上へと向ける。
今ははっきりと、『それ』を確認することが出来た。
この場所を訪れた時、たしかな違和感が存在していた。
街で見かけた妙な人々。そして、この屋敷。入口は雑草が伸び、まるで『廃屋』ではないかと感じ取った。
廊下に溜まった綿埃。少年の寝そべるベッドも、ふとした瞬間に大量の埃が舞う。
ここは本当に、普段から人が住んでいる家なのか。
「少し、確認したいことがある」
少年と、傍らにいる『夫人』へと順に視線を送る。
不可解そうにする神父に頷き、『夫人』の顔を見据える。
「あなたたちは、一体どこの『誰』なのですか?」
真相ならわかっている。『彼ら』が一体何者で、どこから来たか。
全ての原因は、近隣にある『建物』。そこの管理が甘いせいで、こんな場所ができた。
「まず、あなたは『母親』ですらない」
厚化粧の夫人へと向け、私ははっきり指摘する。
「要するに、あなたは『患者』なのですね?」
この街には、『心の病』を研究する施設がある。
妄想障害を持った人間たちを収容し、彼らの治療を行おうと試みている。
だが、きっと管理が甘かったのだろう。刑務所のように幽閉するようなことはせず、簡単に外へ出入り出来るような環境を作っていた。
その結果、『患者たち』がこの街の中へと逃げ込んでいた。
(パンが焼けたよお)
そう口にする男は、ただ粘土を持っているだけだった。
(キャベツ一個、銀貨百万枚だよお)
あの八百屋も、きっと偽者。本物の八百屋ならキャベツをそんな高額で売らない。
(ウチの子は、これでも悪魔と無関係なんですか?)
極めつけがこの『夫人』。背も高くて肩幅もある。その上、厚化粧で声も低い。
改めて向き合うと、『女装している男』なのだとはっきりわかる。
本来はただの入院患者に過ぎないが、彼らは妄想を抱き、『別の自分』を演じていた。
こうした場所に、偶然に『迷い込んだ存在』がいたとしたら。
一人の少年に憑依した悪魔。彼は落ち着く先を求め、この街にやってきた。
そして一体、彼はどんな気持ちになっただろう。
辿り着いた街の中には、不穏な妄想を抱えた人間が何人もいる。
「つまりは、そういうことか」
憐れむ気持ちで、私は少年を見下ろす。
彼の心の動きが、今ならはっきりと捉えられる。
『僕は本当に、悪魔なのか?』
自分も同じく、ただの妄想を持った人間なのかもしれない。患者たちの姿を見る中で、だんだん自信がなくなってきた。
だから、必死に否定したいと考えた。
天井に貼りつく。首を一八〇度回してみせる。宙に浮いてみせる。
一連の行動を取ることで、『自分は悪魔なのだ』と証明しようとした。
心理学の世界でも、はっきりと定義されている概念。
いわゆる、不安な現実を『否認』すること。
彼は必死に、自己への不安と戦っていた。
でも、こればかりは仕方ない。
「残念だけど、事実を伝えなければならない」
気持ちはわかるが、ここでは他に道はない。
「もう、結論は出ただろう? 君は、『人間』なんだ」
思わぬ発見も得られた。
「本当に、十字架にも反応しない」
私の説得で、彼は『自分が人間だ』と受け入れた。そして。十字架に触れても火傷をしない体になった。
「こういうことが、起こりうるとは」
ようやく、あの家からも解放される。神父はさすがに本物だったが、あとは全員が近隣の病院の患者たちだった。
「それにしても」と思わされる。
心理学はあくまでも、人間たちを騙すためのものだった。だが、今回のあの少年のケースのように、悪魔までもが暗示によって影響されるとは。
「というか、まさかな?」
違う、と思いたい。
でも、私は気づいてしまった。
『私がしてきたこと』が、いかなる意味を持つのかと。
「先生、その節はありがとうございました」
朗らかな表情で、若い女性が感謝を述べる。
数日前、エクソシストに祓われないよう、全ては『心の病』だと彼女に話した。
「先生のおかげで、やっと心が自由になれました。自分のことを『悪魔』だなんて思ってたなんて、今思うと恥ずかしくて」
ほんのりと頰を染め、彼女は髪をかき上げる。
そんな彼女を、私は静かに見つめ返す。
「いや、君は本物の悪魔なんだが」
だが、確かに引っかかる部分もありはした。
前々からの疑問。
『なぜ、彼らはもっと上手に振る舞わないのか』と。
人間に憑依した悪魔は、あまり目立つ行動はしない方がいい。エクソシストに見つかれば、割とあっさりと祓われるから。
それなのにどうして、自分は悪魔だと公言するのか。
「どうやら、認めるしかない」
あの若い女性だけの問題じゃなかった。
『おかげさまで、妄想から自由になれました』
それから会った全員が、同じように笑顔を見せた。
私はずっと、思い描いていた。
心理学を広め、『悪魔なんて妄想だ』と世に知らしめること。そういう事実が浸透すれば、『賢い悪魔』は、妄想の陰に隠れて自由に動けるようになるはずだと。
「つまり、前提を間違っていた」
私の計画はあくまでも、『賢い悪魔』のためのものだった。
要は、『一定以上の知能』がないと始まらない。
「この世界にいる悪魔、みんなアホだったんだな」
だから私の話を真に受けて、本気で自分は『妄想』なのだと思い込んだ。
失敗だ。心理学作戦、失敗だった。
どうにか、計画をどこかで変えないと。このまま心理学を発展させたら、最後には世界中から悪魔が消える。
なんとかして、こいつを廃れさせて行かなくては。
「先生、この前はお世話になりました」
今後について、考えあぐねている時だった。
私の研究室に、一人訪ねてくる者があった。
「君か」とぼんやりと呟く。
たしか、先日会った少年だ。ベーゼマン神父に祓われそうになっていた。
「実は、僕も心理学に興味を持ったんです。先生の理論のおかげで救われて、今では心が晴れやかになったから。僕も、心理学の発展に寄与したいと思って」
「そうなのかい」
「だから、先生の『弟子』にしていただけないでしょうか?」
曇りのない目で、少年は私を見る。
ああ、と気のない声を出す。
「まあ、別にいいよ」
軽く答えを返してやる。
意外と、これは使えるかもしれない。
今後のことを考えたら、『有能な後継者』が出るのは絶対にまずい。
その点、彼なら大丈夫だろう。
自分が本当は人間だったと、軽く騙される程度の知能なら。
彼ならばいい感じに、トンチキな理論でも出してくれるかもしれない。結果、心理学の信用を損なってくれるのも期待できる。
「ところで君、名前は?」
念のため、一応は聞いてやる。
「はい、カールと申します」
溌剌と、彼は自分の名を名乗る。
「僕の名前は、『カール・グスタフ・ユング』と言います」
きっと大丈夫、と私は自分に言い聞かせる。
彼が『有能な後継者』じゃない限り、悪魔の未来は安泰だ。
(了)
地獄の公爵フロイトさん ~エクソシストなんて不要です!~ 黒澤 主計 @kurocannele
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