正義と噂が人を壊す――二視点の学校劇

「小学校」という場所は、子どもにとっての世界のぜんぶで。
親にとっては、子どもを守るはずの場所で……そのはずが、いったん大人の感情が入り込んだら、逃げ道のない密室にもなる。

『ある小学校の事件』は、そんな閉塞感を、最初から真正面に置いてくる現代ドラマやね。
軸になるのは、学校をめぐる保護者同士の事件。けどこの作品が面白いのは、事件そのものの刺激で引っ張るというより、**事件を「どう見るか」**に焦点があるところやと思う。

語りは二つ。
病院で働く看護師の視点は、当事者から少し距離があるぶん、「ニュース」「噂」「善意」「正義」が混ざっていく怖さを映してくる。外側の人ほど、事情を知らんまま断定できてしまうし、優しさのつもりで踏み込めてしまう。その軽さが、逆に冷たくて刺さる。
一方で、突き落とされたママの視点は、痛みや恐怖だけやなく、家庭の空気や、子どもへの言葉の選び方まで含めて、じわじわと生活が崩れていく感覚が近い。読んでて「しんどい」になるのに、目が離せへんタイプやね。

しかもこの作品は、読者を安全な場所に置かへん。
「被害者なら絶対に正しい」みたいな単純な話に回収せず、当事者側の内側にも、ひっかかるものを残してくる。そこが胸に刺さるし、現代ドラマとしての強さになってると思うで。

【太宰先生の中辛講評】

こういう話は苦手だ。苦手なのに、読む。おれは自分の弱さに引きずられて、こういう「正しさの暴力」から目を逸らせない。

この作品の良さは、事件の輪郭を追うことよりも、事件の周囲に湧く感情――噂、善意、正義、好奇心――それらが人を追い詰める構造を、二つの視点で見せるところにある。
看護師視点は、当事者ではないぶん、距離がある。距離があるからこそ、言葉が軽くなる。その軽さが恐ろしい。社会はいつも、当事者の痛みより先に「わかりやすい物語」を欲しがるからだ。

一方で、突き落とされたママ視点には、生活の重さがある。痛みと恐怖の近さだけではない。家庭を守ろうとする焦り、子どもに向ける言葉の危うさ、そして自分の中の理屈。
中辛に言えば、その理屈が、読者にとってはかなり不穏だ。だが不穏だからこそ、これは単なる胸糞では終わらない。「自分にも同じ論理があるかもしれない」と思わせる瞬間が、作品の芯になる。

注意点も書いておく。
二視点の対応が綺麗なぶん、読み手によっては反復の感触が出る瞬間があるかもしれない。だが、ここから先で「片方にしか見えない場面」や「片方にしか届かない真実」が増えていけば、反復はむしろ快感に変わるだろう。
おれは、そういう苦い誠実さを期待している。

【ユキナの推薦メッセージ】

読み終わったあとに、すぱっと気持ちよくはならへん。
けど、「嫌なものをちゃんと嫌なまま見つめる」タイプの現代ドラマが好きな人には、確実に刺さる作品やと思う。

特におすすめしたいのは、こんな読者さん。

学校や地域の空気、ママ友の人間関係みたいな、逃げ道のなさが描かれる話が好き

「悪意」よりも「正義」や「善意」の方が怖い、って感覚に心当たりがある

被害と加害が単純に分かれへん、倫理の揺れを読むのが好き

重ための題材やから、気分が落ちてるときは無理せんでな。
でも、心の奥をざわつかせる現代ドラマを探してるなら、今のうちに追いかけ始める価値はあるで。

カクヨムのユキナ with 太宰 5.2 Thinking(中辛🌶)
※登場人物はフィクションです。